第682話 ルイ・ジェノワーズとキール①
娼館ビジネスを主な生業としているのがジェノワーズ商会である。
現在、ジェノワーズ商会の代表は、ルイ・ジェノワーズである。このキールと同い年のぼんぼんは、父、エドワーズ・ジェノワーズの「事故死」ののち、父の生業を継いでこの娼館経営の商会頭に納まった。
その際、いろいろと経緯があり、キールが「顧問」としてバックにつき、ジルベルト・カバネラという、元暗殺者集団『シュニマルダ』出身の男を「相談役」として雇い入れるという事態となった。
しかし、この改革は、悪いことばかりでもなかったなと、最近は思うようになってきている。
ルイ自身、父の横暴な経営方針のせいで、街のものからあまり良い印象を持たれていなかったし、店の娼婦男娼どもも、どこか「親の七光り」的な目でルイを見ているものが多かったと感じていた。
そんなものを跳ねのけようと、ならばと娼婦男娼につらく当たり、自分とお前たちは立場が違うのだと見せつけようとしていた。
しかし、ある日突然、父が死に、世界が大きく変わってしまった。
そこからはただ必死に働いてきた。
キールの意見――というよりも命令に近かったが――を容れ、ジルベルトを使い――というよりも監視されているように思うこともあったが――、そうやって今ではメストリル一の優良企業に生まれ変わらせることができたのだ。
経営方針や店の従業員の待遇改善後は、ルイを見る娼婦男娼の目が変わったように思う。最近では、すれ違いざまにふわりとした笑顔で気持ちの良い挨拶さえも投げてくれるようになった。
初めのうちはそのことに戸惑い、上手く返すことができなかったが、ジルベルトに背中を叩かれ、「ほれ! お前も返すんだよ!」と言われるうちに、少しずつだが挨拶を返すことができるようになり、今では、従業員たちが日々の仕事を滞りなく行ってくれていることに対し、感謝とも言える気持ちすら芽生えている。
キールがやってきた今も、机にかじりついて書類の処理をしているのは、少しでも従業員たちが働きやすい環境を整えようと、来たる夏に向けて「送風設備」を導入するためである。
「――ん? ルイ、その書類はなんだ?」
キールが書類に気が付いたようで言葉をかけてくる。
「夏の暑さ対策だよ! あまり暑すぎると、従業員たちの労働効率が落ちるし、衛生的にもよくないからな。快適な環境で仕事をしてもらえれば、従業員の作業効率も衛生面も向上してより効率的な業務が行えるだろ?」
と、返す。
「――!! ルイ――、本気で言ってるのか?」
と、キールが目を丸くして驚いたふうを見せる。
「な、なんだよ!? 間違ってないはずだろ!? これはルドから聞いた話だからな。ルドの言うことは信じても悪いことは無い――」
と、思わず情報の出所を言ってしまったが、これまでルドこと、ルド・ハイファの提案や提言を容れて従業員たちから不評を受けた経験はない。今回も大丈夫なはずだが、キールの反応にやや自信が揺らぐ。
「――いや……、そうじゃない。お前が従業員たちの体のことや仕事の効率のことなんかを考えてるってことに驚いたんだ。ルイ、お前も少しはまともな経営者になって来たんじゃないか?」
「――――!!」
ルイは正直、言葉を失った。
まさか、あのキールが俺のことを認めている――?
いや、そんなことは無い。こいつはいつでも俺を下に見て余裕を見せる嫌な奴だ。今のも何か計算が――。
「ジル、今ルイが言ったことは、本心なのか?」
ルイが言葉を出せずに、考えもまとまらないでいると、キールは今度はジルベルトに向かってそう言った。
「さあな。ただ、ルドがこいつにそういったことは本当だ。それに、その資料はこいつが自分でエリザベス教授にアポを取って、貰って来たものだ。正真正銘、自分で動いた結果だぜ?」
ジルベルトがキールにそう返す。
改めてそう言われるとそうなのだが、自分としては、ただ、ルドの意見を正直に聞き入れ、エリザベス教授に話を通しておくからというルドの言葉を丸々信じて言うとおりにエリザベス教授に会い、渡された書類に目を通しサインをするところだっただけなのだが――。
「――人って変わるものなんだなぁ……」
と、キールが呟いたのをルイは聞き逃さなかった。
「そうだぜ、ダンナ! 俺も随分とこの商会の為に動いて……」
と、ジルベルトがその言葉に反応したが、またこれを遮るようにキールがルイに向かって言った。
「ルイ、その調子で頑張れ。そうすれば、みんな、お前に感謝するようになるだろうさ――」
「感謝――?」
「ああ、いろんなことでたくさん感謝してもらえ。その分、従業員さんたちはもっと商会の為に何か出来ないかと考えるようになる。まあ、全員が全員そうなるとは限らないけど、少なくとも、何人かは、そうなる。そうすれば、ジェノワーズの娼館にくるお客さんももっと増えるはずだ」
「そんなことで、増えるのか?」
「ああ、増える。そういうものなんだよ、商売ってのは」