第7話 負けず嫌い
キールは目の前の「魔術総覧」に手を当てて、感謝の気持ちを込めて表紙を撫でた。ミリアとの対決ではまさかこれほどまで完璧に勝てるとは正直思っていなかった。
話は昨日の帰宅中にさかのぼる。
現在キールが使用できる魔術はそれほどない。
辺りの魔法痕跡を感知する術式、
魔法の痕跡を消す術式、
周囲の音を遮断する術式、
対象の一人に幻覚を見せる術式。
――以上だ。
正直、うまくいきすぎて恐ろしいぐらいだ。
キールがミリアに言った、
「空間内部のものを空間ごと消し去る術式」など、持ち合わせてはいない。
もちろん、炎や氷や岩石など自然生成物を具現化したり、相手に物理的ダメージを与えるような高位魔術もこの「総覧」には記述されているのだが、現在のキールの熟練度ではそのような難易度の魔術式を編むことはできない。
魔術というものは単純に術式を知ったからと言って編むことができるものではない。初めはごく小さな変化を生み出すものを繰り返し修練するにつれ徐々に上位の魔術式を編むことができるようになる、非常に長い試行を繰り返す必要があるものなのだ。
その点、この間「魔術総覧」を発見したばかりで魔術師の家系でもないキールが、幼いころから修練を積んで今や国家魔術師内定の彼女に太刀打ちできるわけがないのだ。
彼女が自分の後をつけてきていることには気づいていた。これは魔力感知術式によるものだ。春に警告をうけてはいたが、魔法の修練をやめるなど、今更できることではない。その後もキールは修練を積んでいたが、最近彼女から威圧的な気配を感じるようになっていた。
おりしも、昨日の帰り道、自分をつけてくる彼女の気配を察知したため、そろそろ警戒をしないとと思っていたところだった。
ミリアは結局僕の部屋までつけてきて、その後大学の方へと戻り始めた。キールは今度は彼女の後を追って様子をうかがっていたところ、彼女はあの納屋のあたりで一旦立ち止まり、その後周辺を調べて回っていた。その後彼女は大学までの道を戻り続けたが、他には特に怪しい動きは見せなかったため、仮に何かを仕掛けてくるとすれば、あの納屋あたりだろうと予測がついた。
そこで、キールは次の日からその納屋あたりを警戒しようと心の準備をしていたところ、早速今日、ミリアの気配を感知することができたというわけだ。
納屋の裏手で身を潜ませているミリアに声をかけ、あとはうまく疑心暗鬼に陥れるだけだ。
そうして、その作戦通りに決行したのである。
まずは声をかけて威圧する。そうしておいて、ミリアへ術式を発動し、まずは周囲の音を遮断、つぎにあたかもそこに固有の結界を生み出したかのような幻覚を見せ、「結界魔法」を発動したかのように見せかけたのだ。
(ふぅ。我ながら役者だったなぁ――。しかし彼女震えて泣いてたな。ちょっと脅かしすぎたかな。変に壊れてなけりゃいいけど……)
キールはすこし、ミリアがかわいそうに思えてきたが、もしかしたら立場が逆転していたかもしれないと思えば、それも仕方ないとも思う。そもそも仕掛けてきたのは向こうからなのだから。
(実際、本当に魔法戦闘になれば僕に勝ち目はないからね。今彼女に勝っているのは、魔法感知能力だけだとおもうし、それもなぜなのかはわからない。ただ、この「魔術総覧」を手にしてから、魔術の熟練度がどんどん向上しているのは自分でもわかる。なぜなのかは謎だけど――)
ただ、今使える魔法の威力や効果範囲などは日に日に成熟度をあげているが、新しい魔法を習得するのはなかなかに難しいようで、「魔術総覧」に記されている魔法術式はまだほんの少ししか解読できていない。
いろいろ試しているが、「総覧」入手後すぐに「幻覚魔法」を習得した以降は、3か月以上経つというのに、「魔法感知」、「音声遮断」、「魔法痕跡消去」の3つしかまともに発動できない状況だ。
(こんなことで、この先どれだけの魔法を習得できるのだろうか――?)
そうは思うのだが、もう魔術師の道を歩き始めてしまっている。やり続けていくしか身を守る方法はないのだ。
次の日、いつもの通り下宿を出て大学へ向かう途中だった。
昨日の納屋の付近まで差し掛かろうかという時、見慣れた人影が見えた。
まさかとは思ったが、やはり間違いない。彼女だ。
キールはさすがに身構えかけたが、ここで臆しては昨日のことまで軽くなってしまいかねないと、気を引き締めて悠々と近づいてゆく。
(なんなんだ? もう構わないって言ってたんじゃないのかよ……)
内心そう思いつつも、努めて平静を装い、顔が判別できるところまで近づくと、ミリアはいきなりつかつかと目の前まで迫ってきた。
「ね、ねえキール、くん――。その、昨日はごめんなさい――。私、あなたを見くびっていたわ。あの、もし今からでもやり直せるのなら、その……、友――、いえ、そう! 魔術師を目指す仲間として、付き合っていただけないかしら!」
「!?」
「ど、どうなのよ?」
「え、えええぇぇ!? それって、つまり――」
「そうよ、私もこれからあなたの修練に付き合うから、あなたも私の修練に付き合いなさいってことよ! どうなのよ?」
「あ、ああ――。あ、いや。それはちょっと――」
「~~~~! き、昨日の威勢はどうしたのよ! 私との修練はあなたにとってそんなに足手まといってことかしら!?」
「そ、そうじゃないんだけど、ね。ほら、身分も違うし――」
「私が貴族だからダメってことね? それじゃあ私は今日から家を出てあなたの下宿に住み込むことにするわ! それでどう!?」
(ああ、こりゃもう収拾がつかなくなってるなぁ。さすがに本当に家を飛び出しかねない――)
そう思ったキールは、
「わ、わかった! わかったから、家を出るとかそういうのはやめてくれ、そうでなくとも貴族や金持ちには睨まれがちなんだ。これ以上、君の家からも睨まれたら、僕は学校に居れなくなりかねないよ――」
と、返し、
「わかったよ、ミリア・ハインツフェルト。君の提案を受けることにするよ。ただ言っておくけど、君が思うほど僕と君の差はないよ? がっかりさせちゃうかもしれないけど、それでも付き合ってくれるのかい?」
「もちろんよ。昨日のあれがどういうカラクリであったとしても、負けは負け。私はあなたに屈し、あなたに敬意を抱いたことに変わりはないわ――」
「そう、なんだね……。じゃあ、これからも宜しく、ミリア・ハインツフェルト――」
「いちいちフルネームで呼ばなくてもいいわよ、ミリアでいいわ。よろしく、キール」
こうしてこの時からキールとミリアは魔法の修練を共にすることになった。