第695話 行く手を塞ぐ壁
扉の向こうは、廊下がまっすぐに伸びている。幅は約3メートル。高さもそのぐらいだろう。
その廊下が、10メートルほど先で途切れていた。
いや、正確に言えば、粘着質の黒いものが廊下の床から天井までいっぱいに広がり、廊下を遮断しているのだ。
「おいおい、あの【ブラックスライム】、あの先どこまであるんだよ?」
ジルベルトが吐き捨てた。
「――そうだな……。この廊下の先に扉があって、その先が隠し部屋だ。扉までの距離は15メートルほどだったから、多く見積もって、5メートル、ってとこか……」
キールは自身の中にある『記録』と照合しながら概算で予測する。しかし、もし仮に、この【ブラックスライム】が、その奥の部屋から扉を壊して流れ出ているものとすれば、その大きさは予想の3倍から4倍に膨れ上がるかもしれない。
「どうするよ、旦那? まあ、ただの【ブラックスライム】なら取り込まれない限りは問題ないと思うがよ?」
ジルベルトがキールに指示を催促する。
確かにそうだろう。
この【ブラックスライム】はバレリア遺跡や低級ダンジョンにも湧く魔物であるが、危険度はそれほど高くはない。
基本的な攻撃としては、張り付いて得物を窒息させるというもので、そののち、ゆっくりとその獲物の肉を溶かして取り込んでゆくというものらしい。
不思議なことに、骨だけは残すという。
しかし、それは通常の大きさのものの話だ。
これだけ大きければ、もし取り込まれれば手で振り払うなんてことは出来ないだろうから、さすがにかなり危険度は増す。
「【ブラックスライム】なら、火炎系の魔法が有効ですよね? 火炎放射をしながら進めばいいんじゃないでしょうか?」
そう提案したのはアステリッドだ。
確かにその方法が一番良さそうな気がする。
通路幅は3メートル。3人なら並べる広さだ。
「そうだね。ただその前に、一発試してみるよ。火が有効なら問題ないけど、そうじゃなかった場合、一気に反撃を喰らったらさすがに危ないだろうから――」
「わかったわ。じゃあ、私たちは少し下がっていましょう。もちろん防御態勢をとりつつね?」
ミリアがそう言ってアステリッドとジルベルトを引き連れて、この廊下の入り口辺りまで下がってゆく。確かにあの場所なら、不測の事態が起きても外まで駆け抜けられるだろう。
キールも少し後退し、術式発動の準備を開始した。
今回使用する術式は、前にユニセノウ大瀑布の洞窟内で使ったものの応用版だ。
キールは腰のポーチから指先程の大きさの小石を一つ取り出した。
その小石に術式を掛ける。掛ける術式は『火炎』と『引金』だ。
『引金』の発動条件は、『術者の手から離れたのち、小石が何かに触れたら』だ。
キールは右手の上に乗る小石に術式を編んでゆく。ぽわんと小石が発光しすぐに消えた。これで、『火炎弾』の完成だ。
キールは後ろを振り返り、3人の方へ頷くと、その小石を【ブラックスライム】に向かって放り投げた。そして自身は、すぐさま、3人の居る方へと走り下がる。
絶妙な放物線を描いたその小石が、【ブラックスライム】に到達すると、一気に炎が立ち昇った。術式は成功だ。
「どうだ?」
キールが振り返り、【ブラックスライム】の壁を見やった。
炎は壁の中ほどで燃え上がり、黒煙を上げて燃え続けている。そこそこの魔力を込めた『火炎』だ。もしこれが何も効果を生み出さないのであれば、アイツに火炎魔法は無効と考えていい。
「見てください! あれ、溶けてませんか!?」と、アステリッドが叫んだ。
「ええ、確かにそのようね」と、ミリア。
キールはそれを見て覚悟を決める。
「よし、アステリッド案採用で行こう。ジルベルト、殿を頼む。僕たち3人で【ブラックスライム】を焼き尽くす――いくよ!」
そう言うなり、キールが駆け出す。ミリアとアステリッドもすかさずこれに続いた。
「火炎放射!!」
と、キールが一早く術式を展開。【ブラックスライム】の壁に向けて業火の渦を叩きつける。
すぐキールの左右に追い付いた二人も同様に『火炎放射』を発動しこれに続いた。
3人から放射される炎の渦に、【ブラックスライム】の壁がじりじりと後退してゆく
のが目に見えてわかる。
「キールさん! 効いてますよ、これ!」
アステリッドがそう歓喜に満ちた声を上げた。
「ああ、このまま扉まで押し切るよ!」
キールもこれに応じつつ、さらに火力を上げていく。
目の前の黒い粘着質の壁が徐々に後退するとともに、4人もまたじりじりと前進してゆく。
「キール、見て! 扉だわ!」
ミリアがその壁の向こうにうっすらと見える金属製らしき扉を発見して告げた。
「ああ、見えた! あれが、隠し部屋の扉だ! もう少しだ、2人とも」
ぬあああ――!! と、3人が最後の力を振り絞るかのように、さらに火力を上げてゆく。
そうしてついに――。
「はあ~、やりましたね?」と、アステリッド。
「ええ、完全に焼き尽くしたわ」と、ミリア。
3人の目前には錆びついたような茶色い金属製の扉が佇んでいた。
扉のこちら側の【ブラックスライム】の痕跡は完全に消滅し、辺りには焼け焦げた臭いだけが充満している。