第591話 キール、とてつもなく後悔する
レックスは迫りくる偃月刀に盾を構えようと試みる。が、体が硬直して一向に動かない。
ランカスターもまた、せめてレックスを押し倒して偃月刀を躱そうと思考するが、こちらも体が動かない。
((やべぇな……))
と、二人は同時に思考した。
さすがにもう、受け身もパリィもガードも何もかもが間に合わない――。
二人は、完全に死に体である自分たちのことを、覚悟する――。
さすがに、その瞬間まで目を開けていられる勇気は、無かった。二人はほぼ同時に目を閉じ、その瞬間が訪れるのをただ待つ。
バキキィィッ――!
何かが弾け飛ぶような衝撃音が響いたが、不思議と体に痛みを感じない――。
ランカスターは、へぇ、死ぬときってこんな感じなんだ――と、ふわりと頭をよぎる感覚にただ身を任せている。
すると――。
「ランカ!! 目を開けろ!!」
と、聞きなれた声が耳を打った。レックスの声だ。全く死んでからも一緒なんて、どこまでも腐れ縁だな、と考える。
「ランカ! まだだ! まだ死んじゃいねぇ!!」
死んじゃいねぇだって?
ランカは、閉じていた目をゆっくりと開く――。
「いつまで目を瞑っておる! 早く退避しろ、この愚か者がぁ!」
ランカスターに怒鳴りつける威圧感のある声は、竜族のリーンアイムだ。
「あ、ああ、す、すまねえ! 今動く!」
ランカスターとレックスに覆いかぶさるようにリーンアイムが腕を拡げて立っている――。
ランカスターは状況を把握できなかったが、とにかく、偃月刀の斬撃が自分に到達していなかったことを察して、レックスと共にその場から数メートル後退した。
そして、何が起きているのか、その時に初めて確認したのだ。
犬頭の偃月刀が、リーンアイムの背中に突き刺さっている――。
「リーンアイムさんっ!! 今、治療を――!」
女の子の声が聞こえた。この声を聴き間違えることはない。アステリッドだ。
その子の声はいつも麗らかで、厳しく、それでいて清々しい音を奏でるのだが、今の声色は初めて聞く、重く、悲しみに満ちた悲痛な叫びだ。
「あ、ああ! リーンアイムが、俺たちを庇って――」
ランカスターはレックスにしがみつき、胸を突き上げる恐怖に襲われた。
「――娘よ! 我は大丈夫だ、それよりレックスを――!」
リーンアイムが叫ぶ。
(レックスを、だって――? レックスはここに――)
ランカスターは隣にいるレックスにようやく視線を落とす。
盾が砕け、ぐったりとしているレックスが目に入った。
「は、はい! レックスさん、今――、『上級治癒』――」
アステリッドがレックスのそばに跪き、治癒の光を灯し始める。
「このやろう――!」
後方から怒気を含んだ声が響いたと思った瞬間、3人の脇を疾風が駆け抜けた――。
「疾風剛翔撃――ぃい!」
どっごおおおおおん――!!
キールが後方から一気に疾駆し、犬頭の顔面に拳をめり込ませ、ぶっ飛ばした――。
犬頭はそのまま二転三転して、数メートル吹き飛んでいく。そしてその場に横倒しになった。
「リーンアイム! 大丈夫か!?」
キールがリーンアイムに駆け寄り腕を貸す。
「なんの、大したことではない。しばらく、飛べないだろうがな――。まあ、そのうち、また飛べるようになる。気にするな」
リーンアイムの背中の翼の一部が吹き飛んでいるのをキールは沈痛な面持ちで見る。
「すまない、リーンアイム、僕の見立てが甘すぎた――。僕らはまだ、そこまで強くなかった――」
「ふん、これも経験だ、小僧。しかし、さすがに我はしばらくは戦力にならんぞ? どうするつもりだ、小僧?」
「問題ない――。僕は怒っているんだ。自分自身の甘さに。ここからは余裕は見せない。――みんな、すまなかった。僕が悪い。僕が初めから余裕など見せなければ、こんなことにはならなかった――」
キールはそう言うと、リーンアイムのそばに寄ってきたアステリッドにリーンアイムを任せ、下がるように合図をする。
アステリッドは、キールのこれまでに見たことのない表情に何かを察したようで、言葉を掛けずにただリーンアイムに肩を貸して下がっていく。
(――本当に僕は何をやっている!? これは僕の『試練』なんだ、僕が全力で乗り越えなきゃならなかったんだ……。こんな驕りがあるから、みんなを傷つけるようなことになったんだ――)
ブモオオオォォォオオオ――!!
犬頭がようやく起き上がり、怒りの咆哮を上げる。そして、偃月刀を握り締め、キールへと照準を定めた。
そうして、キール目がけて一気に駆け出した。
キールもまた、これに合わせて前方に駆け出す――。
そこからは一方的だった。
ひたすらにキールが犬男の偃月刀を躱し続け、返しの拳や蹴りを急所に打ち込んでゆく。
犬男は、徐々に体力を削られ、最後には、ただの布切れのように、その場に立っているのがやっとになった。
そして、ついにその時が訪れる。
キールが天高く舞い上がると、犬男の上空高くから真下に向かって拳を突き出す。全体重をかけ、魔法で速度を増加させ、さらに拳にとてつもない魔力を込めて、その「突き」が繰り出されると、犬頭の眉間に突き刺さり、瞬間、後頭部から脳漿がはじけ飛んだ――。
4人はただ茫然と、その様子を見守るだけだった。




