第622話 クリストファーの使命
「戦乱――ですか」
アーノルド王子が、ウィリアム王子の言葉を再度口にし、噛み締めるように言った。
「アーノルド、これは冗談なんかじゃない。この世界は過去に数十年以上もの間戦争に明け暮れた時代があったのだ。その時代、国家間は国境を争い、集落間でも土地の奪い合いが発生し、王国内においても各領主が覇権を争うということが起きていた――」
――そんな時代が再び訪れないという保証はどこにもない。
と、ウィリアム王子が言う。
ウィリアム王子のいう事は確かなことだ。と、クリストファーも思っている。
そもそも人間というのは、あくまでも動物であるのだと、クリストファーは考えている。
ただ、いわゆる「動物たち」と我々「人間」との間を決定的に隔てているものがある。
――「文明」、だ。
人間たちは互いに言葉を使い意思疎通を図り、さまざまな技術を獲得し、最終的には「経済」というものを確立した。
そして、いわゆる「弱肉強食」の時代からようやく脱し、「共存共栄」の道を模索し始めている段階と言えるだろう。
エルルート族はその長い歴史の中から、すでにこの「共栄」の精神を培うに至っている。
彼らは、魔法技術的にも自然知識的にも劣る「人族」の土地を侵略することをせず、「人族」たちが自分たちを受け入れられる状況になるまで邂逅を待ち続け、その時がようやく先年になって訪れた。
彼らの魔法技術や造船技術をもってすれば、たとえ戦乱に慣れている人族と言えども、一飲みに壊滅させられてもおかしくない。
ところが彼らはその方法を取らなかった。
現在の人族とともにこれからの歴史を歩もうという姿勢をもって接してくれている。
恐らくだが、彼らも長い歴史の中で、戦乱から得られるものには限界があるということを認識するに至ったのかもしれない。
聞くところによれば、エルルート族は技術革新を途中で捨て、自然との共生を図る道を選んだということだ。それによって得られた恩恵は、彼らの非常に長い寿命という形で現在現れていると言っても過言ではないだろう。
――人族がその道を歩めるか?
という命題を今まさにクリストファーは突き付けられている気がしている。
いや、これは正確ではない。
すでに手遅れなのだと、クリストファーは答えを出していると言った方が正しい。
(残念なことだが、「人族」は気付かぬままにここまで来てしまった――。恐らく、いまさら「後戻り」は出来ないだろう――)
というのがクリストファーが導きだした「回答」である。
エルルート族が戦乱から得られるものの限界に気が付いた時期は、現在の「人族」世界のような状況に至るよりまだまだ「前」だったのだろうと、クリストファーは分析していた。
一早くそれに気が付いたエルルート族の知能レベルには頭が下がる。
それ一点においても、「人族」の知能と「エルルート族」の知能との間には開きがあるように思うのだ。
――このままでは、エルルートと共に歩むことはいずれ難しくなるだろう。
と、クリストファーは考えている。
この先の人族世界の進み方によっては、エルルートは自身の種族保持の観点から、人族を殲滅しなければならないという判断を下してもおかしくはない。
いまはただ、それを見極めるために様子を見ているか、もしくは、軌道修正を緩やかに進められるか試行しているというのが実のところではないだろうか。
(『翡翠』さまとはこの点について、いずれ必ず話さなければならない時が来るだろう――。それまでに僕たちはどう舵を切っていくかを見出さなければならない――)
その為に、クリストファーは今、着々と「準備」を進めているのだ。
――僕たち「人族」も、いずれどこかの地点で、急激な技術革新を止め、「持続可能な世界基盤」を構築しなければ、エルルートと対等な関係を続けられなくなる。
そうなれば、間違いなく「戦争」が起きるだろう。
エルルート族対人族の「種族間戦争」が、だ。
それが起きた場合、おそらくこの世界はもはや「持続可能な世界基盤」を構築できないほどに壊滅的な打撃を受けるに違いない。
(いや、その前にあの者たちが牙をむくだろう――)
――あの者たち。
ドラゴン族だ――。
彼らはかつて科学の繁栄の極みに達した先人類――バレリア文明人たちを焼き尽くし、世界を完全に破壊したという。
そして結果的に、ドラゴン族の数も激減し、今やその存在はほんの数頭になっていると聞く。
もしそれが事実であるなら、今度はそこまでは待ってくれないだろう。なぜか?
かつてのドラゴン族はまだ個体数が多かったから、そこまで待てたのだ。
現在の個体数で世界を破滅に導くことが出来るとすれば、その時期は、以前の時より早まるのは当然の話だ。
――だから、「人類」も急がなくてはならない。一早く、その段階を見極め、エルルート族、ドラゴン族との共栄と持続可能な世界基盤をどのタイミングで構築できるかを模索しなくてはならない。
(それが、僕のやらなくてはならないことになるだろう――)
と、クリストファーは考えている。




