第572話 相変わらず「鈍い」キール・ヴァイス
「次! 左へ60度、右40――!」
リーンアイムが上空から叫ぶ。
見張り台のベックがそれに合わせて、タイミングを報せてくる。
「オネアム! いける!?」
キールは航海長のオネアムに言葉を投げた。オネアムは今、舵を握っている。
「あ、ああ! なんとか――!」
オネアムは操舵を繰り返す中で、キールに返答する。
「舵を切るタイミングはベックに委ねよう――! ミューゼル、遅れるな!」
キールは帆の操作を仕切っているミューゼルに向かって吠えた。
「ああ、もちろんだ! 野郎ども、腕の見せ時だぜ? 海の女神に俺たちの力を見せつけてやろうぜ!」
「「おおう!!」」
ミューゼル以下、操帆員たちが呼応する。
そこから約30分――。
そろそろ体力も限界に近くなってくる――。
「もう目の前だ! みな! 踏ん張れ!」
と声をだし、船員たちを鼓舞するキールだが、心の内では、正直これ程に入り組んでいるとは思ってもみなかった。
様子見から戻ったリーンアイムは、あらかじめキールにそのことを伝えていたが、やはり、「聞く」と「やる」とでは大違いだ。
サンゴ礁を抜けた先は、穏やかな遠浅が広がっており、船底をこすらないあたりまで到達すれば、あとはボウトで充分上陸できると、リーンアイムは報告してきた。
幸い、周辺に魔物の気配は全くないという。
(これで、島の上に魔物たちが蔓延っていたとかだったら、無事に離岸できるかわからなかったところだ――)
「――次が最後だ! 左30、右60――」
リーンアイムの声が聞こえた途端のことだった。
ガリィ――!
という、右舷の船底あたりからの音と同時に、船が少しだけ左右に揺れる。
「きゃあ――!」
と、短い喚声を上げたアステリッドがふらりと揺れるのを、ランカスターが思わず受け止めた。
「大丈夫か? アステリッド?」
「だ、大丈夫です! い、いつまで触ってるんですか!?」
ランカスターには申し訳ないが、今はフォローを入れている暇はない。
「ミューゼル!!」
キールが船の損傷具合を知る為、副長のミューゼルに声を掛ける。
「問題ねぇ!! 少しこすっただけだぁ! 穴は開いてねぇ!」
と、返事。即座に、
「船長! もうすぐ行きます!」
と、見張り台のベックが腕を振る。
「よし、最後だ、気合入れてくぞぉ!」
「「サー!」」
ベックが腕を振って合図する――。
「取舵、30――!」
「サー!!」
キールの声に合わせて、オネアムが舵を左に切る。
船は右側に荷重がかかる。これをミューゼルたち操帆組が上手く風を調整して、船体が傾きすぎないように維持する。
次いで、ベックがまた腕を振った。
「面舵、60――!」
「サー!!」
今度は舵は右――、船体は大きく左へ傾きを変えた。
「きゃあ――!」
「ランカ! アステリッドが落ちないように、頼む!」
「もちろんだぁ!」
ランカスターも、現在の優先順位は把握しているようだ。多少アステリッドに触って気を悪くされようが、甲板から転げ落ちるよりは全然ましだ。
「ぬ、抜けたぁ!! 抜けたぜ、船長!」
副長のミューゼルが舷から落ちそうなぐらいに身を乗り出し、海面を覗き込んで確認する。
「「おおお!」」
と、船のあちこちから大きな歓声が上がった――。
その後船は穏やかな海面を滑るように進み、遠浅の端から少し離れた場所で投錨する。
帰りも同じことをしないといけないわけだが、『レオローラ号』の船乗りたちは経験豊富なものばかりだ。
一度やり遂げたことを二度目に失敗することはありえない。次は、情報が増えた分、しっかりとシミュレートして臨んでくれるからだ。
船乗りに「慢心」はあり得ない。
「リーンアイムさん、お疲れさまでした!」
甲板の上に戻ってきたリーンアイムをアステリッドが迎える。
「まあ、うまく行ったようでよかった。途中お前の悲鳴のようなものが聞こえたが、何かあったのか?」
「え? あ、ああ、すこし、ふらついただけです!」
「そうか、大事ないのなら問題ない。我はまた、ランカスターのやつが何か仕出かしたのかと思ったが――」
と、ランカスターの方に鋭い視線を送るリーンアイム。
「ランカは、アステリッドを支えてただけだよ、リーンアイム。そんなに怖い顔をするな――。船の停泊が整ったら、上陸班を組む。皆も上陸の準備をしてくれ――」
キールは、そう言って皆に促した。
う~ん、どうもアステリッドとランカスターとリーンアイムの関係性がうまく行ってないように思う。
なんなのだろう?
そう不審に思ってたキールに、
「まったく、二人とも、リディがお気に入りだからな――。こればっかしは、どうにもならねぇな――」
と、耳打ちするものがいた。レックスだ。
「そう、なのか?」
「おいおい、キール、あんた、鈍いにもほどがあるぜ? はあ、リディも大変だなぁ――」
「な、なにが大変なんだよ!?」
「はああ――」
レックスは、これ見よがしに大きく息をついて、船室の方へ向かって行った。




