第536話 王女誘拐事件勃発
そうしてとうとう、事件が起きる――。
ことの発端は、今日の夕刻のこと――。
ステファニー王女が今後の両国の良好な関係を続けるため、そのきっかけとして、食事に招待したいというメッセージをよこしてきたのだ。
アーノルドの年齢は26歳。相手は16歳のお姫さまだ。
王家間でこのような儀礼的な催しはそれほど珍しいこともでもない。
しかしながら、この王女は年齢の割に大人びており、かなり美しい。その上、知性も豊富で気品もある。女性としてのみではなく、一人の王族としてもかなりの人物である。
実は、アーノルドは彼女のことが前々から気になっていたのだ。
初めて見かけたのは、少し前に行われたヘラルドカッツの通信装置のお披露目会の時である。一目でその美しさと気品に心を奪われたアーノルドは、側近のものに、あの女性は誰かと誰何した。
その女性王族こそ、ステファニー・レクスアース、隣国レクスアース王国の第一王女だという。
国王ゲーレン・レクスアース陛下と離れていたため、気が付かなかったのだ。
(レクスアースの第一王女――。そうか、第二王子であり、過去に因縁のある王家のものである私とは未来はないだろう。乞うても致し方ないことか――)
と、燃え上がりそうな感情を宥めることを決意する。
(できることなら、愛される方の元で幸せになってもらいたいものだ――)
と、心を整理することにしたのだった。
古来、王族の王女は、政略の道具として扱われてきた。しかし、それは戦乱期においての慣習であり、自由経済主義の時代となった今では、より「幸福」を追求する風潮が広まっている。
王女の嫁ぎ先としては、他国へというのは少なくなり、自国の優秀な貴族や裕福な経済人などが主流となってきている。
これは、強固な支持基盤固めと自国発展を促したいという王家の思惑と、出来れば他国のように目の届かないところではなく、いつでも駆け付けられる自国内に置いておきたいという親心の表れである。
ステファニー王女は第一王女である。おそらくのところ、自国の有力貴族のご令息あたりにすでに許嫁も決まっていることだろう。
そう思っていたその王女本人から、食事のお誘いとなれば、行きたくなるのは当然のことなのだが、自分の気持ちが再燃することを怖れてもいる。
(どうする? いや、行くべきだろう。これはただの社交儀礼だ。そんなに構えることはない――。いや、断ってもいいんだぞ? 今日は連日の視察で体調を崩してしまった、病をうつすわけにはいきませんからと、返答すれば済む話だ――)
アーノルドはひとしきり悩んだ結果、食事に参加することを選択した。
食事会は、王都の高級料亭で行われた。
食事会自体はとても素晴らしい時間が流れた――。やはり思っていたとおり、ステファニー王女は気品と美しさだけでなく、その正義感、聡明さ、知性においてもなかなか自国の貴族令嬢たちには見られないものを持っていると再認識させられた。
しかし、年齢に差がありすぎる――。
まだ少女というに値する16歳の王女に、まだ政界では若いとはいえ、政権を担当している一人前の男がうつつを抜かしていると噂されれば、さすがに、キュエリーゼ王国の評判に関わらないとも言えない。
(アーノルドよ、気を確かに持て。あいてはまだ16歳の少女ではないか――)
しかし、アーノルドに向けられるステファニー王女の眼差し、不意に起こす仕草、軽やかに流れる笑い声――、どれもアーノルドの心を揺さぶり続ける。
なんとか、デザートまで辿りついたときだった。事件は起きたのだ。
突然、何者かが部屋のバルコニー側の窓を打ち破り、周囲があっという間に、ステファニー王女を捕らえたのだ。その手には、短剣が握られている。
もちろん、二人きりではなく、周囲に警備兵も側近も控えていたのだが、その不審人物はなんの造作もなく、そこまでやりおおせたのだ。
顔には黒ずくめの覆面をしており、人相は分からないが、恐らく、体格から見れば、男だろう。
「何やつ! 無礼者! 離さぬか――!」
テーブルを挟んで向かいに座っていたアーノルドも即座に立ち上がり、腰に手を伸ばす。が、ある重大なことを思い出す。
腰の剣は、食前、部屋に入る時に預けていたのである。
「くっ――! 私の剣を――!」
と叫ぶアーノルドに対し、不審者が言葉をはなつ。
「残念だったな――。オレはこの王女に恨みがあってね。思い知らせてやろうと思ってるんだ。でも、場合によっては、何もしないで返してやってもいい――」
やはり、男だった。声の感じから、まだ若い気がする。
「下賤のものが! 私を脅迫するというのか!」
「脅迫? 違うよ、取引さ。アーノルド・ウェル・キュエリーズ、チャンスをやろう。王都の東門を出てしばらく行った道端に、ぽつんと納屋が一つ建っているところがある。そこまで一人で来い。身代金はそうだな、お前の剣でいい。一人で来るんだぞ? そうでなければ、この王女は二度と帰らないものと思え――。「物体移動」――!」
そう言うなり、割れた窓ガラスから王女を抱えたまま、瞬間移動し、そのまま逃走してしまった――。
(クソ! 魔術師か――!)
魔術師相手に一対一となれば、かなり分が悪い。いや、一対一とは限らない。人数を集めていればそれまでだ。
だが、この場で王女を連れ去られたなど、レクスアース王の耳に入ればそれこそ国家間問題に発展する大失態である。
(いや、そんなことはどうでもいい――。王女の身を危険に晒したままにはしておけない――)
「私の剣はまだか――!」
「殿下! これに!」
がっとその剣を側近のものから奪い取ると、アーノルドが指示を出す。
「よいか、私が何とかする――。付いてくるなよ?」
そう言うと、アーノルドは料亭をあとにし、王都東門へ向かって駆けた。




