107. 優しい世界の崩壊 <ヴィクトール視点>
夜会の数日前から始まります。
※誤字報告ありがとうございます。
大事なところを間違えておりました。大変失礼いたしました。
「フローラ、最近浮かない顔をしているね。何かあったのかい?」
思いが通じ合いついに恋人同士となった私たちだったが、幸せに満ちていたフローラの表情がここ最近は曇りがちになっていた。
「な、何でもないんです。私は大丈夫です」
今もまた俯いていた彼女に声を掛けると、取り繕うように笑顔を作っていたが、それはいつものような花開くような笑みではなく、無理をしているのが隠しきれていない。
「無理しなくていい。私たちの間に隠し事はなしだよ。一体何が君の笑顔を曇らせているのか教えておくれ」
「ヴィクトール様……。じ、実は……」
フローラの手を取り話を促すと、みるみるうちに彼女の目には涙が貯まり、現在置かれている状況に関して話し始めた。
フローラが言うには、なんと形式上は私の婚約者であるヴァルツレーベン辺境伯令嬢が、フローラに対していじめを行っているというのだ。
「なんということだ。まさかヴァルツレーベン辺境伯令嬢が私に隠れてそのような非道な行いをしていたとは……」
「わ、私が悪いの。ヴィクトール様にはリリアンナ様という婚約者がいるってわかっていたのに、私が気持ちを抑えられなかったから……」
「君は何も悪くない。あの者には最初から私の愛を期待するなと伝えてあったのに、夜会のエスコートをしていたことで増長したのだろう」
「ヴィクトール様の婚約者に対して本当はこんなこと言いたくないけど、私、あの人はあなたにはふさわしくないと思うわ。あんな風に陰湿な人が婚約者だなんて、ヴィクトール様がかわいそうよ!」
「私のことを心配してくれるのかい? 君は優しいね。だが私のことよりも君の方が心配だ。どうやら私は、ヴァルツレーベン辺境伯令嬢を少々自由にさせすぎたらしい。私の大切な者に手を出すというのならもう黙ってはいられない。あの者との婚約は破棄する」
「そ、そんな、二人の婚約は国にとって必要なものだって……。ほ、本当にいいの?」
「ああ。この婚約の目的は、ヴァルツレーベンと縁戚となって深いつながりを作り、ゆくゆくは自治を撤廃させることにある。婚約がなくとも、私だけの力で成し遂げてみせるさ」
今の状況は、そもそも父王の甘さが招いた結果だと思っている。
数年前のスタンピードの折、辺境伯領はこちらからの救援を断り領地の危機を自分達の力で解決した。その功績に対して王家がかけた温情にあぐらをかく厚かましい者たち、それがヴァルツレーベンだ。そんな奴らの顔色を伺う必要などない。
私が王になった暁には、辺境には毅然とした態度で対応しようと思っている。
あるべき形に戻すだけだ。婚約などなくとも、私にかかれば決して難しいことではない。
「ヴィクトール様……! 素敵! ……国のためにがんばるあなたを、私が側で支えられたらいいのに」
「私が隣にいてほしいと思うのは君だけだ。どうか、ずっと私の側にいてほしい」
「そ、それって……」
「ヴァルツレーベン辺境伯令嬢との婚約が破棄されたら、私と婚約してくれるかい?」
「ほ、本当に……?」
「ああ。次の夜会では、私にエスコートさせてほしい」
「嬉しい……!」
感極まった様子のフローラが私の胸に飛び込んできて、そのまま私たちはしばらく抱き合っていた。
今思い返せば、この瞬間が幸せの絶頂だった。
「ヴィクトール様。寮のエントランスにフローラ嬢がいらっしゃっています」
夜会の日の朝、そんな知らせが側仕えから齎された。
夜会に出発するには早すぎる時間だが、一体どうしたのだろう。
「えへへ、楽しみすぎて、早く来ちゃった! 実はね、いつも夜会でリリアンナ様と合わせた衣装を着ているのが素敵で、いいなって思っていたの。タイガーリリーブランドっていうんでしょう? 流行の最先端で予約も数年先まで取れないって話なのに、毎回タイガーリリーの新作を身に着けられるなんて、流石王子様ね。私がタイガーリリーブランドのドレスを着て夜会に参加できるなんて夢みたい!」
「タイガーリリーブランド?」
どうやら婚約者が毎度贈ってきていた衣装はタイガーリリーというブランドのもので、フローラはそれを楽しみしているようだ。
側仕えのヨアヒムを呼び寄せて、衣装の準備はどうなっているかと尋ねた。
「後ほど報告しようと思っていたのですが、いつもは夜会の数日前にヴァルツレーベンから贈られてくる衣装がまだ届いていません。いかがなさいますか?」
「なんだと? まさか私に対する嫌がらせのつもりか? すぐに北の寮へ取りに行け。夜会は今夜だろう。間に合わないのでは困る」
「か、かしこまりました!」
ヨアヒムは慌てて部屋を出て行った。
シュヴィールス公爵が失脚したことで、私の周囲にいたシュヴィールス公爵の派閥に属していた者たちが城から一斉に解雇された。
私の筆頭側仕えだった者もそのうちの一人だ。
新しく私の筆頭側仕えとなったヨアヒムは隅々まで気が利かず、これまでは何も言わずともよかったものが、わざわざ私が指示を出さないと用意されないことがしばしばあり辟易とさせられる。
ため息をつきたいのを押し殺しフローラをお茶を飲みながら待っていると、戻ってきたヨアヒムから齎されたのは「衣装が用意されていない」という知らせだった。
「なんだと!? 当日になって何を言うんだ! まさか、ここまで陰湿な事をする者だとは思わなかった。もう我慢ならない。今日の夜会で、ヴァルツレーベン辺境伯令嬢の悪事を白日の下に晒し、婚約破棄を宣言する!」
「わ、私……タイガーリリーブランドのドレスを着れないの……?」
「ああ、可哀想なフローラ。大丈夫だ。ドレスは私が用意する。ヨアヒム、そのタイガーリリーブランドとやらのドレスとタキシードを今すぐ用意しろ」
「ええっ!? そ、そんなことをおっしゃられましても、一体どうすれば……」
「いいから行くんだ!」
「は、はいっ!」
結論から言えば、ヨアヒムはタイガーリリーブランドの衣装を用意することはできなかった。
王都の店舗に直接出向いたが、オートクチュールの品を今日中に用意することはできないし、既製品も人気で在庫がないと門前払いをされたそうだ。
全く……どいつもこいつも、王族を何だと思っているのか。私への敬意が足りなすぎる。
次期王である私が身に着けるんだぞ。光栄に思って自分から差し出してくるのが普通だろう。
後にタイガーリリー商会は本店を辺境におく商会だと知って納得した。
やはり辺境の田舎者だ。対王族の立ち居振る舞いがなっていない。
そんな野蛮な商会の用意する衣装も、品質は高が知れているだろう。
今は物珍しさで少々人気があるようだが、上質な物に囲まれ洗練された王都の貴族たちはすぐに飽きるに違いない。
私はタイガーリリーブランドのドレスが着たかったと嘆くフローラを宥めすかし、王室御用達の商会に衣装を用意するよう指示を出した。
あの商会であれば昔から私の衣装を誂えているし、王族への対応は間違いないはずだ。
私が指示を出すと、商会の者たちはすぐにやってきた。
さすがは王室御用達の商会だ。ぽっと出の田舎商会とは格が違う。
「ヴィクトール王子、この度は我が商会にお声がけいただきありがとうございます」
商会長と名乗る老人が機嫌が良さそうに持ってきた衣装を広げ始めた。
さすがに今から新しい衣装を縫い始めるのは難しいため、用意されている中で最も格の高いものを今この場でサイズ調整していくことになるらしい。
既に夜会の開始時間が既に迫っていたため、急いで衣装を身に着けていく。
「うんうん、やはり王子はこういった衣装がよくお似合いですな。最近は辺境産の衣装が物珍しさで流行しているようですが、王族ともなれば、やはり昔ながらの格式高い衣装で威厳を示すことが肝要かと存じます」
この男が用意した衣装は、まるで何かの式典にでも参加する時のようにごてごてした刺繍や飾り紐などたくさんの装飾がついていて、リリアンナの用意していたものより随分と重いなと思ったが、王族の威厳を示すためと言われれば、それもそうかと納得した。
「ヴィクトール様、お連れ様のお支度も整いました」
別室で支度をしていたフローラが入室してくる。
フローラも、式典で王族が着るような形のドレスを身に着けていた。
懐かしいな。幼い頃参加した式典で、母上もこのようなドレスを着ていた。
「似合っているよ、フローラ。いつもの可愛らしいドレスも似合っていたが、そういった格式高い衣装を身に着けている君も、とても素敵だよ」
「う、うん……」
いつもは私の褒め言葉に嬉しそうに破顔するフローラが、今は浮かない顔をしている。このように王族らしい衣装を身に纏ったことで、私の隣に立つということが現実味を帯び、気後れしてしまっているのかもしれない。
フローラの憂いを払うためにも、今日の夜会でヴァルツレーベン辺境伯令嬢にはきっちり引導を渡さなければ。
「このッ……馬鹿者がッ!!」
吠えるような叫びと共に左頬に大きな衝撃を受けた。
顔を真っ赤にして肩で息をする父を呆然と見上げる。
夜会の後、父である王に呼び出された矢先の出来事である。
ジンジンと熱を持つ頬を手で押さえ、ようやく自分は父に殴られたのだと脳が理解した。
幼い頃から誰にも殴られたことなんてなかったのに、何故……。
「何をするんですか!」
「五月蠅いッ! お前がこれほどまでに愚かだとは思ってもみなかった。ようやく辺境との関係が改善されるところだったのに、お前のせいで全てが台無しだ! しかも辺境伯令嬢を捨てて選んだのが、元平民の男爵家の庶子だと!? お前は国益を何だと思っておるのだ!」
「お言葉ですが陛下、ヴァルツレーベン辺境伯令嬢は王妃の器ではありませんでした。あのような女が王妃となれば、逆に国は傾くでしょう。辺境の自治の撤廃は婚約などなくとも、私が何とかしてみせます」
「何とか、だと!? お前に一体何ができるというのだ!」
「そもそも、陛下は優しすぎるのです。スタンピードで辺境が王家からの救援を断り自分たちだけで解決したことに対する褒賞ならば、ここ数年の税金免除で十分事足りるはずです。傲慢な辺境伯にこれ以上の温情は不要。私が王座に就いた暁には、毅然とした態度で元の正しい形に戻してみせますよ」
「な、何を言っているんだお前は!? 辺境からの救援要請を無視したことで激怒した辺境伯に独立されかけ、頭を下げてなんとか自治という形にしてもらったのではないか! そんなことも知らないとは……お前は、これまで一体何を勉強してきたのだ!」
「は……?」
「お前と辺境伯令嬢との結婚で、ようやく辺境伯の怒りも治まると思ったのに……。よくもやってくれたな! お前なぞ、廃嫡だ! 二度と私の前に顔を見せるな!」
父はそう吐き捨てると、ドシドシと大きな足音を立てて部屋を出て行ってしまった。
は?
父は何といった?
救援要請を無視したのは王家の方で、怒った辺境伯に独立されかけ、頭を下げて自治にしてもらっただと?
そ、そんなのは知らない。
だって、誰も教えてくれなかったじゃないか。
その後、そうは言っても父の子供は自分だけなのだから廃嫡なんて勢い余って言ってしまっただけだろうと思っていたら、本当に廃嫡されてしまった。
父は自分はまだ若いのだから跡継ぎなどまた作ればいいし、親戚から引き取るという手もあると言った。
お前は男爵の庶子と好きに生きろと言われ、現実を受け止めきれないまま、とにかくフローラに会いに東の寮に向かえば、彼女はポシュナー男爵に実家に連れ戻され、既に退学となっていることを知った。
私の世界を支えていた常識や日常が、ガラガラと音を立てて足元から崩れていくようだった。
王は息子をそんな風に育てるように指示を出したのは自分だということをすっかり忘れています。
自分の都合の悪いことはすぐに忘れるところは、ヴィクトールも同じですね。
ちなみに、タイガーリリー商会の破竹の勢いに煮え湯を飲まされていた王室御用達の老舗商会は、新興商会とは違う歴史の重さを見せつけるように、あえて古めかしい衣装を選んでいました。




