第684話 蘇る記憶
キールは娼館を出ると、メストリル王立大学へと引き返すことにした。
そろそろ日も落ちるころだ。ミリアも教授室へとやってくるころだろう。
ジョドの様子がいつもと少し違ったことが気がかりではあるが、全員揃ったら話すと言っていたから、それなりに時間のかかる話かもしれない。
(そう言えば、迷宮から戻ってから、何も食べてなかったな――)
と、ふと思い出し、どうせ話が長くなるのなら何か腹の足しになるものでも手土産に持って行くかと、商店通りの方へと足を向ける。
メストリーデの商店街もなかなかに賑わっているのだが、やはりカインズベルクの商店街とは規模が違う。
それでも、そこそこ質の良い飲食店や持ち帰り専門店などが集まっているのは、この国には各国の冒険者が集まるからだと、前にレックスが言っていたことがあるのを思い出す。
冒険者たちはなかなかに舌が肥えているものも多く、「安い、旨い、早い」の三拍子が揃っているものはとりわけ口コミで広がるのも早いらしい。
冒険者がどうして集まるのかという点については、ランカスターの祖父であり、メストリル支部長でもある、ブリックス・ロイの手腕によるものらしい。
ブリックスは、そもそも『黄金の天頂』のリーダーである。今でこそ、『英雄王』の方が名が轟いているが、知る人ぞ知る存在でもあることは確かだ。
その伝説の冒険者に引き立ててもらえれば、自分の冒険者としての人生の先行きも明るくなると思うのは、それほど難しい思考ではない。
身を立てるなら、メストリルかカインズベルクで。
これは冒険者界隈の合言葉にもなっていると聞いている――。
メストリルが小国でありながら、経済的に裕福な理由の一つに、冒険者ギルドの隆盛が絡んでいることは疑いようがないことだと知ったのは、キールが冒険者になってからのことだ。
大学生になるころまでは、王国政府の施策によるものだろうとばかり思っていた。
しかし、この国がただそれだけで成り立っているわけでは無いことを知るようになった発端は、やはり、『真魔術式総覧』に出会ったことだと改めて思う。
あの本に出会ってなかったら、キールは今頃、メストリル王国政府の下級役人になっていたに違いない。
もちろん、そうなればいくらか王国を取り巻く状況や関係団体などについて知ることもあったろうが、恐らくは、エルルートとの邂逅は起きていなかっただろうし、もちろん、電力技術も今ほど発展しえなかっただろうとそう思う。
(クリストファーがいれば、電力技術の方はそれなりに発展していたかもだけど、エルルートとの邂逅はさすがにまだ起きていないと思う――。もし僕が魔法と出会ってなかったら、もちろん『英雄王』なんて雲の上の存在だし、ミリアとは接点もなかったろうし、冒険者ギルドと関係することも、『翡翠』と関わることも、ましてや、『神候補』になるなんてこともなかっただろう――)
そこまで考えて、ふと、ある男の言葉が急に脳裏に蘇ってきた――。
『お礼と言っては何だが、おまえが魔物と対峙しても負けないようになったら、俺の故郷を尋ねるといい――』
ヒルバリオ・ウィンガード。キールの前々世の男の「意識」が消える間際に言った言葉だ。
(そういえば、僕に「譲る」とか言ってたよな――)
たしか、ウィンガードの屋敷は今もなおそのまま残っていると、アステリッドが、昔、言っていたはずだ。
(思い出したってことは、そろそろ行けってことかもな――)
キールは、商店街を物色して、持ち帰りの「ドーナツ屋さん」の扉をくぐり、これから集まる人数を伝える。並んでいる商品から、幾らか適当に箱に詰めてもらい、それを受け取るとその店をあとにした。
甘いものが好きなアステリッドはそれこそ何でもいいだろうが、ミリアと自分はただ甘いだけでは厳しいと考え、それなりに腹の足しになりそうなミートパイのようなものも混ぜてもらっている。
話の長さによっては足りないかもしれないが、その時はその時また考えればいい。
(――こういうことってタイミングってのもあるだろうし、今度の試練まではしばらくありそうだから、都合が付けば行ってみるか――)
キールは先程のヒルバリオの言葉をふと思い出したことについてそう帰結すると、メストリル王立大学の門をくぐった。