第四話
転送ゲートを抜けた那由多の目に飛び込んできたのは、夕陽に照らされた海と、断崖に刻まれた古代遺跡だった。
足元は苔むした石畳。海から吹く風が湿った潮の香りを運んでくる。ここはまだ、誰にも知られていない第二のゲート——古代文明が遺した秘密のひとつだろう。
「永瀬さん、ここから、カラヴィナ•ホテルの場所は分かる?」
「……」
「永瀬さん?」
永瀬からの応答はなかった。転送ゲートに入るまでは、通話ができていたのだが……
那由多と3人の兵士たちは、仕方なく人気のありそうな場所を目指す。兵士たちは、それぞれ、ライネル、ガレオ、エリオットと名乗った。
崖を登り、海岸線沿いに歩いていくと、遠くに明かりが見えた。熱帯の花が咲き乱れる道を抜けると、南国の装いをした街が現れる。
音楽、歓声、香ばしい食べ物の匂い。今まさに、夜の祭り——“星空と海のフェスティバル”の準備が進んでいた。
ここが目的地、エルフィン•リゾート。
初めて見る穏やかな風景に、那由多は少しだけ心を緩める。けれど、急がなければならない。
その夜は、伯爵の計らいで彼の別荘に宿泊することになった。那由多は一人で、あのホテルへと向かう。
ライネルら兵士3人は、護衛のためについて行こうかと聞いてきたが、那由多は、明日の協力をお願いし、今日は別行動を取ることにした。
——スズキと、ユイファがいるはずの場所。
カラヴィナ•ホテル。南洋風の屋根と木製のバルコニーが印象的な、那由多が奮発して選んだちょっと良いホテルだ。
太陽はすっかりと沈み、リゾートホテルの灯りだけが、浮かび上がっている。那由多は、海沿いの道からホテルのテラスを見上げる。
いた。
淡いライトに照らされ、くつろぐ男女4人の姿。那由多の本来の姿であるエリク、戦士のディラン、魔法使いのセリナ、そしてヒーラーのユイファ。
4人はテーブルを囲んで、楽しげに談笑していた。
「……間に合った」
那由多はそう呟き、4人の動きを観察する。すると、程なくセリナとユイファが、男性2人を残して室内に入る。どうやら、男女別々に泊まっているらしい。……那由多はひとまず胸をなで下ろした。
予定通りスズキを止めるべきか、ユイファにこの状況を伝えて、注意を呼びかけるか……
那由多は、ステータスを呼び出し。思考を巡らせた。
エリク•ヴァルレイン(現在はスズキ)
•ジョブ 魔剣使い
•レベル 67
•スキル 黒焔剣、影撃ち、魔喰い…など
ニーブ•ドロセル(現在は那由多)
•ジョブ 中級シーフ
•レベル 32
•スキル 急所突き、影歩、罠看破…など
砂喰らいのバモスを倒して、ニーブのレベルは上がったが、エリクを正面から倒すのは無理だ。そして、返り討ちに会えば、すべてが無駄になる。
ユイファの運命も、自分の想いも………
***
翌朝から那由多は、ユイファが一人になる瞬間をずっと狙っていた。
自分が本物であり、スズキは偽物——その真実を伝えればユイファは味方になってくれるはずだ。
スズキがログアウトするまで、今日を入れて後2日。その間、スズキから離れて隠れていればユイファが傷つけられることはない。
スズキは、那由多がかつて幾度も冒険を共にした仲間たちと行動していた。海辺で戯れ、コテージで語らい、笑い合う4人の姿は、那由多にかつての自分の居場所を思い出させる。
(本当は、そこにいるのは俺だったのに…)
那由多は胸の奥で悔しさを噛み締めながら、尾行を続ける。皮肉にも、中級シーフの尾行スキルが役に立った。
昼を迎え、彼らはリゾートの中心街へと向かう。にぎやかな通り、屋台の匂い、人々の喧騒が活気に満ちている。
ユイファが一人、アクセサリーショップの店先で立ち止まった。仲間たちは先に行く。後で合流するのだろうか?
今がチャンスかも知れない。那由多は、尾行スキルを解除してユイファに近づいた。
ユイファの背中まで、手が届く距離まで近づいた。しかし、声をかけるより早く、背後から腕を掴まれ、路地裏に引き込まれる。
「なっ!?」
暗い路地裏に引きずり込まれる那由多。
振り返ると、そこにはスズキと、かつての仲間であるディランとセリナがいた。
「お前……尾けてただろ?何が目的だ?」
ディランが、腰の剣に手をかけて臨戦体制を取る。その横でスズキは、ニーブを見て目を丸くしていた。
「え?なんでここに……てゆうか、誰??」
スズキは自分のアバターを見て、理解が追いつかないようだ。
「エリク、知り合いなの?」
セリナが怪訝そうに、スズキに聞いた。
「いや!知り合いというか……あ!こいつ、最近現れた賞金首だ!指名手配されてる危険人物だよ!!」
「なるほどな。確かに挙動がおかしいと思った」
「だったら捕まえましょう!ここで野放しにはできないわ!」
「いや、おれは……!」
言うが早いか、ディランが剣を抜いて切りかかってくる。
那由多は、身をよじって剣を避ける。ディランは、いい奴だが騙されやすい。
「ディランのばか!話を聞け!!」
「なんでおれの名を知っている!さては、おれのストーカーだな!?」
「そんなわけあるか!!」
必死で逃げる那由多。曲がりくねった路地裏を抜けるとリゾートの明るさが嘘のような、町外れの倉庫街に着いた。
積まれた荷、ひび割れたコンクリート、雨の匂い。倉庫街は人気がなかった。そこで、ついに追いつかれる。
「ついに追い詰めたぞ!この、この……知らないやつ!!」
ディランが、剣を構える。セリナも戸惑いながら、杖を持ち詠唱の準備を始めた。
「よし!あんたに恨みはないが、余計なことを言われても困る。ここは、ご退場と願おうか!」
スズキも、魔剣に魔力を込めて、炎を纏わせた。
だが、那由多は武器を構えるのを躊躇した。
「待て!話を聞いてくれ!おれはエリクなんだ!!」
「エリクの頭はそんなに薄くはないわ!」
「ぐっ!!」
スズキがダメージを受ける。
「そうだ!エリクは、そんな趣味の悪い服は着てねえ!!」
「くそ!そんなことないだろ!?」
なぜか、スズキが那由多に同意を求めてくる。
「いや、おれもこの服のセンスはどうかと思うぞ?」
「なん…だと!?」
スズキは、地面に突っ伏して項垂れた。
彼らは悪くない。だが、ちょっとだけ那由多はスズキに同情した。
「いくぜ!」とディランが那由多に突進する。
戦わなければ死ぬのは自分だ。
葛藤しながらも、那由多も剣を抜いた。
***
倉庫街に響く金属音。
那由多は、目の前の2人を知り尽くしていた。かつて、幾度となく彼らと冒険を重ねてきた。戦士の剣筋、魔法使いの詠唱パターン——全てが染みついている。
避ける。受け流す。読み切って反撃する。
魔法の爆風が那由多のマントを焦がし、剣の一撃が床を割る。
だが、彼らの攻撃は、那由多の記憶の中のパターンに過ぎなかった。
「くそ!なんで当たらないんだ!?」
ディランがくやしげに地団駄を踏む。
だが——問題は、スズキだった。
本来の自分のアバター。レベルも装備も、かつて那由多が誇った最強のビルド。
圧倒的な一撃。防御不能の範囲魔法。回避の隙すら与えない追撃。
今はフレンドリーファイアーで、地面に転がっているが、本気の奴に勝てる気はしなかった。
「らちが開かないわ!ねえ、エリクも戦ってよ!!」
セリナが業を煮やして、スズキを焚き付ける。
「おっぱい」
「えっ!?」
俺たちは、戦いの手を止めてスズキを見る。
「勝てたらおっぱいを触らせてくれ!頼む!」
「嫌よ!!」
「頼む!!!」
セリナは頭を抱えると、渋々と承諾した。
「……いいわよ。でも、後でお医者さん行きましょうね?エリク、最近ちょっと変よ?」
スズキは、ムクっと立ち上がると、魔剣を構えて那由多に向き合った。
「待たせたな!」
「お前、ふざけんなよ!!俺のキャラを台無しにしやがって!!」
「うるさい!言ったもん勝ちだ!!」
スズキの魔剣にまとわりついた炎が、赤から黒に変わる。黒焔剣……スズキは一気に勝負を決める気のようだ。
「くらえ!!」
一気に間合いをつめたスズキの剣が、上段から迫る。那由多は、とっさに右に避けるが、動きを読まれ、軌道を変えた剣筋に脇腹を痛打された。
石畳をゴロゴロと転がる那由多。肋骨を折られた痛みで立つことも出来ない。
「勝負あったな」
スズキが得意げな表情で那由多に近づく。
傷だらけの那由多に、2人の仲間も縄を持って近づく。
「大人しく縛られてくれ」
「悪いけど、見逃すわけには行かないのよ」
スズキは黙って歩み寄ると、そして巨大な斧をストレージから、取り出した。
「……こいつはここで、仕留めなきゃ危険なんだ」
斧を構え、振りかぶる。
「エリク!そこまでやることないだろ!」
かつての仲間たちも戸惑う。だが、スズキは聞かない。目に浮かぶのは、冷酷な光だけ。
「すまんな、ユイファちゃんとの約束まで邪魔されちゃ困るんでな」
「なっ!お前…!!」
「あばよ!!!」
斧が振り下ろされる。その刹那。
「下がれッ!!」
疾風のような勢いで、伯爵家の兵士たちが飛び込んできた。
放たれた矢が、スズキの斧を弾き火花を散らす。
その直後、街の警備兵たちも駆けつけてくる。
「この区域での私闘は禁止だ!今すぐ剣を納めろ!!」
状況が逆転し、スズキは、一瞬で撤退を決断した。
「……引くぞ。続きはまた後だ」
姿を消すスズキたち。残された那由多は、血の味を噛み締めながら天を仰ぐ。
「……くそ、逃げられた……」