第五話
折れた肋骨を魔法で治してもらった那由多は、兵士たちに礼を告げ、ユイファのいたホテルに急いだ。だが、もう彼女たちの姿はなかった。
「——間に合わなかった……」
夕焼けのエルフィン•リゾートに、静かに夜が降りる。
倉庫街での戦いのあと、那由多はホテル近くの海辺で項垂れていた。心も体もズタボロだ。潮騒だけが耳に優しい。
そのとき——
「那由多さん!やっと、つながりました!」
永瀬からの通信だ。転送ゲートを越えた時点で切れていたが、ようやく復旧したらしい。
「無事だったんですね!」
那由多は力なく頷く。ユイファもスズキも見失ってしまったのだと話す。
黙って聞いていた永瀬だったが、聞き終わると明るい声で那由多に言った。
「ユイファさんの場所、探せますよ!ちょっと待ってください!」
那由多の瞳に光が戻る。
永瀬の返事を待つ。
「見つかりました……ですが、スズキさんと一緒です」
ユイファはスズキと一緒にいる…しかし、今のニーブでは、スズキに勝てる気がしなかった。正面からぶつかっても、また昼間と同じ結末になってしまう。
考えが行き詰まった那由多。だが、ふと、ポケットの宝石のことを思い出した。
——魔獣から姿を変えた、不思議な少女。
彼女なら、もしかして……?
那由多は、宝石を手にして願いを込める。
「……お願いだ。力を、貸してくれ」
光が弾け、海辺に少女が現れる。髪を揺らし、あのときと同じ不思議な瞳で那由多を見る。
那由多は、事情を説明し、力になってくれるように頼む。だが、返ってきたのは非情な言葉だった。
「嫌じゃ。自分の惚れた女くらい、自分の手で取り返すのが筋であろう?」
言葉を失う那由多。だが少女はふっと笑った。
「それに——お主は、もう困難に打ち勝つ力があるであろう」
戸惑う那由多。そのとき、永瀬が気づく。
「あ!那由多さん、ステータスを見てください!称号が付いてますよ!
『最果てから還えりし者』ですって!」
那由多は、急いでステータスを開き、説明を読む。
「最果てから還りし者」
あのバモスを倒し修験者の谷を踏破した証だ。称号を得ると、特殊スキルが付く場合がある。那由多は、見落としがないように慎重に説明を読んだ。
「称号の効果は……なんだこれ?」
那由多は、聞いたことがないスキルだった。
だが、再戦の機会を与えられる力。勝利への鍵はこれかも知れない。
那由多は、ゆっくりと立ち上がる。
「……よし、やってやるか!!」
再び、ユイファのもとへ——スズキとの決着を付けるときが来た。
***
永瀬の位置特定で、ユイファとスズキたちが街の外れにある海辺の別荘にいることがわかった。
夕闇の中、別荘の敷地に忍び寄る那由多。別荘の2階の窓からはわずかに灯りが漏れていた。
壁を伝い、2階のバルコニーに降り立つ。見つからぬよう、窓に近づく那由多の首にヒヤリとしたものが突きつけられた。
「あんた、本当にしつこいな」
スズキは、剣を那由多の首に突きつけて冷たく笑う。
「……っ!」
那由多は、とっさに身を屈めて横に回転しながら足払いをかける。腰のナイフを引き抜き、縦回転でスズキの首元を狙った。
「うおっ!」
のけぞって、回避するスズキ。勢いでタタラを踏み、バルコニーのテーブルセットにぶつかった。派手な音を立てて、イスが倒れる。
「誰!?」
ユイファが室内から声を上げ、窓のカーテンを開ける。那由多と目が合い、小さく悲鳴を上げた。
那由多は、声を張り上げる。
「ユイファ!おれが本当のエリクだ!そいつは偽物なんだ!!」
ユイファは動揺を見せるも、スズキは動じなかった。
「そんな、与太話でおれの信頼が揺らぐとでも思うのか?ユイファ、安全な場所に隠れておいてくれ」
ユイファは2人の顔を交互に見た。そして、部屋の中に姿を消す。那由多はついに覚悟を決めた。
「ユイファ、勝って証明するよ。おれが本当のエリクだと言うことを…」
那由多はスズキを見据えた。
「ここで、決着をつけよう」
「いいだろう!ヒロインを巡っての決闘か!燃えるぜ!!」
スズキは魔剣を抜き放ち、狂気の力を解放する。黒門解放…魔剣の力を解放して短時間、能力を倍加させるスキルだ。その分、魔力消費量は激しい。
那由多は、シーフのスキル“影纏い“を使う。暗闇にその身を溶け込ませることで、能力以上に素早い動きを擬態することのできるスキルだ。
「いくぜ!」
スズキの大振りの一撃。影を纏い、速度を上げた那由多は、攻撃を掻い潜りナイフで反撃する。
スズキの一撃一撃が重く、那由多のナイフは有効な打撃を与えられない。
「俺の身体にしては、やるじゃねえか!?スピードだけなら、俺と同様…いや、それ以上か。どうやって、レベリングしたんだ?」
スズキが怪訝そうにそう問いかける。実際は、バモス討伐で得た経験値をスピードに極振りしただけだ。那由多は、余裕を装ってニヤリと笑う。
「さあな?これくらい普通だよ」
今がチャンスか?那由多は、アイテムで煙幕を張り、スズキの懐に飛び込む。
「いいぜ!かかって来い!」
至近距離の攻防。スズキは、魔剣を地面に突き刺し、素手で応戦する。ナイフを煌めかせ、急所を狙う那由多。スズキは、ナイフを掻い潜り、素早い動きで拳を振るう。
やがて那由多は、ボディーフックを喰らい、そのまま弾き飛ばされた。
転がりながらも体制を整え、ナイフを構え直す。
「そろそろ決着をつけるぜ!って、あれ?俺の剣はどこだ?」
地面に突き刺したはずの魔剣がない。キョロキョロとするスズキに那由多はニヤリと笑う。
「探し物はこれか?」高らかに魔剣を掲げる。スティール成功だ。
「あっ!返せよ、このやろう!!」
「断る!魔剣がなければ、お前なんか、魔力強めなマッチョマンだからな」
那由多は、魔剣をストレージにしまう。
「くそ!このコソ泥が!!」
「お前が言うな!この魔剣も、お前の身体も、ユイファも元々おれのものだ!」
「うるさい!」
スズキは開き直って叫ぶ。
「お前の物は俺のもの!俺の物は、俺の物だ!!」
スキル“威圧“が発動。恐怖に駆られた那由多は、立っていられず片膝をついてへたり込む。
「しまっ…た……」
“威圧“は、レベル差のある相手を屈服させるスキルだ。倍以上の差がある那由多には、抗うことができない。だからこそ、スピードでレベル差を偽装していたのだ。
「どうした?今までの勢いはハッタリだったのか?」
スズキは、ストレージから巨大な斧を取り出すと、ニヤニヤしながら那由多に近づく。
「これからお楽しみなんだ。そろそろ終わりにしようぜ?」
那由多は、スズキを見上げる。自分が鍛え上げたヒーロー、理想の自分がそこにいた。だか、その顔は、興奮のあまり酷く醜く見えた。
「エリク……もういいでしょ?その人はもう、戦う意志はないわ」
ユイファは、二人を止めるために別荘から出て来たのだ。恐怖に怯えた様子でスズキに呼びかける。
「それに、その人、どこかで会った気がするの……エリクの知ってる人なの?」
スズキは、ユイファに向き直り微笑んで答える。
「こいつは、指名手配されてるんだ。ここで
、殺しておかないとまた被害者が出るんだよ?」
「それ本当なの?嘘じゃないよね…?」
「……嘘じゃないよ。ユイファ、ちょっと黙っててくれる?」
スズキは、“威圧“を発動させて、ユイファを黙らせる。彼女は、その場にへたり込んでしまう。
「っ……エリク、なんで、こんな……!」
那由多は、動かない身体を奮い立たせて、立ちあがろうとする。しかし、恐怖にすくんだ足は思うように前に進まない。
「さぁ!お喋りは止めて、もうお別れだ!」
スズキは斧を振りかぶると、那由多の首に狙いを定めた。何とかナイフを構え、受け止めようとする那由多だったが、超重量の斧は、ナイフをへし曲げ那由多の肩に食い込む。
「終わったな」
スズキは、再び斧を振りかぶり、そのまま同じ場所へ叩きつけた。巨大な斧は、那由多の肩から心臓まで達し、鮮血が飛び散る。崩れ落ちる那由多。
スズキは勝利に満足し、斧を手放すと、満面の笑顔でユイファの方へ向き直った。
***
「きゃああああああっ!!」
ユイファの顔が蒼白に変わる。
「大丈夫だ。もう君に付き纏う奴はいなくなったよ!」
スズキは、爽やかに笑うが、ユイファはそちらを見ていない。
「え……?」
スズキが振り返ると、そこには斧が突き刺さったままの那由多が、ナイフを手に立っていた。
体は裂け、血を流しながらも、足は動き、腕はナイフを振るう。
「なんで……死んでない……!?」
那由多が修験者の谷で得た特殊能力。
スキル名は“不死“。
体が斬られようが、内臓が破裂しようが、不死となった者は死なない。
「ちょ!!!な、なんだ、それ!?」
スズキは恐怖に駆られ、ストレージから剣を出し振り回す。腕に当たれば腕が飛び、胴体に当たれば内臓が飛び散る。だが那由多は倒れることなく、スズキに迫る。
切られた肉片は、やがて無数の虫のように、スズキを目指して這い回り始めた。逃げようとするスズキに纏わりついたそれは、身体中の穴という穴から、侵入し、内側からスズキを蝕み始める。
「ぐあああああッ!!な、なんだこれぇぇええッ!!気持ち悪!!」
呻き声とともに、スズキは身体中を掻きむしるがどうすることもできない。
「ま、まさか……この能力……お前、修験者の谷を……!?」
かつて、那由多だった肉塊は、ズルズルとスズキに迫る。その肉体は既に人の形を留めていないが、虚な目だけがスズキを見据えていた。
スズキはとうとう泣きながら懇願する。
「わ、わかった……返す……エリクの身体は返すから……許してくれ……!」
那由多は動き止める。
「…じ…あ、まず…ユイ……ファに、説明し、ロ、全部…だ」
血反吐を吐きながら、那由多の首が喋る。
「言う!言うから、グロいのはやめてください…」
スズキは、その場にへたり込み、剣を投げ出して降参した。無数の肉塊は、また那由多のほうに戻り、かろうじて人の形を構成する。
ユイファにすべてを説明しようと、那由多とスズキは振り返った。
……ユイファは、泡を吹いて気絶していた。那由多は、何があったのかと首を傾げる。
「……アレ?」
「……そりゃそうですよ……そんな、血みどろのグチャグチャ見せられたら、誰だって気絶しますよ………」
永瀬から、呆れたような声が届く。
「私は途中から、画面にモザイクかけてましたからね……」
……気まずい空気の中、魔獣の少女だけが笑みを浮かべて那由多を称えた。
「見事じゃった!!」
***
気を取り直した那由多はスズキに、ユイファに何もしていないことを再確認する。
スズキは頷き、「ユイファには、何もしてないぜ。ユイファにはな!!」と、どこか爽やかにログアウトした。
「ユイファには…………?そういやセリナはどうした!?」
那由多の叫びは、スズキには届かなかった。スズキは、親指を立て、エリクの姿と共に消えた。
残されたのは、ボロボロのニーブ・ドロセルのみ。ちなみに、スズキは、所有権を放棄している。
「これ、どうにかなりませんかね……?」
那由多は、血と肉にまみれたニーブの体を見て永瀬に問う。だが永瀬の答えは無慈悲だった。
「どうにもなりませんね……損傷がひどすぎて、回復は不可能です……」
本来、那由多が使っていたエリクも、今は修復のため使用不能となっている。
このままでは、ユイファが目覚めても、まさに合わせる顔がなかった。
那由多と永瀬は、うーんと唸る。
すると、魔獣の少女が静かに口を開く。
「体なら、あるであろう?」
首を傾げる那由多と永瀬。少女は那由多に歩み寄り、頭に手を乗せた。
何か呪文のような言葉を呟きながら、那由多の中から、ずるりと何かを引き出す。
「うわああああああ!? な、何ですかそれ!」
永瀬の叫びが響く。
現れたのは、現実世界の鈴木那由多だった。
***
夕暮れのリゾート。海が一望できる、ホテルの最上階の一室。
カーテンが風に揺れ、そよ風がユイファの頬をくすぐる。
「ん…」
ゆっくりと、ユイファが目を覚ます。
ベッドのそばには、現実の姿の那由多が座っていた。
ふたりは、しばし見つめ合う。
「……エリク?」
その姿は違っていても、ユイファは彼が誰なのかをはっきりと感じ取っていた。
「……うん、本当の名前は那由多って言うんだ」
ユイファが目を覚ました後、那由多はすべてを打ち明けた。
スズキと入れ替わっていたこと。
砂漠を越え、魔獣と戦い、遺跡のゲートを抜けてきたこと。
そして、かつての仲間と戦わねばならなかったこと。
自分がこの世界の人間ではなく、エリクの中身はただの30代のモテないサラリーマンだということも——
ユイファは黙って聞き、しばらく目を伏せて考えていた。
やがて、ゆっくりと微笑みながら那由多に抱きつく。
「でも、那由多は那由多じゃない?ここまで来てくれて、ありがとう」
その言葉に、那由多はこみ上げるものを感じた。受け入れてもらえた。姿がどうあれ、想いは届いたのだ。
「私も話してないことがあるの」
ユイファはいたずらっぽく笑う。
「私のこと、NPCだと思ってたでしょ?」
——衝撃の告白。
この世界は、仮想空間などではない。地球から遠く離れた、現実の星。
そして、ユイファは「アナザーワールドツアーズ社」に雇われたキャスト。那由多のような旅行者と冒険をするのが彼女の仕事だったのだ。
那由多は、驚きのあまり目を丸くした。
「じゃあ、あの砂漠の伯爵もキャストなの?」
「ううん、あの人たちは本物」
「本物?本物って……何!?」
情報過多にフリーズする那由多を見て、ユイファは声を上げて笑う。
「那由多が、私のためにがんばってくれたのが本物!」
急にユイファが愛おしくなった那由多は、彼女の手を取り、自然と身を寄せる。
ユイファは、そっと目を閉じて、彼の温もりを待った——
——そのとき。
ポロポロポロン♪と、軽快な音楽が流れ出した。
「那由多様、大変申し訳ありませんが、お時間となりました」
永瀬の声が響き、2人は慌てて距離を取る。
そう、那由多が予約した6泊7日のツアーは、今まさに終了の時を迎えたのだった。
一瞬の静寂。
永瀬の声はなおも続く。
「今回は、那由多様、ユイファ様に多大なご迷惑をおかけしました。大変申し訳ございません。そこで、ささやかですがお詫びの品をご用意しました!6泊7日の無料ペアチケットです。このまま延長なさいますか?」
那由多とユイファは顔を見合わせ、そして声を揃えて言った。
「延長します!!!」
窓の外は、波の音が絶え間なく続いていた。
那由多と、ユイファはベッドの中で肩を寄せ合い、海に面した窓の外を見る。月明かりに照らされた水平線は、まるで異世界のように美しかった。