10. 新メニュー考案委員会
「すごいわ、リリー! 読み書きも計算も、あっという間に覚えてしまうんだもの! きっと神様から素晴らしい才能を与えられて生まれてきたのね」
教会保育園に通い始めて数日、基本字と四則計算を難なく覚えた私を、シスターが目をキラキラさせながら手放しで褒めてくれる。
別の世界で三十年近く生きた記憶という名のチートの賜物なので、申し訳ない気持ちになってしまう。
……異世界転生のチートとしては初期装備というか、大変しょぼいチート具合ではあるけれど。
自重せずに子供らしくない能力を見せても気味悪がらずに受け入れてくれるのは正直ありがたかった。
シスターの悪意のない純粋な賞賛にはじめは落ち着かない思いをしていたが、それにもだいぶ慣れてきて、今では彼女の事を大好きになってしまった。
百合は生前、特に好きなアイドルや芸能人はいなかったが、前世でいう「推し」というのは、こういう気持ちの事をいうのかもしれないと思った。
言うなれば、シスターエミリーは今世での私の二番目の推しだ。
誰にでも分け隔てなく優しく接してくれて、おまけに美人で愛嬌があって、子供たちや保護者の方々にも大人気である。
ちなみに、一番目の推しがお兄ちゃんであることは言うまでもない。
最近さらに兄の紳士的な振る舞いに磨きがかかっていて、疲れてないかとか段差に気を付けてとかこまめに心配してくれたり、自分でも気付かない体調の変化を察してくれたり、送り迎えの時には色んな話をして楽しませてくれる。
先日シスターに髪に挿してもらったお花を見て、似合っているとさわやかスマイルで褒めてくれた時は流石に赤面してしまったほどだ。
細やかな気配りができて、少しの変化にも気付いてくれて、トークも上手く、褒め上手。
……将来女殺しになる予感しかしません。
「しすたー。つかわないかみとぺんって、ありませんか? わたしにできることならなんでもおてつだいするので、できればゆずってほしいんです」
文字も覚えたし、家計簿をつけるぞ! と思ったら、書くための筆記用具もなかったのである。
生前に見た異世界転生モノの小説では貴族に転生するものばっかりだったから、まさかこんな初期段階で躓くなんて思ってもみなかった。
転生平民、きっつぅ……。
「そうねぇ、あるにはあるけれど、いったい何に使いたいの?」
「うちのおみせのちょうぼをつけます。うりあげをかんりして、おにいちゃんのきしがっこうのおかねをためたいんです。うちにはひっきようぐがないので」
「まぁ……!」
このシスターなら私が何を言っても怪しむことはないだろうと思ったので、正直に用途を答える。
シスターは相変わらず感激屋さんのようで、目に涙をためてぷるぷるしていた。
「……っそういうことなら、喜んで協力するわ。お手伝いなんてしなくても好きなだけ持っていっていいのよ」
「そういうわけにはいきません。ただでもらってしまったら、そのつぎにたのみにくくなるから。おてつだいのたいかとして、もらいたいです。よみかきけいさんをおぼえたので、しょるいしごとならきっとちからになれます」
「まぁ!しっかりしているのね。きっとご両親の教育が素晴らしいのでしょうね。じゃあ、私の書類仕事がある時には、お手伝いをお願いしちゃおうかしら。きっと帳簿をつける練習にもなるはずよ」
微笑ましいものを見るような目で私の提案を了承したシスターは、私が本当に書類仕事に役立つとは思っていなさそうだ。
しかし、私は前世で培った事務処理能力をフル活用する気満々である。
こうして、なんとか事務バイトの給料として筆記用具をもらう約束を取り付けることに成功したのだった。
筆記用具が手に入ったら、店のひと月分の収支や兄が集めてきてくれた情報をまとめて、両親に向けた経営改革案のプレゼン資料を作成したいと思っている。
兄からの情報によると、予想通りうちの店の原価率はかなり高く利益はすずめの涙ほどだった。
資料として目に見える形で現実を突きつけて、両親にはメニューの適正価格への変更にぜひとも頷いてもらいたい。
ただ、値上げを決行して客足が遠のいてしまっては元も子もない。
その値段でもこの店に足を運びたいと思うほどの魅力が必要なのである。
そこで、私の前世知識を使った新メニューができないかと考えた。
料理に関しては専門知識と呼べるほどのものはないが、節約のために自炊もしていたので簡単な家庭料理であれば私にも作り方はわかる。
過労死する直前のあたりはほとんどもやしばかりだったけど……。
うちの店の主な客層は肉体労働系のマッチョなおじさん達なので、新メニューはやはり肉料理がいいだろう。
うちの店で肉といえば、煮るか焼くかのどちらかで味付けもシンプルなものばかりだ。周辺の店も大体似たような感じである。
というわけで、始まりました、お兄ちゃんとリリーの新メニュー考案委員会!
食べ物で遊ぶなと反対されるかと思ったけど、食材とキッチンを使う事をすんなりと許してもらえたので、今日はお父さんとお母さんが仕込みをしている厨房の片隅でカインと新メニュー考案にいそしんでいる。
メニューはマッチョも子供もみんな大好き、ハンバーグだ。
ここではひき肉なんて売っていないので、肉は自分でミンチにするしかない。
実は前世で、ひき肉が売り切れていたがどうしてもハンバーグが食べたくなり、豚と牛の薄切り肉を自分であいびきにして作ったことがある。多大な労力がかかったのでそれきりだったが、まさかその経験が今活きるとは人生とは不思議なものである。
肉は脂身が少なく赤身が多い硬めの部位を選んでもらい、牛と豚の比率は七対三。今はカインが肉を細切りにして、包丁で叩いて細かくしているところだ。
「リリー……。こんなにぐちゃぐちゃにしちゃって、ホントに食べられるのか?」
「だいじょうぶ。きっとおいしくできるはず。がんばって、おにいちゃん」
さすがに危ないと包丁を持たせてもらえなかったので、調理は基本的にカインがすることになった。
普段から料理の仕込みを手伝っているので、包丁捌きも危なげない。
ハンバーグが完成するかどうかは彼にかかっているといっても過言ではないのでがんばってもらいたい。
カインはこれが本当に料理になるのかと訝しげにしながらも、手を止めずに言ったとおりに作業してくれて、ミンチが完成した。
次は玉ねぎのみじん切りだ。
「わわわ、なんだこれ、目が痛いよ!」
玉ねぎを切ったのは初めてだったようで、目からぽろぽろ涙をこぼして驚いている。
父は玉ねぎの処理は兄にはさせずに自分で行っていたみたいだ。
だから優しさがわかりづらいって、お父さん……。
大人より目線が近い分、玉ねぎの攻撃力も高いようで、カインの涙はもう洪水のようだ。
応援することしかできないのが心苦しくて、近くで励ましていたら自分も食らって、二人して泣きながらなんとかみじん切りができた。
「これを、きつねいろになるまでいためて、さまします」
それなら簡単だ、とホッとした様子でカインはささっと手際よく玉ねぎを炒めはじめた。
ミンチと玉ねぎで心が折れかけていたらしい。
あともうちょっとです。がんばれ、お兄ちゃん!
きつね色になった玉ねぎを冷ましている間に、次はパン粉を用意する。
市販のパン粉なんてものももちろんなく、自作するしかない。
パン粉にどんなパンが適しているかなんて知らないので、とりあえず普段食べているカチカチのパンを使って作ってみることする。
カチカチ故におろし金ですりおろすことができたのは僥倖だった。
ざりざりとカチカチパンをおろしながら兄が苦笑する。
「なんだかリリーの料理はなんでも細かくするんだな。こんな料理、どこで覚えたんだ?」
「えぇっとね……ゆめのなかにでてきたの。すごくおいしかったから、おにいちゃんやみんなにもたべてほしいとおもったんだよ。ぜったいにおいしいから、たのしみにしててね」
本で読んだとかも考えたけど、じゃあ見せてと言われても困るので、夢で見たことにする。
ほら、小さい子が、お腹の中にいたときに何を考えていたとか、初めてきた場所なのにここ知ってるとか、不思議な事を言ったりすることがあるじゃないですか。
そういう感じで納得してもらえないかな、無理があるかな、と内心焦っていると、兄は「そうか……」と妙に納得したような顔をしてそれ以上何も聞いてこなかった。
……セーフ?
「つぎに、ぜんぶのざいりょうをいれていきます」
兄が大きめのボウルにひき肉と冷ました玉ねぎを入れていく。
「パンくずはこれ全部入れていいのか?」
「ううん、ちょっとでいいよ。このすぷーんで、うーんと、よんはいくらい」
細かい分量はさすがに覚えていないので、なんとなくこんなもんかなで最初はいってみる。
失敗したら分量を変えればいいのだ。
「あと、たまごいっこと、ぎゅうにゅうもすぷーんよんはい、しおこしょうしょうしょう」
「わかった」
カインが手早く指示通りに材料を投入していく。
「では、てをあらったら、まぜあわせます」
二人で手を洗って、小さなお手手でぐにぐにと材料を混ぜ合わせていく。
全工程の中で私が力になれるのはここくらいなのでがんばるのだ。
「ははっ、なんかぐちゃぐちゃしてて、おもしろいな」
粘り気がでて出来上がってきたタネに兄が手形をつけたので、私もその横にぽんと紅葉マークをつけると、目が合ってえへへ、と二人で笑い合う。
私の表情筋は死滅しているらしいので、上手く笑えていたかはわからないけど。
「これをたたきながらまるくして、まんなかをくぼませます」
私の小さな手だと中々上手くできないが、ぺちぺちと叩きながら小判型に見えなくもない形になんとか整えて見本を見せる。
「……うーん、こうか?」
カインはすぐに要領を掴んで、私のいびつな小判よりよっぽど綺麗に成形してしまった。
うぅ、手の大きさだけじゃない才能の差を感じる。
もしかして、私って不器用……?
「では、これを、やいていきます。りょうめんにごげめがついたら、みずをいれてふたをします」
「うわぁ、いいにおいがしてきた! もうすぐ完成か?」
「うん、これであとは……あ」
サーっと血の気が引いた。
しまった、ソースのことを考えていなかった。
ケチャップとウスターソースを混ぜて作ればいいと思っていたけど、この世界、ケチャップもウスターソースもないではないか。
あああ、ミンチとパン粉は作らなきゃと思っていたのに、ソースのことを忘れるなんて。
私のバカッ!
「リ、リリー? どうした? 頭痛いのか?」
話し途中で急に顔を青くして頭を抱える私を見て、カインがおろおろとしている。
「ううん、ちがうの。ちょっとわすれてたことがあっただけ。しょうがないから、きょうはべつのものであじつけすることにする」
ソースのことはまた後日なんとかするとして、今回はいつも店で肉を焼くときにかけているスパイスミックスを代用することにした。
食欲をそそるスパイスの良い匂いがするけど、これじゃない感がすごい。
一応完成はしたので、みんなで試食することにする。
一つだけいびつな私作のハンバーグは責任もって自分で食べようとしたのだが、カインが自分が食べると頑として譲らず、兄作のきれいなやつを頂くことになってしまった。
推しがイケメンすぎてつらい……。
「すごくおいしいよ! リリー! ちゃんと肉の味がするのに柔らかくて、肉じゃないみたいだ!」
「本当だね。せっかくの肉をぐちゃぐちゃにし始めた時はどうなる事かと思ったけど、こんなにおいしくなるなんて! すごいじゃないか、店で出してもきっと売れるよ!」
兄と母がおいしいおいしいと喜んでいる横で、父も無言ながら二人に賛同するように頷きながら食べている。
違うんだよ、ハンバーグ本体はこれでいいし、スパイスの味付けも悪くはないんだけど……。
最初は物珍しさで注文する客もいるだろうが、肝心の味付けがこれまでと同じではすぐに飽きられてしまい、店の目玉商品にするには足りない。
やっぱりハンバーグはあのソースじゃないと。
無表情でもきゅもきゅとスパイス味のハンバーグを咀嚼しながら、絶対にハンバーグソースを作るぞと心に炎を燃やすリリーなのだった。