その5 覚醒
……声が聞こえる……
……俺を、呼ぶ声……
――ハッ!!――
目を見開いた。まだ視界がボヤける
そうだ、俺は足を滑らせ穴に転落して、そして死んだ……はず
「先輩!阿内先輩!しっかり!」
目の焦点が合ってくると、来栖川が心配そうに
俺の顔を覗き込んでいるのが見えた。両肩を掴まれている。
「来栖……川、どうしてお前がここに……」
「良かった……先輩、倒れたまま動かないし、心配したんですよ。」
体を起こし、辺りを見渡す。
そこは、先ほどまでの自分の記憶とはまったく異なる、
古代遺跡の玄室のような場所だった。
自分が落ちてきたであろう縦穴が上方に見える。
彼女は自身の身体をロープで固定し、別のロープを肩に担いで降りてきていた。
俺を見つけたらそれで引き上げる算段だったのだろう。
しかし、さっきまでの出来事は全部夢だったのか?
身体の状態を確認してみる。そこら中に打ち身はあるが、骨折もなさそうだ。
奈落の底に落ちた気がするのに、大したケガもしてない。
誰かに助けてもらった気がするが、記憶がハッキリしない。
「阿内先輩が穴に落ちたって知らせが来たんです。
最初、田中班長が助けに降りるって言い張ったんですけど、
穴は狭いし、小柄な私なら人を抱えてても昇れるだろうって。
下層に降りれるのはレベル3の資格を持ってる私だけだったし」
「そうだったのか……ありがとう。来栖川」
「怪我、大丈夫ですか?ここで先輩を見つけたときは意識もなくて、
もう駄目かと思ったんですけど……ここ、相当深いんですよ?」
来栖川が阿内を見つけたとき、彼はボロボロの姿をしていた。
落下の途中、あちこちに身体を打ちつけた際に衣類が裂けたのだろう。
しかし、左腕など袖の部分から千切れて無くなっているというのに
腕自体は目立った損傷も見られない。そんな事が有り得るのだろうか?
「ああ、確かにあちこちぶつかった気はするんだけど、
何故かそこまで酷い怪我はしてないみたいだ。」
「そう、ですか。よかった……」
安心して力が抜けたのか、来栖川がぐったりとうなだれる
「お、おい来栖川、どうした!?」
「先輩は、何ともないんですか……?私、さっきから息が苦しくて……
たぶん、ここ、レベル4以上だと……思います……」
適合者であっても適合レベル以上の魔素濃度の中に長時間居ると
”魔素中毒”と言われる症状が出てくることがある。
全身の倦怠感、発熱、吐き気。酷いと呼吸困難から意識を失うことすらあり、
来栖川の場合、発熱で顔が上気し、呼吸困難もありそうだ。
ここがどれほど下層なのか分からないが、すぐに上に戻らないと今度は
来栖川が危険だ。
その時だった。
ズシン……
何か重量物が地面を揺るがす音
玄室の奥から大きな影が近づいてくる。
そして闇の奥からその姿が現れた。
体高にして五メートル以上、全長は尻尾まで入れると
十五メートルにもなりそうな、巨大なトカゲのようなモンスターが
俺たちの様子を窺うように見下ろしている。
「そんな……まさか、ドラゴン級……!?」
真由は、戦闘職の座学でこのモンスターについて聞いている。
第五層での遭遇例があり、
その強さは日本が誇るエースとして名高い荒川 悠里のパーティですら
苦戦を余儀なくされ、結果的に討伐は果たせたものの
仲間の一人が殉職し、荒川本人も重傷を負ったほどだという。
そんなモンスターと遭遇するなんて……ここは第五層以降ということ?
(絶対勝てっこない……でも、この場で戦えるのは私だけ……!)
呼吸困難と断続的に襲ってくる頭痛とで朦朧としながら剣を手に立ち上がる。
魔素中毒の症状と、恐怖とで膝が笑って力が入らない。
彼女が今まで戦ったことがあるのは第一層のモンスターだけだった。
震える手で辛うじて握った剣がカタカタと音を立て、
今にも取り落としそうになる。
「先輩……下がって……!私が……!」
「馬鹿いうな!戦える状態じゃないだろ!俺がヤツの注意を引くから、
その隙にロープを伝って昇るんだ!」
そうだった。自分にはまだ縦穴を降りるのに使ったロープが
身体に巻きついたままだ。
「貸せ!俺が……!」
真由の手から剣を奪い取ってドラゴンに向き直る。
「来栖川、早く逃げろ!上がれ!上がるんだ!」
来栖川が魔素中毒で苦しんでいるというのに
何故俺が平気なのか分からないが、
今、まともに動けるのは俺しかいない。
俺がなんとか時間を稼ぐ!そして隙を見てロープを伝って退避する!
それしか生き残る術はない。
ズン
ドラゴンが一歩踏み出す。
見上げるような体躯と圧力で身体が竦むが、
少しでも真由から注意を逸らすため、相対しながらジリジリと回り込む。
「おおぉぉっ!」
勇気を振り絞って駆け出す。
急所となりそうな首は高くて斬れない。狙いは踏み出した右脚だ。
一発……!
一発入れば怯ませることもできるかも知れない。
ドラゴンは、こちらを取るに足らない相手と見ているのか、
鷹揚に構えており避ける素振りすら見せない。
その右脚に渾身の袈裟斬りを叩き込んだ。
ガギィィン
あまりに硬い鱗は、斬撃を易々と弾いてしまった。手が痺れる。
そこにドラゴンの尾が煩い小蝿を叩くようにしなりながら迫り、
避ける間もなくまともに喰らった俺は弾き飛ばされ、
そのまま後方の壁に思い切り叩きつけられる。
「ぐはぁっ!」
先ほど落下していたときの激突を思い出すような衝撃が背中から伝わり、
目の前が暗くなる。
両膝を突き、そのまま前に突っ伏し……
「阿内先輩!」
真由の悲痛な叫びが聞こえた。
なんで、まだ逃げてないんだよ……
そこで意識が戻る。逃げてないんじゃない、
そもそもロクに時間を稼げてすらいないのだ。
ガッ
剣を地に突き立てて倒れるのを拒否し、必死に立ち上がる。
「……俺のことはいいから、早く逃げるんだ!」
ドラゴンが低く唸り、鎌首をもたげた。
俺にはその動作が何を意味するのか分からなかったが、
真由が息を飲み、表情が青ざめるのが見えた。
恐らく、次の瞬間には確実な死が訪れる。それだけは確信できた。
<やれやれ、せっかく蘇らせてやったというのに、もう死ぬのか?>
声が聞こえた。
穴の奥底で聞いたような気がする。あの声だった。
<死にたくなければ前に出ろ。
そしてヤツに合わせて剣を斬り上げるんだ>
半ばヤケクソだった。
声の正体も意図も分からないが、やるしかない!
「おおおぉぉっ!!」
軋む体にありったけの力を込めて立ち上がり、
その勢いのまま一歩、二歩。
そして地に立てた剣を全身全霊でカチ上げる。
その瞬間、ドラゴンは大きな口を開け、もたげた首を振り下ろすように突き出す。
俺の目に、口内から炎の奔流が渦巻き、
轟音と共にこちらに放たれるのがまるでスローモーションのように見えた。
ブワッ
真由の目には、確かに翔が吐き出される灼熱の炎に包まれるのが見えた。
と同時に、炎の向こうで最後に彼が振り上げた剣がパァンと大きな音を立て、
タイミング良く頭部に当てる事だけは適ったのだと分かった。
だが、初太刀が無傷で跳ね返された程強固な鱗だ。
相打ちにすらなるまい。
握ったロープから力が抜けた。
だが、吹き出された炎が霧散し消えた先には信じられない光景が拡がっていた。
そこに居たのは無傷で立ち尽くす阿内先輩と、頭から首元までを
真っ二つに両断されたドラゴンの姿だった。
翔の視点から見たとき、吐き出された炎が目前に迫るのと、
振り上げた剣がドラゴンの顎先を捕らえたのは同時のことだったが、
当然ながら鋼のような皮膚で剣は止まり、
次の瞬間には自分が炎に包まれることは確定的だった。
だがその刹那、異変が起こった。
突き上げた左腕から何かが奔ったかと思うと、風圧で炎が左右に分かれ
その衝撃はドラゴンを顎先から紙を裂くように割っていく。
ドラゴンは、己が絶命したことに気付いていないかのように
尚も足を踏み出そうとしながらそのまま崩れ落ち、
やがて消滅していったのだった。
「な、何が起きたんだ……?」
明らかに自分の力ではない何かがドラゴンを一刀両断にした。
奈落の底で見た幻はやはり現実だったのか?
だとすれば今のは俺の中から放たれたのか?
<君の斬り上げに合わせ、左腕から私の体の一部……君の体でもあるが、
それを硬化し、触手状に伸ばしながら高速で振り抜いたのだ>
あの乾いた破裂音は触手が音速を超えた際の音だったということか。
俺の体は化け物に乗っ取られてしまったのだろうか。
呆然としているとドラゴンが消えた場所にゴルフボール大の結晶と、
青白い光沢を放つ、反りの入った片刃の剣が落ちているのが目に入った。
通常、モンスターは死ぬとそのまま消滅し、結晶片だけが残るのだが、
稀に中から不可思議な武器や道具が残されることがあると聞く。
荒川 悠里が持つ真紅の大剣も、ドラゴンを討伐した際に手に入れたらしい。
ということはこれもそうなのか?見た目は日本刀のような形状で、
真紅というわけでもない。
同じ種族なら同じものを持っているというわけではないのか。
「先輩……」
弱弱しい来栖川の声でハッと我に返った。
そばに駆け寄る
「来栖川!おい、しっかりしろ!すぐに引き上げてやるからな!」
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