36. 眷属と契約者
「うわぁ」
茨のトンネルを抜けると、そこには幻想的な世界が広がっていた。
まず目に入るのは、とてつもなく巨大な一本の樹。
その下には透き通った湖と色とりどりの花畑。
所々に真っ白な石でできた柱や石畳のようなものが見えるが、柱には蔦が這い、欠けていたり倒れていたりしているし、雑草が生い茂っていて何年も人の手が入っていない事が伺える。
ゲームやアニメに出てくる失われた古代文明の遺跡、みたいな雰囲気だ。
そして、キラキラと七色に輝く光の粒が宙を舞っている。
「きれい……」
「そうだろう、そうだろう。ここは魔力濃度が一等高い場所だからな。魔力が溢れて光っているのだ」
「魔力?」
「うむ。其方のように魔力の器の大きい人間や我々のような存在にとっては心地良いくらいだが、魔力がほとんどない人間にとっては息をするだけで毒になるから、気を付けるのだぞ」
気をつけろと言われても……。
訳のわからない事ばかり言われるので、どこからつっこんでいいのかわからない。
ふとミルの方を見ると、嬉しそうに元気いっぱい花畑を駆け回っている。
なるほど、心地良いというのは本当らしい。
そう言われてみると、私もなんだか体が軽くなったような気がしてくる。
ハーリアル様に促され、湖のほとりに倒れている柱の一つに腰を下ろすと、彼自身は側にごろんと横になり肘をついて「さぁ、何でも聞くがよいぞ!」と宣言した。
め、めちゃくちゃくつろいでる……。
「ええと、まず、ミルが眷属というのはどういうことなんですか?」
「その子の名はミルというのか。良い名をつけたな。短くて覚えやすいし、何より言いやすいのが良い。これまでの眷属達は、エルシャティヨンだのブリリロベールだのロヴァクルティーヌだの長ったらしくて舌を噛みそうな名ばかりであったからな。名前を呼ぶだけなのになぜ練習せねばならんのだ。……ん? 何の話だったか? あぁ、そうだ、其方、白くて丸い石のようなものに手を触れなかったか? それが我が眷属の卵だ。選ばれた者が触れれば卵は割れ眷属が生まれる。選ばれた者は眷属に名と魔力を与えることで契約者となる」
なんと、私は知らない間にミルと契約を結んだことになっていたらしい。
「契約って、どんな契約なんですか?」
「契約者が眷属に魔力を与える代わりに、眷属は力を貸す。結構便利だぞ? その背に乗れば移動は楽だし、そこらの魔物であれば向こうから勝手に怯えて逃げてゆく。魔力の器を共有している状態なのでより多くの魔力を行使することができる。同じ人間の中には敵う者はおるまい。人の頂点に立つことができるぞ」
そんな良かったな、みたいに言われても人類の頂点に立つ予定などない。
私の夢は程よい田舎で隠居生活を送る事なのだ。
「その契約者というのに、なんで私が選ばれたんでしょうか?」
「眷属に選ばれるかどうかは一定以上の魔力量と後は魔力の相性だ。眷属も一個体であるからして、魔力の好みも違うのだ。其方の魔力は、その子の口にあったのであろう」
まさかの、味。
走り回るのにも飽きて私の膝でくつろいでいたミルにいちおう聞いてみる。
「……私の魔力、おいしいの?」
「みゃーう」
おいしいらしい。
そういえば、はじめて会った時もおいしいか聞いたら良いお返事が返ってきたような。
思わず生まれちゃうほど口に合ったということなのだろうか……?
実は勇者の末裔だった、とか、体のどこかに聖痕が、とかでもなく単に味の好みの問題だったとは肩透かしを食らったような気分だ。
でもそのおかげでミルに出会えたのなら、おいしくてよかったと思い直し、うりうりとあごの下のいいところを撫でておいた。
「その、契約者となったからには、何かやらなきゃいけない事とか、あるんですか?」
「いいや、特にないぞ? 其方らは仲良く、健やかに過ごしておればそれで良い。強いて言うなら、我は話し相手がいなくてとても退屈なので、何か面白い土産話でも持ってここに定期的に遊びに来てくれると嬉しい」
使命みたいなものも特になかった。
魔力が多いところで使い道は特にないし、契約者になってもミルが可愛いこと以外に特筆すべきことはこれといって何もないな。
「私達を迎えに来たって言っていましたが、何かご用だったんですか?」
「いや、用というか、普通、眷属が産まれると契約者と共に我のところに顔見せに来る習わしなのだ。久方ぶりに我が眷属が産まれたのを感じて、我のところに挨拶に来るのを今か今かと待っておったのにちっとも来ないし、待ちくたびれていたところだ。全く、そんな常識も知らんとは、教会の奴らは何も教えなかったのか?」
「はい。そんな習わしは初めて聞いたし、あの石が眷属の卵というのも今初めて知りました」
「ううむ。前の眷属が生まれたのもずいぶん前であったから、伝えるのをうっかり忘れてしまったのかもしれんな」
おっちょこちょいだなぁみたいに言っているけど、そんな、選ばれたら人類の頂点に立てる程の力が手に入るらしい一大事、うっかり忘れるかな?
もしかして、この人が言うずいぶん前って百年二百年のレベルじゃなくて、もっとずっと前の話なんじゃ……。
「ハーリアル様って何才なんですか?」
「そんなのものいちいち覚えておらん。千年くらいまでは数えていたような気もするが」
めちゃくちゃご長寿だった。
私がこの場所を見て抱いた印象、失われた古代文明の遺跡というのが急にリアリティを帯びてきた気がする。
「そうだ。我が眷属の契約者となった者には、ひとつ願いを叶えてやることにしているのだ。我の力の及ぶ範囲であればなんでもよいぞ。欲しいものを言ってみるがよい」
「欲しいもの……。そんな、急に言われても」
願いといえばFIREだけど、それはいずれ自分の力でするつもりだし、欲を言えば不労所得がもう少しあったら嬉しいけどそれって森の主様に頼むようなことじゃないよね……?
「無欲な娘よの。欲しいものでなくとも、何か困っていることはないのか?」
「あ、じゃあ、身を守ることができるような、こう、防犯的な何かはありませんか? 私、さっき誘拐されたばかりで、世の中物騒なので」
「そういえばそんなことを言っておったな。ふむ。防犯的な何か、か……。そうだ! これなんかどうだ?」
なんかいろいろ衝撃的で忘れていたが、困った事と言われそういえば私誘拐されていたんだったと思い出した。
ハーリアルはうーん、と顎に手を当て考え込んでいたが、おもむろに自分の片方の肩から体に巻き付けるように身に纏っていたストールのようなものを外し、にこにこと手渡してきた。
思わず受け取ったストールは羽のように軽く、向こうが透けるほど薄い生地に繊細で美しい模様がびっしり入っていて、手触りもとても良い。
「あの、とっても素敵なストールなんですけど、これ、防犯になるんですか? 少し木に引っ掛けただけで破れちゃいそうに見えるんですけど……」
布地としてはめちゃくちゃ高級そうで価値は高いと思うけれど、防御力的な面でいえば底辺の部類ではないだろうか?
「特殊な素材でできているから、木の枝に引っ掛けたくらいでは破れんぞ? そいつは悪意ある攻撃を勝手にはじき返してくれるのだ。持ち主の魔力を使うので体に触れるように常に身に着けておく必要はあるが」
わー、すごい、ファンタジーっぽい不思議グッズだ!
でも、これを常に身に着けるのかぁ……。
「常に身に着けるのは難しいかもしれません。私、平民なので、こんなものすごく高級そうなストール、似合いません。それにこれを身に着けて生活していたらとても目立つので、お金持ちだと思われて逆に泥棒や誘拐犯に目を付けられるような気がします」
「んん? 相変わらず、人の世界の理はよくわからん。何を身に着けようがその者の勝手ではないのか?」
「身分とか、色々あるので、そういうわけにもいかないんです」
「うむぅ、とにかく目立たなければ良いのだな? 少し貸してみろ」
ハーリアル様が手に持った途端、ストールがシュルシュルと縮み始め、一瞬のうちにリボンのような形に変わっていた。
「これでどうだ? 色や模様を変えることはできないが、大きさを変えるくらいならできる。これなら、頭に結んでおくなどして身に着けられるのではないか?」
確かにこれくらいなら、遠目から見たらただのレースのリボンに見えると思う。
よく見ると生地も良くてお高そうだか、リボンならまだ庶民が背伸びして買ったとしてもおかしくはないはず。
「これなら大丈夫です。ありがとうございます」
「では、其方の魔力を登録してしまおう。手を出せ」
言われた通りに手を出すと、ハーリアルは長い爪で親指の腹をシュッと切るような仕草をした。
少しチクッとしたと思ったら時間差でぷくりと血が盛り上がってきた。
彼はリボンをそれに押し付けると、リボンが一瞬虹色に輝いて、光が消えると血の跡はなくなっていた。
「よし。これでもう其方にしか使えないようになったぞ」
び、びっくりした。
痛くはなかったけど、突然のことに驚いてじんわりと涙が滲んできた。
私の涙腺はお子様なので、ちょっとのことですぐ涙が出てくるのだ。
「え!? ぃ痛かったか!? 加減したつもりだったのだが、す、すまぬ……!」
私の顔を見てギョッとしたハーリアルがわたわたして、ミルにフシャーッと威嚇されている。
森の主の威厳はまるでない。
「平気です。ちょっとびっくりしただけで。私こそ、ごめんなさい」
ぐしぐしと涙をぬぐい謝ると、ハーリアルはホッと息をついた。
血の滲んだ親指をぺろぺろとミルが慰めるように舐めてくれた。
うちの子、優しい。
「持ち主の魔力を登録するのに血が必要だったのだ。許せ。ほら、これで其方のものだぞ。後ろを向け。我が直々に結んでやろう」
不器用そうだけど大丈夫かな、と失礼な事を考えながら後ろを向くと、思いの外丁寧な手つきで私のポニーテールにリボンを結んでくれた。
「どうですか?」
「うむ、似合っておるぞ」
正面を向いて聞いてみると、満足そうな返事が返ってきた。
「それを身に着けている限りはあらゆる攻撃は跳ね返すし、悪意のある者は其方に指一本触れられぬ。寝る時もずっとつけておくのだぞ。あと、一応一撃必殺の奥の手もある」
「奥の手?」
「それに魔力を全力で込めて敵にぶつければ、攻撃にもなるのだ。そいつをくらえば竜とてひとたまりもない。ただ、地面に大穴があくので周りに何もないところで使った方が良いと思うぞ。あと其方の魔力量だとおそらく一度の発動で魔力が空になって倒れる。加減は効かないし場所は選ぶし結構使い勝手が悪いのだ。本当に最後の手段だと思っておくと良い」
シスターが読んでくれた絵本に出てきたけど、この世界本当にいるんだ、竜。
私の今後の人生において竜と戦う予定は全くないし、大穴があくとか怖いし、多分一生お世話になる事はない機能だろう。
一度しか使えない必殺技だなんてちょっとかっこいいけど、もしもの時の保険くらいに思っておこう。
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