34. 誘拐
「え?」
「それが、シスターエミリーが行方不明で、兵士にも捜索願を出したのですがまだ見つかっていないのです。昨日の就寝前までは確認が取れているのですが、今朝になってからどこにも姿がなくて……」
「そんな……」
事業が軌道に乗り忙しさもだいぶ落ち着いてきたので、今日はしばらく会えていなかったシスターエミリーに近況報告とハンバーガーの差入れをしようと、商会に出勤する前に教会に寄ることにした。
……のだが、取次ぎを頼んだ神官によると、なんとシスターエミリーが行方不明なのだという。
「アードルフ様には伝えたんですか?」
「いいえ、騎士様は最近は毎日のように見回りのついでにこちらに顔を出して下さっていたのですが、シスターエミリーがいなくなってしまってからはまだいらっしゃっておらず、お会いできていないのです」
なんて間の悪い……。
いつもストーカーのようにシスターエミリーの周りをうろうろしているくせに、一番大事な時に限っていないなんて。
しっかりしてよ、騎士様。惚れた女にいいところを見せるチャンスでしょうが!
心の中でアードルフをけなしながら、教会の入口で待っていてくれたカインと合流して、とりあえず商会に向かうことにした。
シスターが行方不明と聞いて、一番に思い浮かべたのは髭おやじによる誘拐だ。
シスターにかなり執着していたようだし、あの横暴な様子からしてあいつならやりかねないと思う。
でも、証拠がない。怪しいというだけで通報して良いものかわからない。
デニスさんはこの街の情報にかなり通じているみたいだし、彼ならいいアドバイスをくれるかもしれない。
商会に着いたらデニスさんに相談してみよう。
「心配だな。見慣れない顔の怪しげな奴らがうろついてるっていう噂もあるし、もしかしたらそいつらの仕業かもしれない。リリーも気を付けるんだよ。絶対に一人で行動しちゃだめだからね!」
「うん……」
急ぎ足で商業区画に向かうとカールハインツ商会が見えてきた。
店の前にはユーリが立っているのが見える。
中で待っていればいいのに、ユーリはいつもわざわざ店の前で私が来るのを待ってくれているのだ。
向こうも私たちに気が付いたようで、軽く手を振ってあいさつする。
その時、ゴーンという時計塔の鐘の音が鳴り響いた。
「やばい、もうすぐ訓練の時間だ」
「教会に付き合わせちゃってごめんね。商会はもうすぐそこだからここまでで大丈夫だよ」
「でも……」
「ユーリも近くにいるし大丈夫だよ。急がないと訓練に遅れちゃうよ」
「わかった、ごめんな! 本当に気を付けるんだぞ!」
私は足元のミルを抱き上げ、小さな前足を持って「いってらっしゃーい」とふりふりして、騎士学校の方向へ駆け出す兄の背中を見送ると、自分も商会の方へ足を向けた。
「今だ! やれ!」
「えっ?」
どこかで聞いたようなしゃがれた声に振り向こうとすると、誰かに突然口元を布のようなもので覆われ意識が遠のいていく。
意識を失う間際、慌てた様子でこちらに向かってくるユーリが見えた気がした。
大声で言い争うような声が聞こえ意識が浮上した。
目を開けても何も見えない。
麻袋のようなものに包まれているらしく、頬に当たる繊維がチクチクする。
起き上がろうとしたが、手足が縛られているようで体が動かせない。
猿轡まで噛まされている。
何これ、もしかして私、誘拐された!?
「なんで街道へ通じる門が全部封鎖されてやがんだ! いくらなんでも対応が早すぎるだろ!?」
「五月蠅い! 巡回の兵士がいつここに来るか分からないんだ! 見つかる前にさっさと出ていけ!」
「門で検問張られてんのにどこへ逃げろってんだよ!」
言い争う男二人の声、どちらも聞き覚えがあるような気がするが、声の主の一方は意識を失う前に聞こえた声と同じものだ。
一体どこでこの声を聞いたんだっけ……?
「全く、カールハインツ商会の新事業の妨害も全く上手くいっておらんし、この役立たずどもめ!」
カールハインツ商会の新事業って、ハンバーガーのこと?
思い出した、さっきのしゃがれた男の声、前にうちの店に現れたチンピラの一人だ。
そしてこの人を見下すような偉そうな声、エグモント商会のあの髭おやじに違いない。
チンピラを使って事業の妨害行為をしていたのはこいつだったのか……。
「ふざけんな、関係者があんなおっかねぇ奴らばっかりだなんて聞いてねぇよ! あんたの調査不足なんじゃねぇのか!?」
「えぇい、口答えをするな! こっちは高い金を払ってるんだぞ! つべこべ言わずに命令に従っていればいいんだ!」
事業の妨害の為に私を誘拐したってこと?
事業はもう軌道に乗っているし、今の段階で私がいなくなったところでヨナタンさえいれば正直事業に支障はないと思うんだけど……。
そこそこの貯えはあるといってもうちは下町のしがない定食屋だし、身代金目当てとも思えない。
何が目的なのかさっぱりだ。
「とにかく、あのお方は一刻も早くそいつを連れてこいとの仰せだ。お待たせするわけにはいかない。北の森から迂回していけばいいだろう」
「はぁ!? 魔の森を抜けろだって!? 俺たちに死ねっつうのかよ!?」
「あのお方からお借りした魔物除けの魔導具がある。それがあれば魔物に襲われることはない」
あのお方?
髭おやじが誘拐を命じたわけじゃなくて、黒幕がまだ他にいるってこと?
私どこかに連れていかれちゃうの?
「それ、本当に効くんだろうな? はぁ、何だってこんなガキを連れてかなきゃならねぇんだ。それも飼い猫も一緒にだと? そんな誘拐聞いたことねぇよ」
「五月蠅い。あのお方には凡人には理解の及ばない崇高な目的があるのだ。余計な詮索はせず、さっさと行け!」
「へいへい、わかりましたよ! 約束の金、忘れんじゃねぇぞ!」
飼い猫って、ミルのこと?
誰かが私とミルを一緒に誘拐するように命令した? 何のために?
わからないことだらけだが、二人の会話からこれ以上の情報を手に入れる事はできなかった。
……私、一体どうなっちゃうんだろう。
ガタゴト、ガタゴト
あの後、馬車の荷台か何かに乱暴に放り込まれた。
馬車は既に森の中に入っているらしく、足場の悪い道を無理やり進んでいるような不規則な振動が伝わってくる。
チンピラ達は先程の会話の通り、検問をしている門を避けて、北の森、つまり凶暴な魔物がうじゃうじゃいるというハーリアルの森の中を迂回して街道に出るつもりらしい。
まさか、こんな形で噂の魔の森に入ることになるなんて……。
魔物除けの魔道具があるって言ってたけど、本当に大丈夫なんだろうか?
ミルも私とは別の麻袋に入れられているらしく、私のお腹の辺りでくぐもったような鳴き声がさっきまで聞こえていた。
今は鳴き疲れたのか、丸くなって寝ているような気配を感じる。
ミルが無事でよかったけど、こんな時に眠れるその図太さを少し分けてほしい。
うぅ、怖いよぅ。お兄ちゃん、助けて……。
とてつもなく心細くて、ミルのぬくもりを少しでも感じるために膝を折るようにして丸くなった。
ガタゴトと暫く走り続けていたが、急に揺れが止まった。馬車が止まったようだ。
「う、嘘だろ!? 魔物は寄ってこないんじゃなかったのかよ!?」
「く、来るな! こっち来るんじゃねぇ! ぎゃあぁぁぁぁ!!!」
「た、助け……うぎゃあ!!!」
「ひぃぃ……」
チンピラ達の叫び声と倒れるような物音が聞こえてくる。
ま、まさか、魔物に襲われているんじゃ……。
こ、怖いぃぃぃぃぃ!
どうか、私達に気付きませんように……!
ぎゅっと目を瞑って物音を立てないように縮こまっていると、急に体が持ち上がるような浮遊感を感じたかと思ったら、べしゃっと地面に落とされた。
痛みに呻いていると、まぶしさを感じて自分が麻袋から出されたことに気が付いた。
驚いて顔を上げると、そこにはこの世のものとは思えないほど美しい人物が立っていた。
腰まで伸びた艶やかな髪、陶器のように滑らかな肌はどちらも透けるような白さで、顔もスタイルもまるで彫刻のように均整がとれていて人間味がない。
身に纏う衣装も白くドレープたっぷりで光沢があり、とても高級そうである。
全体的に真っ白で輝かんばかりの姿はとても神々しい。
神話に出てくる神様が実在したらこんな感じではないだろうか。
私が入っていたであろう麻袋を手に持っているが、薄汚れた麻袋がとんでもなく似合っていない。
輝かんばかりというか、この人、なんか本当にうっすら光ってない?
……誰?




