第三話
修験者の谷を抜けるのに、結局、那由多は三日を費やした。日差し、寒暖差、モンスター…そのどれもが障害だったが、一番は目的地からの遠さだった。何もない砂漠を、延々と歩き続けた。
過酷な行軍の間も、那由多は気が気でなかった。
「永瀬さん、ユイファは……無事ですか?」
「はい。まだ大丈夫です。スズキさんは、あれこれ誘っているようですが、4人で行動しているので、中々チャンスがないみたいですよ」
永瀬の報告に、那由多は胸を撫で下ろした。
だが、気は抜けない。6日目の夜、エルフィン•リゾートではフェスティバルが開催される予定だ。浮かれムードに乗じて、スズキがユイファに手を出すと那由多は予測していた。
「今は転生4日目……残り二日か」
ようやく街道にたどり着いた那由多は決意を新たに、転送ゲートがあるという遺跡の方向へ向かった。
すると、突然、地鳴りのような音がしたかと思うと、剣や槍で武装した一団に、那由多は取り囲まれた。
「何者だ!」
全身を武装した兵士たちが剣を抜き、那由多に迫る。
「違う!俺は怪しい者じゃ——!」
だが、兵士達は話を聞かない。緊張の中、那由多は咄嗟に口を開いた。
「この近くに転送ゲートがある!おれはそこに向かっているだけだ!」
ざわめく兵士たち。
「……詳しく話してもらう。こっちへ来てくれ」
そのまま、部隊長に連行された那由多は、詳細を語ることになる。
「……信じがたい話だ。だが、本当であれば大変なことだ。直接、我が主に話してもらうぞ」
こうして那由多は、地域を統べる貴族——砂漠の伯爵が待つオアシスまで同行することになった。
兵士たちに囲まれてから、およそ1時間後、豪奢な天幕の中、金と絹に囲まれた室内で、玉座に座る老人が、静かに問う。
「その“転送ゲート”とは、どのようなものかね?」
穏やかな、しかし威厳のある声に、那由多は気後れしそうなった。遠隔サポートを続ける永瀬が、那由多の耳に囁く。
「……私が転送ゲートの説明をしますので、那由多さんは、“遠方の仲間”と魔法で話しているふりをして答えてもらえますか?伯爵は、転送ゲートにかなりの関心があるようです」
那由多はうなずき、伯爵に向き直った。
「仲間の説明によれば、〃それは、異世界から来た者が通る門。正しく使えば、空間を跳び越え、別の土地へと転移できる〃と申しています」
伯爵は、那由多と部隊長の話を、黙って聞いていた。2人の話が終わると静かにこう言った。
「……これより、彼の地に向かう」
伯爵のその一言で、軍はにわかに騒然となった。
***
長年、王国の辺境に追いやられていた砂の伯爵。かつて王位継承権第一位でありながら、陰謀によって失脚した男は、再び中心に返り咲く可能性をずっと掴もうとしていた。
転送ゲート——未知の力。その発見者が何者であろうと関係ない。伯爵は、すべてを賭ける決断をしたのだった。
那由多は、伯爵の旗のもと、重厚な馬車に揺られながら遺跡へと向かった。道中、永瀬の通信が届く。
「転送ゲートを守る、“ゲートキーパー”と呼ばれる守護者は強力な力を持っています。この人数でも、油断は禁物ですね」
「……やっぱり。楽をしようとしてもダメか……」
伯爵と親衛隊を中心とした一団は遺跡に到着した。かつて神殿であったというこの場所は、今は訪れる人もなく、静かに風化が進んでいるようだ。
ゲート発見の報告を受けて、100名余りの兵士が戦闘準備に入る。騎士を中心として、魔術師、神官を組み合わせた構成だ。皆、一様に士気が高く、伯爵への忠誠心が伺えた。
見上げるほどの大きさの白亜の門。転送ゲートの前には、すでにゲートキーパーが待ち構えていた。
二足歩行の狼のような体躯。長い尻尾、銀に輝く鬣。魔力を纏ったその存在に、伯爵軍が一斉に陣を組む。
いよいよ、戦闘開始だ。
魔術師の火炎魔法で魔獣の視界を奪った騎士達は、神官たちのバフを受けて槍を構えて突撃する。
大きく足を踏み鳴らして、槍を踏みつけた魔獣は、そのまま騎士を掴み、無造作に放り投げる。かろうじて仲間たちに受け止められたが、隊列は大きく崩れてしまう。
魔獣は、いつの間にか手にした大きな斧を振りかぶり、垂直に振り下ろす。強力な一撃に石畳が弾け飛ぶ。
圧倒的な魔獣のパワーに、兵士たちは押し込まれ、何度も飛ばされる。一進一退の攻防を繰り広げていたが、兵士側は有効なダメージを与えられずにいた。
那由多は、兵士たちの連携攻撃には参加できないので、後方で待機して様子を見ている。
「……あれ、攻撃が不自然だ」
那由多は、魔獣の動きに不自然なところを見つけた。
攻撃がすべて特定の箇所で受け止められている。防御も、見えていない角度からの攻撃には反応が鈍く、特定箇所にはダメージが蓄積されているようだ。
「魔獣には見えない死角がある?いや、誰かに操られてるのか……?」
永瀬に相談すると、遺跡内に小さな生体反応があることが確認された。
「あそこに隠し部屋があるようです。そこに操っている存在がいるかもしれません」
那由多は、伯爵のもとに走り、状況を報告する。伯爵は即断した。
「数名、精鋭を付けよう。そなたが先導せよ」
遺跡の奥へ。長い階段、崩れた通路を進み、隠し扉を見つける。そこには、一人の人間が光る板を見つめていた。
「えっ!?ちょ、何?なんでこんなとこに!?」
若い男だった。やはり魔獣を操っている最中だった彼は、那由多たちの突入にひどく狼狽する。
兵士の一人が、弓に矢をつがえて、男に向かって撃つ。とっさに男が避けたため、矢は壁に突き刺さった。
「いやいや、おれは違うんで!!正攻法でお願いします!」
だが、すでに遅い。兵士たちが突入し、男を取り押さえた。床に落ちた光る板を、那由多は拾い上げる。
まるで、ゲーム画面のような映像が表示されており、魔獣と兵士の姿が斜め上からの角度で見ることができた。
白狼王ブラン•レーヌ。魔獣の近くには、名前が表示されていた。アイコンをタッチすると、ステータスやスキルの詳細が開く。
那由多は、タブレットのように画面をスクロールさせる(実際、それはタブレット端末のようだった)。そして、“解呪“のボタンを発見した。
「永瀬さん、これ押していいと思います?」
「え?えーっと、何でしょうね、それ。初めて見ました!」
那由多は、好奇心にかられて、解呪のボタンを押す。その瞬間、“解放“というメッセージ画面が出て、画面が消えた。
那由多と兵士たちは、男を縛り上げると、そのまま担いで階段を下り、ゲートの前まで戻る。
途中、男が何か言っていたようだったが、永瀬と隠し部屋のことを話していたので、よく聞き取れなかった。
ゲートを守っていた魔獣は、明らかに動きが変わっている。攻撃に対して身を引くような素振り。自ら攻撃することを止め、ただ兵士たちの一撃を避けているだけになった。
男を捕らえた兵士たちは、伯爵に状況を報告する。
「攻撃中止!防御体制のまま、後退せよ!」
伯爵の号令が響いた。
兵士たちが下がると、魔獣は静かにその場に伏せた。那由多と目が合う。
「……わらわを……解放してくれたのは、お主か?」
女の声だった。
堂々とした口調に、底知れぬ気配。だが、敵意はない。
魔獣が——喋った。
兵士たちは言葉を失い、伯爵も目を見開いている。
那由多は一歩前に出た。
「……ああ、たぶん、俺……だと思う」
魔獣は、一拍置いてから微笑んだように見えた。そして、先ほど捕まえた男に向き直り、牙を剥き、殺意を露わにする。
「そして、わらわを捕らえて操っていたのは、お前じゃな!!」
狼の魔獣が、前足を床に叩きつける。
「ひっ!おれには良くわかりません!!バイトなんで!」
兵士たちに捕らえた男はそう叫ぶと、モゾモゾと身体をくねらせ、次の瞬間、フッとその場からいなくなった。
「き、消えた!?」
「逃げおったか、今に見ておれ」
魔獣は、そう呟くと、
その姿が、光に包まれていく。
白く、柔らかく、温かい輝き——それが収まったとき、そこにいたのは一人の少女だった。長い髪、凛とした眼差し。だが、どこか人ならぬ気配が残る。
少女は一歩、那由多へと近づく。
「人の子よ、礼を言おう。わらわの力が必要なときは、これを使え」
そう言って、掌に乗るほどの小さな宝石を那由多に手渡した。赤でも青でもない、不思議に揺れる光を湛えた宝石。それはまるで呼吸をしているようだった。
少女は微笑むと、光の粒となって消えた。
すると——
地鳴り。風のうねり。空間が震える。
遺跡の奥にそびえる巨大な扉。その中央に刻まれた紋章が光り、重々しく軋む音と共に、それがゆっくりと開いていった。
「開いたぞ……!」
「転送ゲートが!」
「我らの勝利だ!鬨の声を上げよ!」
伯爵の叫びが響き、兵たちは歓声を上げた。勝利の雄叫びと、未来への興奮が遺跡に満ちる。
伯爵は那由多の肩を叩き、深く頷いた。
「よくぞここまで導いてくれた。礼を言おう」
那由多は軽く会釈しながらも、真剣な表情で言った。
「……俺はすぐに目的地に向かいます。あっちにも、大事な用があるんで」
伯爵はすぐに頷いた。
「調査と護衛を兼ね、兵を三名つけよう。そなたと共に隠し部屋を制した者たちだ。きっと役に立つだろう」
門の向こうから、異なる空気が流れてくる。温かく、湿った風。異世界の砂漠にはなかった、豊かな湿気と海の匂いがあった。
那由多は一歩を踏み出す。
エルフィン•リゾートへ——ユイファのもとへ。
宝石はポケットの中で微かに光を灯していた。