第535話 レクスアースのお姫さま
クルシュ歴372年3月4日――。
キュエリーズ王国で、クリストファーとウィリアム王子が会談を行ったより数日前のこと。
キュエリーズ王国の南の隣国レクスアース王国では、かなり深刻な問題が起きていた。
レクスアース王国とキュエリーズ王国は、戦乱期には両国の境界線を幾度となく争ってきた経緯がある。
それは、この境界線上に連なる、エルデウス山脈の権利争いに事を発していた。
このエルデウス山脈には多くの鉱脈があり、レクスアースとキュエリーズの経済基盤となる、鉄鉱石の産出源となっているのである。
両国の間には細い街道が引かれている。その街道は、この山脈を越えなければならない為、到底整備されているとは言えない状況だ。
自由経済主義の世の中へと変遷する過程で、「暫定的な」国境として、この街道の峠付近に設置された両国の関門砦のちょうど中間点から、稜線に沿って北をキュエリーズ、南をレクスアースとして落ち着いてはいる。
キュエリーズ王国第二王子アーノルド王子は、この「境界」に関する件で、レクスアース王国国王ゲーレン・レクスアースへと打診するため、レクスアースへと赴いていた。
これまで一定の安定を見ていた国境問題を蒸し返すことになるのだが、実は、これには訳がある。
最近新たな鉱脈が発見されたのだが、その場所が非常に「微妙な」位置なのである。稜線より北で発見された鉱脈なのだが、魔法や測量による調査の結果、どうやら、稜線を越えて南まで広がっているようだと判明したのだ。
これを採掘する際において、境界をしっかりと定めるか、あるいは、この鉱脈の権限をどちらが主張出来るかについて話し合いを設けなければ、近い未来に国家間問題になることは明白だからだ。
結果から言う。
実はこの鉱脈の権利問題はそれほどこじれることはなかった。
アーノルド王子からの提言に対し、ゲーレン王が「了」と返答したからだ。
アーノルド王子の提言はいたって明瞭である。
『鉱脈発見地点がどちらの領内かによって決める』というものだ。
つまり、稜線の北で発見された鉱脈ならキュエリーズの権利、南ならレクスアースという具合に明確に規定する。
ただし、その後、その発見場所については相手国に対し明確な位置を知らせ、情報を共有することとする。
その結果、相手国はそこから測量や魔法で調査を進めたのち、もし反対側から掘り進め、それが交錯したら、その地点をもって境界とするというものだ。
「そもそも自然資源は、先に手を付けたものが利するというのは太古の習わし。それで構わない――」
と、言うのが、ゲーレン国王の答えであった。
では、何がそれほど深刻な問題となっているのか――。
これは、国家間というよりも、人と人、男と女の問題である。
「お父様! 私はアーノルドさまのところへ嫁ぎたいと思います! どうか、お許しを――!」
と、ゲーレン国王の執務室で可憐ながら意志のこもった声が響いた。
「ステファニー――、そんなことを唐突に言われても、アーノルド王子にも事情というものが――」
と、ゲーレン王が弱り切った顔で言う。
ゲーレン王はまだ若く、年齢は40歳にも満たない。先王が数年前に他界したため、一人しかいなかった王位継承者であるゲーレンが王位を継承したのだ。
「――それにそなたはまだ、16ではないか。さすがに婚姻にはまだ早いだろう?」
「年齢は関係ありません! 私はもう決めたのです! アーノルドさまの元でなければどこにも私は嫁ぎません!」
「どうしてそこまで、アーノルド王子に固執するのだ。確かに彼は将来有望な若者だ。次期国王になるかもとも言われるほどの人物でもある。私も彼の聡明さ、誠実さには一目置いている。此度の鉱脈の権利問題にしても、実に現実的で建設的な提言であった。ゆえに私も合意したのだ――」
「お父様がそこまでお認めであるなら、何も問題はないではないですか!」
「いや、それはそうなのだが――。それで彼はそのことをどう言っているのだ?」
「それは――」
「――ステファニー、もしかして彼の気持ちを聞いておらんのか?」
「――あ、アーノルドさまの気持ちなんて、恥ずかしくて聞けませんわ。でも、私がお慕いしているのは間違いありませんから、私はアーノルドさまでないと嫌なのです!」
「――つまり、彼がお前を愛していなくとも構わないと、そういうのだな?」
「古来――! 貴族家王家の婚姻は政略によるものが主流です。私がキュエリーズ王家に嫁げば、キュエリーズとレクスアースは姻戚関係となります。両国のこれからの繁栄にとっては大きな布石となります!」
「――確かにそれはそうだ。だが、もう時代は変わりつつある。私もお前の母も、出来れば愛され慈しんでもらえる場所で生きて欲しいとそう願っているのだ。もうしばらく、ゆっくり考えてからでも遅くはないだろう?」
「――でしたら、アーノルドさまがわたくしのことを好いてくれたら問題ないということですわね?」
「――う、うむ。まあ、それが第一条件と――」
「分かりました、それではわたくしはやるべきことがありますのでここで失礼いたします――」
おい、ステファニー、と声を掛けるゲーレン王に背を向けたまま、ステファニー王女はそのまま扉を開けて部屋を出て行ってしまった。
今回の事件は、このやり取りの直後に起きることになり、アーノルド王子は、予定していた日に帰路に付けなくなってしまうのだった。




