第693話 口を開ける闇
ウィンガード城砦の場所は、キールの頭の中の『記録』にある。
もちろん、アステリッドの『記憶』のなかにもだ。
4人は、2人のその『記録』と『記憶』を頼りにとうとう辿り着いた。
確かに酷いありさまだ。壁には穴が開き、屋根は崩れ落ち、窓ガラスは割れたままである。
明かに尋常ならざる様相で、当時の襲撃の凄惨さを今もまだ伝えてくるように感じた。
そもそもこの事件、今となってもまだ原因がはっきりしていない。
『ケルヒ領危機』と呼ばれたこの事件だが、約50年ほど前、突如として魔物の大群が現れ、一気に当時のこのケルヒ領主、ウィンガード家の城砦を襲撃した。
ウィンガード家の当主、キリアス・ウィンガード男爵は剣を取り、これに対し必死に応戦、ヒルバリオの兄であり次期当主のホードは自身の息子アリエスを守り戦った。
が、結局は抗しきれずに3人ともが戦死する。もちろん、そのほか、彼らの母や妻もヒルバリオを除く一族郎党全てが魔物によって殺害された。
ただ一人城砦を脱出し、生き残ったヒルバリオだったが、一人では魔物に立ち向かうこともできず、その後数年間はなんとか日銭を稼ぎながら放浪することになる。
事態を重く見た当時のメストリル国王は即刻『ケルヒ領奪還作戦』を開始。総大将に『暴風』リヒャエル・バーンズを任命しこれに対抗。『暴風』の活躍もあり、数日でケルヒ領内の魔物全てを駆逐しつくし難を逃れた――。
というものだ。
今日向かうのは、その城砦の地下にあるという隠し部屋である。
ヒルバリオは魔物が討伐されたのち数年経って、その城砦の地下にあるという「宝物庫」へと戻り、財宝を手に入れようとした。
その際、ルイ・ジェノワーズの父エドワーズ(本名はリカルドというらしい)と共にその地下の隠し部屋に到達するが、そこで魔物――おそらくはブラックスライムのようなもの――に襲われ命を落としたとみられる。
数個の宝石を懐に入れその場を立ち去ることに成功したエドワーズは、それを元手に、現在のジェノワーズ商会の元を立ち上げたと思われる。
「ここだ――」
キールは城砦の近くに佇む、地下水道の入り口を見つけ言った。
頭上を見上げるとウィンガード城砦の城壁が見える。
「こんなところに、こんな道が――」
と、ミリア。
「さすがに暗いですね。灯りなんて、ないんでしょうね?」
とはアステリッドだ。
「――こりゃあ、城で使用した下水を流す水道だな? しかし、さすがにこの位置だとなかなかに分かりづらいな? この場所を正確に知ってるものじゃなければ、こんなところに寄り付きもしないだろうさ」
とはジルベルトだ。
キールも自身の頭の中に残るヒルバリオの『記録』を頼りにここへと辿り着いたのだが、もちろんそれがなければこんな場所を発見することは無かったろう。
城砦そばの崖を少し下り、街道からは完全に死角になる場所にいまや木々で覆われるように隠され佇むその入り口は、広さとしては、直径約2メートルほどの洞穴のようにも見える。
もちろんのことだが、主を失い廃墟となった城砦で水が使用されることは無く、この「水道」に水は流れていない。
当時はこの穴から流れ出た水が、眼下に流れる川へと排水されていたのだろう。
「全くだ。僕の頭の中にあるヒルバリオの『記録』がなければ絶対に辿り着けなかっただろうさ。ルイの父親はこんなところから生還したんだと思うと、なかなかに運のいい奴だったんだろうな――」
と、キールもその「水道」の奥の闇を覗き見ながら言った。
「――さて……。さっさとすませて帰ろう。ヒルバリオを襲った魔物がまだ潜んでいるかもしれない。警戒を怠らないように――。じゃあ、ジルベルト、お前が先頭な?」
と、当然のように指示するキール。
ジルベルトもそこはもうよく理解している。この4人は全員が魔術師だ。が、その中でもジルベルトが一番「経験」が豊富であることは間違いない。それに、キールを除けばあとは「嬢ちゃん」たちだけだ。まあ、順番というものを考えれば自分が一番前になるのは当然といえることはわかっている。
「ああ、そう来るだろうと思ってたさ。しかし、着の身着のままで来たからな。これしか『得物』がねぇんだ――。旦那、支援は頼むぜ?」
ジルベルトはそう言いつつ、腰のあたりから刃渡り15センチほどの1本の短剣をするりと抜き放った。
「どこからそんなものを――」
ミリアは目を見張った。
「ホントですよね? ジルベルトさん、それ、いつも持ち歩いているってことですよね?」
と、アステリッドが即座に突っ込む。
「――まあな。一応、「本業」なんでな? これだけは手放さねぇ。それとも、国家魔術院のお嬢さん方は、刀剣所持違反とでも言って俺を捕えるつもりかい?」
と、ジルベルトも悪びれる様子もなく言い返す。
「――ジルベルト、お喋りはそこまでだ。後方支援は任せろ。そのぐらいは面倒見てやる。だから……」
とキールが言いかけたところで、ジルベルトがその言葉を遮る。
「わかってるよ。俺だってただの道楽でここまで来たんだ。ちゃんと仕事しないと、職務怠慢で首を切られるかもしれないからな? 何があっても嬢ちゃんたちは守って見せるぜ?」
そう言って、短剣をひらりと振るって見せた。