第652話 たとえあなたが
ジョドに跨った二人、ミリアとクリストファーは東へ向かう。
やがて、日が沈みかけるころ、目前に広がる巨大な都市が目に入ってきた。
沈みゆくオレンジ色の夕日に照らされた王城区画の尖塔が色づく姿は美しい。
世界最大の都市カインズベルク――。
この先数十年、もしかしたら永遠にこの中央大陸の中心地として君臨し続ける都市になるのかもしれない。
「きれいね――」
ミリアは誰彼ともなくそう呟いた。
『うむ。この姿には畏怖すら覚えるのう――。しかし、かつての人類はこんなものではなかったぞ?』
と、返したのはジョドだった。
そうだった。彼女はかつての人類がこの世界に造り上げた強大な文明を知っているのだ。そしてそれと戦い、命を懸けてこの世界を救った――。
「――ジョドさん、僕たちもいずれそうなるのでしょうか?」
クリストファーがジョドの言葉に反応する。
『小僧の言う「そう」とはどのことを言っておる? それほど強大な文明を築くことができるのかという意味か? それとも――』
「はい。両方です、ね」
『小僧はどう思う?』
「僕は――、そうですね、まだまだ「科学」は始まったばかりです。そもそも、僕やエリザベス教授は生粋の「科学者」ではなく、あくまでも「考古学者」なんです。おそらくは今後、そう言った「生粋の科学者」がたくさん現れるでしょう。そうなれば、おのずと世界の技術は向上し続けていく――」
クリストファーは「両方」のうち「片方」を先に述べた。
今後、年を経るごとに、今のクリストファーやエリザベス教授を凌ぐほどの天才科学者はたくさん生まれ出るだろう。
そうなれば、科学は発展し、世界は進化を続ける。それは自然な流れだ。
かつて、エルルート族はその「進化のレール」に乗ったと聞く。だが、早々にその行きつく先を見出し、みずからその「レール」を外して進化することを止めたのだと『翡翠』さまから聞かされた。
その決定について、『翡翠』さまは、「おそらく人類存亡にかかわる英断だった」と評価しておられた。
が、その一方で、その面持ちにはやや「寂しさ」が影を落としているようにも見えたのだ。
そもそも『翡翠』さまの性質は、好奇心、探求心とも旺盛なほうだ。でなければ、自分の生まれた世界から遠く離れた異種族の住まう世界を旅してまわるなどということはすまい――。
もしかしたら、口ではそう言いながらも、この中央大陸の「人族」に対して、望みをかけておられるのではないかとも見て取れる。
「ですが、一方で、どこまでも進化し続ける結果の行きつく先は、僕にも分かります。かつて、エルルートの方々が気が付かれたことは当然考えられることです。それは「破滅」でしょう。問題はどうやってそうならないように持って行くか、ということなのではないでしょうか――」
クリストファーはもう「片方」についても思いをのべた。
「小僧、精進せよ。そうならないために何が必要か、それを見出し、次世代へ受け継ぐことができればあるいは、限りない進化がお前たちの目の前に広がり続けるのかもしれぬな?」
ジョドの答えはそれだけだ。
「大丈夫よ。クリスなら必ずやり遂げるわ――」
クリストファーの前からそう、声がした。ミリアの声だ。
「僕が間違えそうになったら?」
「あなたが間違える? そんなこと万に一つもないだろうけど――。そうね、それを言うことであなたの背負うものが少しでも軽くなるのなら言ってあげるわ? 私とキールが必ず止めて見せる、ってね?」
クリストファーはその答えを聞いて、少しだけ胸の中のわだかまりが消え去るようなすがすがしさを感じた。
「小僧よ。人は一人では何もできぬちっぽけな存在じゃ。我ら竜族とはそこが大きく異なる。我ら竜族はしかるがゆえに、自らを厳しく律する。欲に走らず、基本的に『公平無私』な思考を是とする。世界を破壊することすらできる力を持つ我ら竜族が他種族と共に生きるために必要であることだと、そう「規定している」のじゃ。たしかに人一人ではそれほど大きな力を持ってはいまい。じゃが、人一人が大きく世の中を変化させることはある。『英雄王』もしかり、そして、この国ヘラルドカッツの国王もそうじゃ――」
クリストファーにはジョドが言わんとしていることがわかっている。
能力を持つものが指導者となり、先駆者となるのは当然のことだ。英雄に憧れ、そのものの傍に居たい、傍で活躍したいと願うものは多い。
その際『英雄』に求められるのはなにか――?
竜族はそれを一個一個の個体が持つに至ったと、ジョドはそう言っている。
それが、『公平無私』ということなのだろう。
私心無く、なにが最善かを考え行動する――。
人は根本的に「弱い」。
私心無く、などできるわけもない。
ならどうするか。
周囲の意見によく耳を傾けること、これが何より大切なことなのかもしれない。
(その点、僕は恵まれている――)
そう思うとつい、ふふふっと笑い声を漏らしてしまった。
「なによ、クリス、出来ないとでも思っているの? 私とキールならあなたが例え「魔王」になろうとも必ず止めて見せるわよ?」
「あはは、そうだね、ミリア。よろしくお願いするよ?」
「――もう! 茶化してるでしょ? お喋りはここまで。ほら、もう着くわよ? ジョド、適当なところで着陸して――。公式訪問じゃないから、街の上までは行けないわ――」
ああわかっとる、とジョドは言うと、高度を下げ始めた――。




