第562話 ローズ・マーシャルと『貼り紙』
クルシュ暦372年3月14日。
ノースレンド王国東方地域クエルの街にて――。
ローズ・マーシャルは冒険者ギルドの壁に貼られている張り紙の前で立ち尽くしていた。
たまたま通りがかった時に目に飛び込んできた「見慣れた文字の列」に目を奪われる。が、「見慣れている」はずなのに何が書いてあるのかは全くわからない。
(変だよね? この文字列には見覚えがあるどころか、ものすごく見慣れているのに、全く意味がわからない――)
ローズは、その貼り紙の説明部分を読む。
『この文字列に見覚えがある方を探しています――』
依頼主は、メストリル王国国王リヒャエル・バーンズとなっている。
その貼り紙によると、文字列に見覚えがあればいいというだけで良いようだ。意味は分からなくても構わないのだという。
これもおかしな話だ。
『文字列』であるとその貼り紙は謳っている。つまり、これは「言葉」であるということだ。なのに、その「言葉」の意味は分からなくてもいいというのだ。
(――変なの。あ、いけない! 時間、時間――!)
ローズは、街はずれのおばあさんの家に向かう途中だったのだ。
今日はローズが大好きなおばあさんの家に週一回のお泊りに行く日。ローズは毎週の連休におばあさんの家に帰ることに決めている。
ローズにはすでに両親がいない。
今は、クエルの街に一人で住んでいる。
去年までは、おばあさんと一緒に街はずれの家に住んでいたのだが、17歳になるのと同時に街中の雑貨屋に就職することになった為、現在はそこに住み込みで働かせてもらっている。
雑貨屋の女将のベルルさんは、毎週一回、連休をとって、おばあさんと一緒に過ごすことを了承してくれているため、昨晩からおばあさんの好きなパンプキンパイを焼いて準備していたのだ。
もちろん、パイは二つ焼いて、一つはベルルさんにも置いて来てある。
(ベルルさんが連休をくれるのって、このパイが目当てなのかもしれないわね?)
と、思わず勘繰ってしまうほどに、ベルルさんもこのパイが大好物なのだ。
さあ、早く帰らないと、おばあさんと過ごす時間がどんどん減ってしまう。
クエルの街からおばあさんの家までは歩いて2時間程度なので、朝出れば昼前には到着する。だけど、さすがに毎日2時間もかけて街まで通うことはできない。お店の開店時間に合わせるとなると、夜が明けないうちに家を出ないといけないからだ。
しかも、お店が終わってから帰るとなると、随分と暗くなる上に睡眠時間も取れない。
(最近、すこしおばあさんの体調がよくないようだから、今日は少しでも早く帰りたいんだ……)
おばあさんのことは近隣の家の人にお願いしてある。
幸い、おばあさんは寝たきりというわけではない。体も動くし、自炊もする。
しかし、結構な歳だから、ちょっとしたことが体に堪えることもあるようなのだ。
先週のお休みの時には、随分と疲れやすくなっているようで、ローズが話をしている間も、すぅと寝息を立てている程だった。
ローズにもある程度の覚悟は出来ている。
だけど、街に出て働きなさいと言ってくれたのはそのおばあさんなのだ。
『あなたはまだ若いから、いろんな人と出会って、自分の人生を楽しみなさい。私たち平民には自由出国権がある。土地に縛られず、自由に自分の可能性を試して生きるのよ?』
おばあさんはそう言って私を送り出してくれたのだ。
おばあさんは昔、『冒険者』だったのだと言っていた。
本当かどうかはわからない。
ローズが知る限り、おばあさんはずっとあの家に住んでいたし、ローズが両親の死を認識できるようになった時にはもう、おばあさんと二人の生活が当たり前だった。
たしかに、人一倍バイタリティに溢れ、体も丈夫そうに見えたけど、そんなこと、隣の家のカークさんだってそうだ。カークさんは生まれてからずっと移住することなく農家を続けていると言っていた。
カークさんももういい歳だけど、相変わらず声は大きいし、顔は真っ黒で、力強く鍬を振っている。
おそらく今日も、私の顔をみると、あの真っ黒い顔に不相応な白い歯を見せて大声で私の名前を呼ぶことだろう。
そんなことを考えながら、ローズはおばあさんの家へと急いだ。
そして、その翌日、とうとうその時が訪れる――。
――――――
「これは――、イタリア語だな……」
デリウスがその文字列を見て即答した。
「「イタリア語?」」
エリザベスとハルが同時に復唱し、顔を見合わせて首をかしげる。
「ああ、間違いない。これはイタリア語だ――。しかし、まさか古代バレリア語がイタリア語だったなんて、まったく、この世界の造りってどうなっているのだか――」
デリウスは、頭を抱える。
「――しかも、聖エルレア文字は英語だったんだって聞かされたら、もう訳がわからないな」
だが、それがイタリア語だったということが判明したとしても、デリウスには翻訳することはできないという。
残念ながら、デリウス自身はそのイタリア語に明るくない。
「――そう、ですか。翻訳は出来ませんか……」
エリザベスが肩を落とす。
「すまないね、エリザベス教授。力になれなくて」
「いえ、今世界中の冒険者ギルドにこの貼り紙を掲示してもらってるんです。必ず見つかります。この言葉を知っている人が――」
そして、その言葉通り、ローズとエリザベスは出会う運命となるのだが、それはもう少し先の話である。




