26. みんなが帰った後で in商会長室 <デニス視点>
今回ちょっと短めです。
商会長室で書類に目を通していると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。
「商会長、イーヴォです」
「入れ」
部屋に入ってきた補佐役のイーヴォの持つトレーには、湯気の立ち上るティーカップが乗っている。
軽く目を通すだけのつもりがいつの間にかかなり時間が経っていたようだ。
窓の外を見るともう空が暗くなり始めている。
「リリーはもう帰ったか?」
「はい。ユーリ様とヨナタンが送り届けるといって、先ほど三人で出ていきました」
「ユーリの様子はどうだった?」
商売などしたこともないのに、自分も事業に参加するといって聞かなかった、意外に頑固な少年のことを思い出す。彼がうちに来てから自分の意思を見せたのは初めての事だった。
「やはり事業に参加するのをやめるつもりはないようです。私が見習いと同等に扱う、敬語を使うようにと言ったら、ぎこちないながらも敬語で話されていました。こちらの寿命が縮むかと思いましたよ」
苦笑を浮かべているイーヴォは、この店で私以外に唯一ユーリの出自を知っている。さぞ血の気が引いたことだろうと思いねぎらってやる。
「それは……すまなかったな。お前には苦労を掛ける」
「いいえ。何にせよ、ユーリ様が何かにご興味をお示しになったのです。良かったではありませんか。こちらに来たばかりの頃のあの方は本当に抜け殻のようで、見ていられませんでしたから……」
イーヴォの言葉に、目を開けているのに何も映っていないような昏い瞳で、何をするでもなくぼーっと佇んでいた姿を思い出す。あれは、五才の子供がしていいような目ではなかった。
「改めて確認ですが、他の見習いと同じように扱えというお言葉は本気ですか? あの年齢の子供にはかなり厳しいものとなると思いますが」
「それでいい。ユーリを知る者のいない環境で、他の者と同様に扱ってほしいというのが、あのお方のご意思だからな。それに、あの子は聡い。こちらが忖度しようものならすぐに気付いてまた心を閉ざしてしまうだろう。なぁに、神童と呼ばれる彼の兄と比べれば凡庸かもしれないが、ユーリも普通からしてみれば十分優秀な部類なんだ。こちらの心配をよそに、商売人としてぐんぐん成長するかもしれないぞ」
「……優秀と言えば、あの少女、すごかったですね」
イーヴォの言葉に少し遠い目をしてしまう。
「あれは、優秀とかいう次元じゃない。他にない商売の形を思いつき、私を納得させるほどの論理立った資料を作成し売り込んできたばかりか、私の圧にも屈せず利益をもぎ取る胆力まである。あれには私も自信を失いかけたぞ……」
「商売の駆け引きで譲歩させられる商会長を久しぶりに見ましたよ」
クスクスと笑う補佐役に思わずじとりとした目を向けてしまう。
こら、お前は私の味方だろうが。
「あれで六才だなどとは、にわかに信じられん。道半ばで死んだ敏腕商売人の幽霊が乗り移っている、とかではあるまいな。そう言われても納得してしまうほど、あの子の話す内容、頭の回転、上品な立ち居振る舞い、全てが下町の子供のそれからかけ離れていた。ユーリは一体どこであんな化け物を見つけてきたんだ?」
「アロイス様の話によると、本日道の真ん中でぼんやりしていたユーリ様が馬車に轢かれそうになったところをリリーに助けられたそうです。その後、お腹を鳴らせたユーリ様に自分の持っていた昼食を分け与えたのだとか」
「ちょっと待て。今日会ったばかりなのか? 前から友人だったとかではなく?」
「残念ながら、ユーリ様に友人と呼べる存在はいらっしゃいません。それは商会長もご存知でしょう。広場のベンチに移動して昼食をとろうとしたところ、二人のやり取りは聞こえなかったそうですが、リリーの言葉にユーリ様が突然激高し、大泣きされたそうです」
「大泣き!? あのユーリが!?」
「はい。しばらく大声で泣き続け、リリーに慰められていたとのことです。アロイス様が、ユーリ様はどんな状況でも決して泣くことはなく、我慢して自分を追い込んでしまっていたため、今回感情を発露している姿を見て、不謹慎にも安心してしまったと仰っておられました」
記憶にあるユーリは常に大人びていて、言葉少なく淡々と話す子供らしからぬ姿しか見たことがなかったので、大泣きと言われても全く想像ができない。
「はぁ。リリーの子供らしからぬところが、何かユーリの琴線に触れたのだろうか……? 詳しくはわからないが、あの二人は相性がいいのだろう。リリーが彼にいい影響を与えてくれることを祈ろう」
「そうですね」
明るい未来に思いをはせ、イーヴォと二人、温かい紅茶でひと息入れた。
この時は、リリーがユーリのみならず、自分や商会に並々ならぬ影響を与え、自分達が大きな波に飲まれていくことになるとは、想像だにしていなかったのであった。
惜しい。
正解は「道半ばで死んだ限界OLが転生した姿」でした。
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