102. デュッケズブートキャンプ
メリークリスマスイブ!
「28、29、30!」
「「「ハァ、ハァ、ハァ……」」」
動きやすいシンプルな運動着に身を包んだ三人の美少女たちが、息を切らせてべチャッと床に突っ伏した。
「はいはい、息を整えたらもう一セットいきますよ!」
「そ、そんな……」
デュッケ夫人の言葉に三人とも絶望の顔をしている。
神の乙女選定式の合同練習。
今は筋トレの時間で、プランクを既に数セット行っている。
「よろしいですか。安定した発声のためにはそれを支える内側の筋肉が必要なのです。美しい歌声は一日にしてならず。本番までにはもう時間がありません。このトレーニングを毎日続けてしなやかな筋肉を手に入れましょう。はい、始めますよ! 姿勢を整えて!」
「「「は、はいっ!」」」
デュッケ夫人のモットーは『筋肉はすべてを解決する』である。
美少女たちの優雅なステージの舞台裏では、このようなスポ根が行われているとは観客たちは夢にも思うまい。
彼女のスパルタぶりを私の隣でよく見ていたクラウディアはまだしも、アガーテとベアトリクスは最初は面食らっていたが、へこたれることなくデュッケ夫人の指導に食らいついていた。
ベアトリクスなんてこのような泥臭い努力は嫌いそうに見えるのに、髪を乱して汗を滴らせながら、歯を食いしばって筋トレしている。その姿を見て、私は悪役令嬢のフィルターをかけて彼女を見てしまっていたのかもしれないと反省した。
アガーテも自分の実力に驕ることなく、一緒に汗を流している。
戦闘民族の魂を宿すクラウディアは言わずもがな、皆一生懸命努力していて私は全員を応援してあげたいと思った。
そして、もう一人の候補者はというと……。
レッスン室の隅で三角座りしながら筋トレを見学しているフローラの方に視線を向ける。
合同練習は既に数回行われているが、彼女は初回からずっと体調が優れないと言って毎回稽古を見学している。
最初は運動着で来ていたのだが、今ではそれもなく制服のままである。(制服のまま三角座りをするとスカートの中が見えてしまうし、体調が良くないと言っている人の体が冷えるのも良くないと思いひざ掛けを貸してあげた。)
けれど、本当に体調不良かどうかは不明だ。
候補者の実力を見るためにそれぞれ歌を披露した初日、アガーテの圧倒的な実力を目の当たりにしてフローラの心は折れてしまったのではないかと私は思っている。
クラウディアは強靭なメンタルで乗り越えたが、普通は委縮してしまうよなぁと思うし、そうなってしまう気持ちもわかるのだ。
フローラにそっと近づき声を掛ける。
「フローラ様、お加減はいかがですか。よろしければ、できることから少しずつでも練習に参加してみませんか?」
「い、いえ、まだ体調が良くなくて、今日はやめておきます……」
「そうですか。わたくしは皆様の補助役を仰せつかっておりますから、気になる事や不安な事があれば何でも相談してくださいね」
実行委員として候補者たちのサポートをすべく、フローラにもちょこちょこ声を掛けてはいるのだが彼女の心は頑なで、いつもこんな感じで天真爛漫な彼女の笑顔がずっとしぼんでしまっている。
気持ちはわかるが、練習を休めば休むほど他の候補者たちとの差がどんどん開いてしまう。
完全にやる気をなくしてしまっているフローラに一体何と声をかければいいのかとても悩ましいところだ。
「はい、そこまで! 本日のメニューはこれで終了です。皆様、よくがんばりましたね」
デュッケ夫人の地獄のブートキャンプは本日分は終了したようで、私は運動部のマネージャー気分で用意していたタオルと冷えたドリンクを、肩で息をしているクラウディアたちに配って回った。
「……ッ! 美味しいです。この飲み物は一体……?」
渡したドリンクを一口飲んだアガーテが目を丸くした。
「少しだけお塩とお砂糖を溶かしたレモン水です。筋力トレーニングはたくさん汗をかきますから、こちらの方がよろしいかと思い用意いたしました。お口に合ってよかったです」
デュッケズブートキャンプで失われた水分・ミネラル・糖分を効率よく補給するために、簡易スポーツドリンクを用意してみたのだ。
激しい運動後は冷たい飲み物が欲しいかと思い、ユーリに頼んで作ってもらった氷でバッチリ冷えている。(僕にこんなこと頼むのはリリーくらいだよ……と呆れた顔でミスティルテインを一振りして、ピッチャーに山盛り氷を出してくれた)
「リリアンナ様に世話を焼かせてしまうなんて、申し訳ございません……」
喜んでもらえてよかったと内心ホクホクしていると、クラウディアが眉を下げてそう言った。
「いいえ、クラウディアはたくさんがんばっているのですから、このくらいさせてくださいませ。練習の手ごたえの方はいかがですか?」
「筋力トレーニングは普段の訓練で慣れているつもりでしたが、歌うための筋肉はまた別なのですね。今まで感じたことのない部分が筋肉痛になって辛いですが、これも成長痛だと思うと心地良いです」
「発声を支えるためには、内側の筋肉がバランスよくかつしなやかであることが求められますからね。敵を倒すことが目的の戦闘用の筋肉とは違うでしょう。トレーニング中は息を止めず、ゆっくりと深く呼吸をしながら行うと効果的ですよ」
「デュッケ夫人……。はい、やってみます!」
「あ、あの……クラウディア様。先ほど訓練とおっしゃっていましたが、普段はどのようなことをされているのですか?」
デュッケ夫人と筋トレ談義をしていると、アガーテが気になったのかおずおずと聞いてきた。
「ヴァルツレーベンでは側仕えにもそれなりの戦闘力が求められますので、騎士の訓練の一部に混ぜて頂いているのです」
「ええっ!?」
「人は見かけによりませんわね……。ヴァルツレーベンでは側仕えも魔物退治をするのでしょうか?」
「魔物との戦闘経験は流石にございませんが、魔法剣であれば一応使えます」
「そうなんですの!?」
目を丸くしたベアトリクスも自然と会話に参加し、皆が和気あいあいと話している。
デュッケ夫人の厳しい指導に耐えていることで仲間意識が生まれたのか、神の乙女の座を巡って争う間柄だというのに、雰囲気はとても良好だ。はじめはツンツンしていたベアトリクスも、今では結構とげが取れてフレンドリーとまではいかないが、普通に雑談できるようになってきた。
とてもいい傾向だと思うのだがこうなってくると……
ちらりとフローラの方を見れば、彼女は悲しそうに俯いていた。
ううーん、皆フローラを仲間外れにしようとしているわけじゃないんだけど、どうしたものか……。
今日のレッスンが終了し、それぞれ退室していく。
私たちも部屋を出ようとしたところで後ろからクラウディアを呼ぶ声がした。
「あ、あのクラウディア様っ」
「フローラ様? どうされましたか?」
声の主はフローラだった。
胸の前で手を組んでびくびくと怯えているような様子は、小動物のようなかわいらしさがある
「あ、あの、私、クラウディア様とお話ししたくて……。クラウディア様だったら、仲良くなれそうな気がしたから……」
「まぁ。ありがとうございます。そう言っていただけますと、嬉しいです。ぜひ仲良くしてくださいませ」
にこやかなクラウディアの返事に安心したのか、フローラはパァッと表情を明るくした。
「よかった! クラウディア様ならきっと同じ気持ちだと思っていたんです。だって不公平じゃないですか。アガーテ様やベアトリクス様は最初からあんなに上手で、まるで私たちが引き立て役みたい。そんなの、ひどいです。講師の先生だってすごく厳しいし、歌を教えずに意味の分からない辛いトレーニングばっかり。みんな、いじわるだわ!」
フローラは我が意を得たりとばかりに、現状への不満をまくし立てた。
クラウディアは彼女の言い分に小首をかしげ、きょとんとした様子で口を開いた。
「そうでしょうか? わたくしはそうは感じません。アガーテ様とベアトリクス様は確かにお上手ですが、それはお二人が幼い頃より努力されてきた結果ですから、差があるのは当然です。むしろそんなお二人を間近で見ながら一緒に練習できるなんて、きっとわたくしたちも大きな成長ができるはずですわ。この恵まれた機会に感謝しなければ」
「え……」
期待した反応ではなかったのか、フローラの顔が引きつっている。
共感してほしかったのだろうけど、その相手にクラウディアは人選が悪すぎた。
ごめんね、フローラさん。その子、大人しそうに見えてメンタルがサイヤ人なんだ……。
「それに、皆様お優しくてとても素敵なお人柄ですよ。何か誤解があるのかもしれません。一緒にトレーニングをしたら、きっとその誤解もすぐに解けますわ。フローラ様の体調が回復しましたら、共にがんばりましょう。ねっ」
クラウディアはそう言ってフローラの手を取って両手で包み込んだ。
美少女同士が手を取り合う、見た目にはとても微笑ましい光景だけど、この二人、あまり中身の相性は良くなさそうだ。
「デュッケ夫人の指導が厳しいのは間違いありませんが、決して意味のないことはなさいません。どうすれば生徒が成長できるか道を照らしてくださる、とても素晴らしい先生ですよ。そうですよね、リリアンナ様」
「は、はい。デュッケ夫人はハッキリものを言われる方なので誤解されやすいですが、生徒に対して決して悪意はないのです。幼い頃より彼女に師事しているわたくしが保証いたします」
不意打ちでクラウディアに水を向けられ驚いたが、デュッケ夫人の誤解を解くように肯定した。
するとフローラは何故か信じられないものを見たように私を凝視して口をパクパクさせている。
と思ったら、涙目で私をギッと睨みつけて走り去ってしまった。
あれ、私今何か選択肢を間違えた?
昔流行りましたよね、ビリーズブートキャンプ。
友人がDVDを貸してくれましたが一回も最後までできなかった記憶があります……。




