33. 神に感謝を <アロイス視点②>
その後は出来る限り迅速に動いた。
ユリウス様に関して緊急で相談したい事があると領主様に内密に時間を取ってもらい、自分の見聞きしたことを嘘偽りなく報告した。
「まさかあの者が……」と予想通り領主様は信じられない様子だったが、実際に現場を見てほしいという私の言葉に頷き、領主様自ら確認して下さることになった。
離れに一番人が少なくなる時間帯、就寝前の準備の時間が最も奴が油断するだろうと予想を立て、動かぬ証拠を押さえる為、領主様と自分、精鋭の騎士二名でユリウス様のお部屋に潜んで時を待った。
件の側仕えが入室し、やはり聞こえてきたのはユリウス様の尊厳を貶めるような暴言の嵐だった。
無能、役立たず、ごく潰し……。
私が聞いたものよりさらに輪をかけて酷い中傷の後に、そんなユリウス様をまともにできるのは自分だけ、自分だけは貴方の味方なのだと己に依存させるような言葉が続き、「ごめんなさい……」という主の小さな声も聞こえてきた。
吐き気がする。
幼子を虐待しておいて何が味方か……!
現行犯ですぐさま取り押さえたいが、お心が弱ってしまっているユリウス様を刺激しないよう、捕らえるのはユリウス様の前ではない場所でと予め決めてある。
腸が煮えくり返りそうなほどの怒りを何とかやり過ごし、側仕えが部屋を出ていった。
シン、と静まり返った部屋でユリウス様の寝息が聞こえ始めると、私たちは静かに部屋を後にした。
廊下に出て扉を静かに閉めた瞬間、領主様からぶわりと冷たい殺気が溢れ出した。
騎士の矜恃にかけてなんとか膝をつくことはしなかったが、体が震えるのを抑える事はできない。他二人の騎士も似たような状況のようだった。
恐る恐る領主様を伺うと、憤怒の表情で拳を握り締めていた。
血管が浮くほど強く握られた拳がぶるぶると震え、フーッ、フーッと肩で息をし、今なら眼光だけで人が殺せそうなほどだ。
これほどまでに怒った領主様を初めて見た。
側付きとなって日の浅い私ですら、あの場面を見て切りかかりたくなったのだ。
害されたのが愛する息子で、ましてや信頼を置き任せていた者がそれを行っていたと知った領主様のお気持ちはいかばかりであろうか。
「奴を、捕らえよ……!」
「「「はっ!」」」
怒りを押し殺すかのように低く絞りだされた領主様の命に私達はすぐさま頷き、何かあった際にすぐ駆け付けられるようにとユリウス様のお部屋の近くに与えられた側仕えの部屋に突入し、寝支度の最中であった側仕えを取り押さえた。
奴は何が起きたのかと目を白黒させていたが、私達が部屋に潜み話を聞いていたことを知ると、誤解だ、私はユリウス様のために、と慌てて苦しい弁明をし始めた。
領主様の殺気のこもった目でぎろりと睨まれると、ヒィッと腰を抜かしていたが、助けてやるつもりは毛頭ない。
「黙れ。今すぐに貴様を切り捨てたいのを必死で我慢しているのだ。命が惜しくばその汚い口を閉じていろ。……よくも、よくも私の息子をあそこまで侮辱してくれたな。貴様を信用し息子を任せた私が愚かであった。領主一族を害したのだ。軽い罰で終わると思うな。……連れていけ」
これ以上しゃべるなという領主様の言葉が理解できていないのか、側仕えはさらに声を大きくして言い訳にもならない言葉を並べていたが、領主様がそれ以上声をかける事はなく精鋭の騎士二人によってずるずると引き立てられていった。
「ユリウス……すまぬ……」
悔しそうにつぶやく領主様の小さな声を拾ったのはその場に残った私だけであった。
騎士による厳しい尋問の末わかったのは、奴は自分の出自を誇りに思っており、奴の家の数代前の当主が領主一族から婿入りした方で、その方が長男であったことから、本来なら自分が領主一族であるはずだったと思い込んでいたということだった。
なぜ真の領主一族であるはずの自分が、と歯噛みする思いを隠して城で働いていたところ、領主の次男の側仕えに任じられ、天才と称される時期領主の長男ならまだしもなぜこの自分がスペアなんぞに仕えなければいけないのかと、今まで胸に溜めこんでいた不満が爆発したのだという。
不本意な現状を打破するために奴が考えたのは、ユリウス様の心優しく素直な性分につけ込み、幼いうちから己の傀儡として洗脳することだった。
兄君と対立させあわよくば追い落とし、ユリウス様を領主に据え自分が実権を握るつもりだったそうだ。
思い違いも甚だしい。
我が辺境伯領は実力主義。兄弟で実力が拮抗していれば長男が家を継ぐこともあるが、基本的に家を継ぐのは子の中で一番優秀な者と決まっている。
その数代前の領主の兄も、辺境伯の後継者決めの際に優秀な弟に領主の座を譲り、争うことなく自ら伯爵家へ婿入りすることを決めたと聞いている。
本来であれば自分が領主一族だなどと、何をどうしたらそのような考えに至るのか意味が分からない。
その報告を聞いた関係者は皆、首をかしげていた。
未然に防がれたが、やろうとしたことは領主の地位の簒奪である。
筆頭側仕えは、最も過酷な環境だと言われる鉱山に送られる事が決定した。
孫がいてもおかしくない年齢である奴は、そう長く生きることはできないだろう。
調査の結果、伯爵家は無関係であることがわかったので連座になる事はなかったが、軽くはない罰が与えられた。
家財の一部没収と伯爵から男爵に降格、一族は今後一切領主一族の側近に取り立てられることはなくなり、領主一族の傍系であることを名乗る事はできなくなった。辺境伯領中枢からの事実上の追放である。
未然に防がれたのだからやり過ぎではとの声も一部から上がっているが、あの悪魔をのさばらせた罪は重いので、自業自得だと思っている。
一番許せないのはもちろん本人であるが、その家族も心の中ではどんな思いを抱いているかわかったものではない。
筆頭側仕えが捕らえられ真実が明らかになった後、領主ご夫妻からユリウス様に、筆頭側仕えを捕らえた事、奴が簒奪を狙っていた事、大きなショックを受けないよう様子を見ながら真実が伝えられたが、ユリウス様が反応を見せる事はなかった。
あんな奴の言う事は信じなくていい、今まで気づかなくて申し訳なかったと領主夫人に涙ながらに抱きしめられても無反応であった。
犯人が捕まっても、一度壊れてしまった心は元のように簡単には戻らないのだと私達は思い知った。
洗脳されかけ心を壊したなど、ユリウス様の名誉にかかわるので詳しいことは公表せず、側仕えの罪状は領主一族を害した事と領主の地位の簒奪を企てた事とだけ発表されたのだが、離れに移る前のユリウス様のご様子からいらぬ憶測が飛び交い、領主一族としての資質を疑問視する声まで出始めた。
何も知らないくせに、勝手なことを……!
もはや城内にユリウス様の心休まる場所はないと判断され、領主様が信頼をおいている商人の元に身を寄せることになった。
領主一族とも関わりのある裕福な商家といえども、平民にご子息を預けることに領主夫人が始めは難色を示されたが、信じていた側近の裏切りにあったことで貴族はもはや信用できないし、腫物のように扱われるよりユリウス様を知らぬ者ばかりの方が気が楽だろうとの事で、この案が進められることとなった。
護衛騎士である私はもちろんついていくが、ユリウス様に気付かれぬよう、陰ながらお守りするよう命じられた。
私は今度こそそのお心ごとお守りしてみせると決意を新たにし、どうか主の笑顔をまた見ることができますようにと神に祈りを捧げた。
「うぅ……ぐすっ……ユ゛、ユ゛リ゛ウ゛ス゛ざま゛……よ゛、よ゛がっだっ……う゛ぅ、ぐずっ……」
物陰から見える我が主は、茶髪のポニーテールの少女と手を握り合い赤い顔で笑っている。
先程の拗ねたようなお顔も、ぽかんとしたお顔も、ここ最近はずっと見ることのできなかったものだ。
ユリウス様が感情のままに表情を変える姿を目にすることができ、私は滂沱の涙を禁じえない。
リリーという少女と出会ってからのユリウス様の変化は良い意味で驚くことばかりだった。
危うく馬車に轢かれるところだったのは騎士として猛省すべき事ではあるが、ずっと泣くこともできなかったあの方が大声をあげて泣く姿に、あのお方の中にまだ感情はあるのだと安心してしまった。
急に自分も事業をやると言いだした時には大丈夫だろうかと思ったが、私の心配をよそに瞬く間に仕事を覚え生き生きと働くようになり、子供の成長とはこんなにも早いものなのか、と驚愕させられた。
定期報告でユリウス様の成長を領主夫妻にご報告差し上げた時には、お喜びになる一方で「わたくし達は見れないのに、アロイスばっかり近くでユーリの成長する姿を見ることができてずるいわ」と領主夫人に嫉妬されてしまった。
ぷくっと頬を膨らませて拗ねるそのご様子は、先程のユリウス様と瓜二つであった。
生気が感じられず、ぼんやりと虚空を見つめていたユリウス様はもういない。
またあの笑顔を見ることができて、本当に、本当によかった……。
私の願いを聞き届け、主をリリーと出会わせて下さった神に感謝の祈りを捧げた。
(ママー、あのひとなにしてるのー?)
(しっ! 見ちゃいけません!)
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