第567話 ローズ、旅に出る
ローズは決断を迫られている気がした。
昨日おばあさんが譲ってくれたこの短剣――。これが全ての引き金になっている。状況がローズの旅立ちを示唆しているのだ。
ギルドから出て、雑貨屋への道を歩きながらローズは思案している。
このクエルの街を離れるか否か。
いずれにしても、長期間、雑貨屋を休職するしかなくなる。今年の初めに雇ってもらったばかりで、まだ2か月と半分ぐらいしか働いていないというのに――。
(とにかく、ベルルさんに相談してみるしかない……)
と、そう思った時点で答えはすでに出ていた。
(私は、おばあさんのことが知りたい――)
ローズは雑貨屋へ戻るなり、すぐにベルルさんにこの2日間のことを全て洗いざらい話した。
相談するという答えを出した時点で既に出発を決意している。もし、行くつもりがないのならそもそも相談などする必要すらないのだから。
ベルルさんは、ふわりと笑って、
「いいよ、行っておいで。でも、一つだけ約束しておくれ。落ち着いたら連絡しなさい。それまでは荷物はこのままにしておいてあげるから――」
と、言ってくれた。
帰るにしても帰らないにしても、それは当然のことだ。いつまでも荷物を預かっておいてもらうわけにもいかない。
「はい! ありがとうございます! カインズベルク、いえ、メストリーデへ着いたら連絡します!」
そう、メストリーデ――。
ローズの目的地は、あの貼り紙の依頼主のいるメストリル王国の王都だ。
これは、エルさんの提案だった。
ローズはギルドの表の貼り紙のことも聞いてみた。「文字列」に見覚えはあるが、意味は分からないと正直に話してみると、支部長のロジャーさんとエルさんが目を丸くして驚いていた。
貼り紙の依頼主は一国の国王その人だ。しかも、「黄金の天頂」のリーダーでもある。嘘をついて何のお咎めも無しというわけはない。
ローズは、「大丈夫です、嘘ではありません。私は間違いなくあの言葉を読むことができます」と、力強く断言した。
――あ、それなら……。
と、エルさんがひらめく。
「カインズベルクはメストリーデまでの道中の中継点でもあるわ。メストリルへ行くときに立ち寄れば、旅費が浮くじゃない。だって、メストリルまでの旅費は依頼主の英雄王がもってくれるってことだから。一石二鳥とはこのことよね!」
いいのだろうか? と、ローズは思った。
が、エルさんも支部長も、大丈夫、そのぐらいのこと、「冒険者にとっては」当然の権利の範囲だと言う。
そして依頼主の英雄王はいわば、「冒険者の代名詞」のような人だ。そんな人が道中に自分の用事をしていたからと言って叱責したりはするまい。
むしろ、なかなかに利口なやつだと褒めてくれるかもしれない、などと言っていた。
そういうものなのか? ローズには冒険者のような「超合理的な感覚」がまだよく理解できない。
しかし、それ程の持ち合わせもないローズにとっては「渡りに船」とはこのことだ。
だが、やはりそこで即答することは避け、一晩考えますといってギルドを出て来たというわけだった。
(やっぱり、状況が私の背を押している――?)
ローズは完全に意を決した。明日仕事が終わったら、もう一度冒険者ギルドへ行って、その決断を告げるのだ。
私が冒険者になる――というのは少し違う気がするけど、でも、これが私のはじめての「冒険」になることは間違いない。
おばあさんは「世界へ羽ばたいていいのよ」と言った。おばあさんは知っているのだ。世界がどれほど広く大きいかを。そして、そこには私にとって必要なものがたくさんあることを。
おばあさんは私が貼り紙の話をした時、「天啓かもしれない」と言った。
ローズは今まさにおばあさんの言葉を実感している。
――これは、まさに「天啓」なのだ。ならば、この状況に身を任せてみよう。英雄王がどんな人かそんなことは今考えても仕方ないことだ。ただ、今が旅立つ時であり、この機会を失えば、もしかしたら「旅立ち」の機会を一生失うかもしれない。
だからいまはこの胸の「熱」に従って、正直に行動しよう。
その結果がどうなったとしても、私はたぶん、後悔なんてしないだろうから。
その翌々日、ローズはメストリルへ向けてクエルの街をあとにした。
クルシュ暦372年3月17日の朝のことだった。
――――――
それから数日後――。
メストリル王国城国王執務室にて。
「陛下、先程入った報によりますと、どうやらあの依頼に応えるものが現れたそうです――」
ウェルダート・ハインツフェルト政務大臣が英雄王に告げた。
「――ほう! で? どんな奴だ?」
「ノースレンドの東方地域の街に住んでいた雑貨屋の店員だとか――。本当に大丈夫なのでしょうか?」
「ふん! ウェルダート、これは俺の威厳の問題だぜ? もしイカサマ師なら俺の名前も地に堕ちたという事さ――」
英雄王はそう言うとにやりと笑った。




