第594話 剣は鞘へもどる
ローズには何が起きているのかわからないが、どうやら、「合格」ということらしい。
「あの、それで私は何をすればいいのですか? この文字列が読めるかどうかを確かめるためだけにわざわざ呼び寄せていただいたわけじゃないのですよね?」
ローズから聞きたいこともたくさんあるが、何よりも「その目的」が一番知りたいところである。
でなければ、受けれる話かどうかすら判断できない。
この質問に対して答えたのは、左手に座っていた綺麗な顔立ちの男性だった。たしか、国家魔術院の院長さん、だったか。
「ローズ・マーシャルさん、これから先は口外禁止の内容になります。もし口外なさった場合、われわれはあなたの処分を考えなければなりません。どうでしょう? お聞きになりますか?」
そう言った。
表情には威圧感というより、こちらを気遣うものの方が濃いように見える。
もちろん、魔術師に会うのすら初めてなので、魔術師という人種が普段はどうなのかなんてわからないのだが。
ローズがやや返答に困っていると、その後を受けて、英雄王が言葉を継いだ。
「ニデリック、そういう言い方をすると怖がらせてしまうだろう? まあ、言わんとしていることはわかるがな。――ローズ、覚悟が決まらぬなら、無理にとは言わん。ここまで来てくれたことに感謝しておる。褒賞を授けるが故、帰りも気を付けて帰るがよい――」
英雄王がそう言った。
このままだと、私は用済みで、熱の誰かを探すほかないという結論に収まってしまそうだと、さすがにローズも察する。
「あの――」
と、なんとか、喉から言葉を絞り出す。
「私は、ただ褒賞が欲しくてここまで来たわけではありません。私にもここに来た理由があるのです。――陛下、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
ここまでは言えた。この先は、「交渉」になるかもしれない。その場合、こちらが譲れるのはどこまでかを決めておく必要がある。
もし仮に、話の先を聞くのならという条件だった場合は諦めよう。さすがに、これからの生活の中で、常に背後に気を付けて過ごすなんて無理だ。
しかし、ローズの心配は杞憂に終わることになる。
「質問か。答えられるかどうかはわからんが、なんでも聞いていいぞ? 遠いところまで呼び寄せたのだ。出来ることは返すのが冒険者の礼というものだ」
「冒険者の礼――」
「ああ、俺は今はこんな役目を負っているが、ついこの間までは冒険者だったんだ。俺の行動原理は常にそこに基づいている。冒険者は受けた『恩』には自分のでき得る限りで返すべしという『礼』があるのさ。お前は俺の要請に応じて遠いところからここまで数日掛けてやってきてくれた。その『恩』に報いるのは、当然だ。俺が出来ることなら応えねばなるまい?」
「あ、ありがとうございます――。では、お聞きします。私の祖母はかつて冒険者だったと先日カインズベルクの冒険者ギルドでわかりました。陛下は、『囁く狼』というパーティをご存知ではありませんか?」
「『囁く狼』――」
「ケウレアラの大迷宮第4層で壊滅し、その後、陛下がこのパーティの遺品を回収なさっと聞いてきました――」
「ケウレアラの大迷宮第4層――、たしか【ヒュドラ】か――。ああ、知っている。そうか――、ジズレフィン……、ジズレフィン・マーシャルのファミリーパーティの名が『囁く狼』だったか。懐かしい名を思い出した――」
「はい! そのジズレフィンが私の祖母です。そして、遺品を回収された二人が……」
「――! そうか、お前があの二人の娘、ということになるのか。そうだったか。これは何という縁か。こういうことがあるから冒険者を辞められなかったんだ。ローズよ、俺がお前に言えることは一つだけだ。お前の父母は勇敢な冒険者だった。俺は二人の遺体を見てそう確信したのを覚えているぜ」
勇敢――。
その言葉が冒険者にとってどれほどの価値があるかは、今のローズにはよくわからない。
しかし、英雄王のその言葉を聞いた途端に、これまで堪えていたものが堪えきれなくなって一気に溢れ出てくるような感覚にもう抗う事が出来なかった。
ローズはとめどもなく涙を流し、肩を震わせ、声を上げて泣いてしまった。
「まったく、ジズレフィンのやつ、ここまで予知していやがったわけじゃあるまいが――。昔から勘のいい女だった……。ローズよ、俺も思い出したことがある。しばらくここで待っていろ――」
そう言うと英雄王はすぅと席を立ちあがり、出入り口とは反対方向にある自室への扉から姿を消し、数分後に片手に何かをもって戻ってきた。
そしてまた腰掛けると、テーブルの上にそれをことりと置いた。
緑色の宝石が散りばめられ、木の葉が広がる意匠を施した筒のようなものがローズの眼前に置かれている。
「おい――」
と、英雄王が衛兵に声を掛けると、衛兵がローズから一時的に預かっていた短剣を英雄王へ渡す。
「どこかで見たような柄の意匠だと思ってたんだが――。『新緑の短剣』だったか――」
そう言うと、ローズの短剣を革の鞘から抜き放ち、次いで、テーブルの上の筒をとり、その筒、つまり鞘に短剣を納めた。
「――ローズよ。これはお前のものだ。ジズレフィンから「預かっていた」ものだ。よもや、返す時が本当に来ようとは、な」
そう言った英雄王の表情には深い温情が浮かんでいるように見えた。




