114. 壁ドン <ユーリ視点>
それを見たのは偶然だった。
日課の鍛錬を軽めに終えて、自室に戻ろうと寮の廊下を歩いていた時になんとなく窓の外に目をやったら、中庭で自身が長年片思いをしている女の子と、尊敬はしてるけど色々あって一方的に複雑な感情を抱いている実の兄が抱き合っていた。
「は?」
目の前が真っ赤に染まり、体中の血が沸騰したような心地だった。
怒りとも悲しみともわからないどす黒い感情が腹の底から込み上げてきて、気が付いたらリリーを空き部屋に引きずり込んでいた。
彼女の華奢な体を壁に押し付けて、その両側に手をついて逃げられないように囲う。
「さっきの……何?」
思いの外低い声が出て、リリーの表情に怯えが感じ取れたが、頭に血が上っていて抑えることなどとてもできない。
「ユ、ユーリ? びっくりした。どうしたの……?」
相手が僕だとわかって安心したのか、リリーのこわばっていた肩の力が抜け、キョトンとした様子でこちらを見てくる。
普段なら可愛いなと思うような仕草だが、今は憎らしくて仕方がない。
異性としてはありえないほど近い距離にいるっていうのに、その危機感のない顔は何なんだ。
男としてまったく意識されていないことをまざまざと突きつけられ、もう、どうしてやろうかという気持ちになった。
何からも守ってずっと笑っていてほしいと思っていたはずなのに、今はなんだか酷く泣かせてやりたい。
「結局、君も兄上がいいんだ? 何なの、何なんだよ……。これじゃ、僕が馬鹿みたいだ……!」
リリーが好きで、リリーの隣にいる権利が欲しくて、外堀を埋めようと必死に画策していた自分が本当に空しくなってくる。
兄上が多くの人に慕われ、女性にもとてもモテるというのはわかってたけど、結局こうなるのか、馬鹿馬鹿しい。
やっぱりリリーも年上の方が頼りがいがあっていいっていうのかよ。
リリーは僕に対してたまにお姉さんぶろうとしてくる時があって、可愛いけど微妙な気持ちにもなる。
僕が年下だから、駄目なの? そんな、自分ではどうしようもないことで相手にしてもらえないだなんて、納得できない。
たった一つの年の差が、こんなにも大きくて、苦しくて、悲しい。
どうして、僕はリリーと同じ年に生まれなかったんだろう。
「え、な、何? 何の話?」
本当に訳が分からないという様子のリリーを見てさらに悲しくなってくる。
自分の行動が僕を傷つけているということにまるで思い当たらないのか。僕は君にとってそんなに取るに足らない存在なのか。
なんでわからないんだよ!!
「ユーリ……? 泣いてるの?」
僕を見てハッと表情を変え、心配そうに差し伸べられた手を感情のままにはたき落とす。
同情なんていらない。僕が欲しいのは、そんなものじゃない!
「泣いてないっ! もう、何なの君……。もうやだ、辛い。リリーのこと好きでいるの、苦しい……」
「えっ……?」
辛くて苦しくて悔しくて、このままだと本当にリリーをひどく傷つけてしまいそうで、一歩距離をとって俯き大きく息を吐く。
もう無理だ、やめたい。僕、なんでこんなに残酷なまでに鈍感な子のことを好きなんだろう。リリーに出会った頃の自分に言ってやりたい、その先は茨の道だ、絶対にやめた方がいい、と。
そう思うのに、長年僕の心に棲みついてしまったこの気持ちは、簡単には消えてくれないだろうことは容易に想像がつく。
ああ、なんて不毛なんだ……。
己の報われない恋心を嘆いていると、リリーがこの場にそぐわない間の抜けた調子で信じられないことを言った。
「え、ユーリって、私のこと好きなの?」
「は……? っはあああぁぁぁ!?」
今さらそれ言う!?
ありえなさすぎて勢いよく顔を上げると、リリーが初めて聞いたようなポカンとした表情をしていた。
「なんっ、なに、その反応!? 僕、好きだって言ったよね!?」
「えっ? い、いつ?」
「子供の頃! 好きって言ったし、抱きしめた!」
「えっ、あ、ああ! でも、小さい頃の話だし、友達としてって意味かと……。えっ、あれって、男女の、そういう意味だったの?」
「男女のそういう意味だよ!」
「ご、ごめん、まさか、そういう意味だと思わなくて……」
「なんでだよ! ていうか、それ以外でもたくさん態度で示してたじゃん! 夜会でもエスコートしたり……今まで何だと思ってたの!」
「お、弟として、慕ってくれてるんだとばかり……」
「そんなわけないじゃん! 鈍すぎるにも程があるよ!」
「え、ご、ごめ……」
「謝らないで! よけい惨めになるから!」
うそでしょ……。
これまでのアピールが、何一つ伝わってなかったなんて……。
鈍い鈍いとは思ってたけど、まさか、ここまでとは。
なんだか一気に力が抜けてしまいその場にしゃがみ込む。
「あの、ユーリ……」
「待って。今返事するのはやめて。どうせお断りなんでしょ。その答えは受け取れない」
「えっ、えっ?」
リリーの表情からは困惑と申し訳なさしか読み取れない。
勢いで告白したみたいな感じになってしまったけれど、この流れで色よい返事がもらえるだなんて思えるわけがない。
こんな、事故みたいな形でこれまでの自分の気持ちや努力に決着がつくなんて冗談じゃない。
本当はこんな風じゃなくて、全て整えてから改めて自分の気持ちを伝えるつもりだったんだ。
どうせ諦めることなんてできないのだから、せめて自分ができることはすべてやったと納得できるまでやり切ってから散りたい。諦められる……かどうかはわからないけど。
もう腹をくくろう。
ここまできたらリリーが兄上のことを好きだろうが関係ない。僕は僕のやりたいようにやるだけだ。
「例えリリーが兄上のことを想っていても、僕の方がいいと思わせてみせるから、返事はもうちょっと待って」
「……あの、さっきから気になってたんだけど、なんで今レオン兄様が関係あるの?」
もう開き直って決意表明をしたら、こてりと首を傾げながらそんなことを言われたので、引いていたイラつきが再度湧き上がってきた。
「……抱き合ってたじゃん、兄上と」
言わせないでよ、こんなこと。
我ながらすごーく機嫌が悪そうな声が出たと思う。
「えっ? あ、ああ! さっきの話? 見てたの?」
「見えたんだよ! たまたまね! あんな、誰が見るともわからない中庭で、お熱いことですね!」
「ち、違うよ。あれはそういうのじゃ……」
「何が違うの!? 想い合ってるんじゃなかったら、何がどうなって若い男女が抱き合うような状況になるのさ! 転んだのを支えてもらったとでもいうつもり? そうは見えなかったけど!」
「いや、そうじゃなくって……」
「それとも騎士同士で健闘を讃え合って抱き合うようなものだとでも言うの? でもリリーは騎士じゃないじゃん! 言い訳したって騙されないからね!」
まるで浮気の言い逃れをするかのように煮え切らないリリーの態度にイライラが止まらない。
兄上が好きだからとハッキリ振られるのは困るくせに、はぐらかされるのも許せない。
自分でも矛盾してると思うけれど、どうしても止められない。
そういえば昔、下町の往来で旦那さんの浮気をガン詰めしている奥さんを見かけたことがあったけど、今になってあの奥さんの気持ちがよくわかる。
……知りたくなかったな、こんな気持ち。
「うう……本当に違うのに……」
リリーはほとほと困り果てました、みたいな顔をして肩を落としている。
落ち込みたいのはこっちの方だ。絶対に。
「あ、あのね、抱き合ってたのはそうなんだけど、レオン兄様とは本当にそういうのじゃなくてね……えっと、説明が難しいから、ちょっとついてきてくれる? ユーリなら、多分大丈夫だと思うから」
記憶の中の浮気夫よろしくしおしおになっていたリリーはそう言うと、こちらの返事を聞かずに僕の手を取って歩き出した。
こんな時でもリリーに触れられて喜んでしまう自分が恨めしい。
けど、兄上とは何でもないという証明をしてくれるというのなら、何がどうして抱きしめ合うことになったのか、理由をきっちり説明してもらおうじゃないか。
曖昧な説明じゃ僕は絶対に納得してやらないからな、と不貞腐れながらリリーに手を引かれるままにとぼとぼと後をついていった。
「なにこれ……」
リリーに連れていかれた先、僕たち領主一族専用の談話室では、なぜか兄上がソファで三角座りして、側近たちにかいがいしく世話を焼かれていた。
「レオンハルト様、ホットミルクが入りましたよ。ほら、温まりますよ」
「……うんと甘くして」
「はちみつもたっぷり入ってます」
兄上の筆頭側仕えがやれやれという態度でホットミルクの入ったカップを兄上に渡しているが、その目はまるで孫を見るかのような慈愛に満ちている。
三角座りのままカップを受け取った兄上は、それにちびちびと口をつけていた。兄上のこんなに行儀の悪い姿、初めて見た。
それに僕の勘違いじゃなければ、兄上は、なんだかすごく、めそめそしているように見える。
「……何があったの?」
「それが、先ほどレオンハルト様が意中の女の子に振られてしまい落ち込んでおりまして……皆で慰めているところなのです」
兄上の護衛騎士であるフェリクスを捕まえて事情を聞くと、そんな言葉が返ってきた。
フェリクスは、「もう、困ったさんなんだからー」という軽い感じで兄上を見て苦笑しているが、僕はちょっと目の前の光景が信じられない。
兄上って、こんなんだったっけ?
それに、あの兄上が、振られた……?
リリーと抱き合っていた衝撃が強すぎて忘れていたけど、そういえば兄上は近頃リリーの側近のクラウディアと距離を縮めていたのではなかったか。クラウディアに婚約を打診したが断られたということなのだろうか。
兄上の求婚を断る女の子なんて、この世にいるの……?
困惑して立ち尽くしていると、何故か部屋にいたカインが兄上の傍らに立ち、呆れた顔で見下ろしていた。
「さすがに、『俺は風だ』はないですよ……」
「もうそれはわかったってば! 兄妹揃って傷口を抉ってこないで! っていうか見てたの!?」
「たまたま聞こえてきたんです」
何の話かは分からないが、カインの言葉に「うわぁぁぁん!」と喚き、両手で顔を覆った兄上はソファに突っ伏してしまった。
あ。あのポーズは、たしか『ごめん寝』というんじゃなかったか、とかつてお昼寝中のミルを見てリリーに教えてもらった謎知識のことをふと思い出した。
「あ、こら、カイン! せっかくちょっと持ち直してきてたのに! 何してくれてるんですか!」
フェリクスがカインに対してプンプンと怒り、兄上はごめん寝ポーズのままめそめそしている。
え、誰……? あれ、本当に兄上なの?
何でもできて完璧だと思っていた兄上の情けない姿に理解が追い付かない。
立ち尽くす僕の隣にそっと立ったリリーが、こちらの顔色を窺うように見上げてきた。
「諸事情あって、レオン兄様がクラウディアにプロポーズした現場に同席していたのですが、うまくいかなくて。初めて女の子に振られて落ち込んでしまったレオン兄様が、抱きしめて励ましてほしいと言うのでああいうことになったんです。わかっていただけましたか?」
他人のプロポーズ現場に同席することになる諸事情って一体どんな事情だよと思ったけど、本当にリリーと兄上がどうこうという話ではないことはまぁ理解できた。
というか、それよりも……
「ねぇ、兄上って、あんな人だったっけ……?」
「わたくしも初めて知りました。レオン兄様は、意外と打たれ弱くて、さみしがり屋さんだったみたいです」
「ええー……」
初めて見る兄の意外な一面を受け止めきれずに呆然としていると、リリーはクラウディアを慰めに行くと言ってさっさと部屋を出て行ってしまった。いつの間にかカインもいなくなっている。
退室するタイミングを見失ってしまった僕は、「ユーリ! カインとリリアンナが酷いんだ! 厳しいことばっかり言う! お前は俺の味方だよね!?」と癇癪を起こした子供みたいになった兄上に捕まってしまった。
落ち込んだ兄上はくだを巻きぐだぐだと絡んできて、めんどくさいことこの上なかった。
お酒でも飲んだのかと思ったが、酒の瓶などはあたりに見当たらない。
うそでしょ、ホットミルクで酔っぱらってるの、この人!?
あれ、僕なんでここにいるんだっけ……?
これまでの感情の変化に疲れ切ってしまい頭がうまく働かず、よくわからないままひたすらめそめそする兄を慰め続けた。
リリーが相手だと、どうしてもロマンチックにはなりませんね……。
ユーリの目には、レオンは実態以上に大きくかっこいい存在として映っていたようです。剣の天才だということは間違いないんですけどね。
プロポーズの現場をカインが一体どこから見ていたのかは、影の者ぞ知る……。




