第600話 ミリア、メストリルへ帰還する
ミリアはフロストボーデンから帰国するや否や、エリザベス教授のところへ行くようにとニデリック院長から通達を受けた。
なんでも、公務は数日間お休みしていいから、教授のお手伝いをしてやってほしいと、そういうのだ。
詳細は教授から聞いてほしいということと、先般から冒険者ギルドへ依頼していた「件の人物」が、ミリアの留守中にメストリルへやってきて、すでに英雄王や教授、院長との会談が済んでいるということだけ聞かされた。
「わかりました。それでは、エリザベス教授のところへ参ります――」
そう言って、国家魔術院の院長執務室をあとにして、メストリル王立大学へと向かう。
王立大学へ足を向けるのは何日ぶりだろうか。
かつての学び舎、キールとの出会いの場だったこの大学から、少しずつ距離が離れて行っているような、そんな寂しさがミリアの胸を突く。
デリウス教授の教授室には時折足を運んではいたが、いまや、クリストファー、キールはもちろん、いつもは居たはずのアステリッドやデリウス教授すらいない。
気が付いたら、教授室にかつての「キール一味」は誰もいなくなってしまっていた。
今では教授室の部屋の主は竜族のリーンアイムさんになっているが、そのリーンアイムさんも今は海の上だ。
教授室の鍵は現在部屋主が不在の為施錠されている。
ミリアは寂しさを押し殺して、エリザベス教授の部屋へと向かった。
「あら、ミリアさん、お久しぶり。あら? あなた、少し疲れてない? お肌が少し荒れてるわよ?」
と、エリザベス教授らしい軽いジャブを受ける。
「教授のほうこそ、寝不足じゃありません? 目の下にクマがすこし出ているようですが――」
と、ミリアも返す。
「ふふふ、まあ、大したことは無いようね? それじゃあ、お願いしても大丈夫でしょう」
「お願い? ですか?」
「ええ、少しあなたの力を借りたいのよね。というより、あなたの従者の、と言った方が適切かもしれないけど」
「ジョドとべリングエルですか?」
「ええ、実は、ノースレンドまで送っていってほしい人がいるの――」
「ノースレンド……ですか」
エリザベス教授の話によれば、いわゆる「件の人物」がノースレンドに荷物をそのままにして出て来たから、その処理のために一度ノースレンドまで戻るという話になっているとのことだ。
実際、その人物の記憶開放の術式施術にはキールの帰還を待たねばならない。
ところが、キールが大陸に戻ったという報せはまだ届いていないため、あと数日はまだ掛かるだろう。
その間に、その人物、ローズ・マーシャルにはメストリルへの移住手続きを進めてもらうという方向で決しているらしい。
「それで、そのローズ・マーシャルさんは今どこに?」
「ああ、今はハルちゃんが街中を案内してるはずよ。どこに行ったのかまではわからないけど――。まあ、そのうち戻ってくるんじゃない?」
「はあ、そのうち、ですか――」
「そう、そのうち、ね」
エリザベスの言う「そのうち」は大してあてにならない。というのも、こういう場合の彼女の体内時計は、一般人のそれとは明らかに異なっている風潮があるからだ。
エリザベス教授はそれだけ言うと、もう立ち上がり、身支度を始めている。おそらくのところ、ここにいたのはミリアが戻ってくることをあらかじめ聞いていたから、それまで待っていたに過ぎないのだろう。
「じゃあ、ミリアさん、あとはローズさんと話して。私は、現場まで行ってくるから――。ああ、ハルちゃんがついて行くっていうのなら一緒に連れてって上げて。『翡翠』さまにはもうお許しをいただいてるから――」
教授は、出て行くなら鍵は開けといていいから、と言葉を残して部屋を出て行ってしまう。「現場」というのはおそらく水力発電所の工事現場のことだ。
部屋に取り残される形になったミリアは思案する。
このままここで「そのうち」を待つことにしてもいいし、探しに出て行ってもいいというのが教授の最後のメッセージの意味なのだろう。
そういうところまではっきりと言わないのが彼女らしいのだが、それもこの数年の付き合いの中で察せるようにはなっている。
(探すって言っても、ローズさんの顔を私は知らないのよね。でも、ハルちゃんと一緒だっていうのなら、街で見かけるかもしれないわね――)
どうするか悩んだ挙句、ミリアはやはり探しに出ることにする。
とは言え、ハルちゃんが行く先などにあまり当てはない。こんな時にリディがいてくれれば、すぐにハルちゃんを見つけてくれるだろうけどと、無いものねだりをしてしまう。
(まあ、とりあえず、街に出てみましょう。メストリル城下町を歩くのも久しぶりだし――ね)
見つからなければ見つからないで、また夕方ここに戻ればいい。現状、ローズ・マーシャルという人物の仮住まいは王城の客室だと聞いている。二人は「そのうち」ここにいったん戻ってくるだろう。
(あ、戻ってきたときの為に、書置きを置いて行けばいいわね――)
そう考えをまとめると、その辺りにあった紙とペンを手に取り、ハル宛てにメッセージを書いて教授執務室のテーブルの上に見えるように置いておいた。
(よし、これで、戻ってきたらここで待っててくれるでしょう)
そうしてミリアは執務室をあとにして城下町へと向かった。




