第531話 フランソワの異変
「キール、さん?」
クリストファーはおおよそこんなところで出会うとは思っていなかったキールの出現にさすがに驚きを隠せなかった。
「やあ、クリストファー。数日ぶりだね――。実は、君がカインズベルクを発った日に、教授室にお邪魔したんだよ。そうしたら、デジムさんが――。ああ、実は彼とは昔馴染みでね。それはいいんだけど、君とフランソワさんが既にこちらへ向かったと聞いたんだ。途中で君に追いつこうか迷ったんだが、アステリッドが、お邪魔になるからと先にローベに向かおうということになってね――」
「デジムさんと――そうだったんですね。え、いや、それは理解できるんですが、どうして王城に? それに、王子殿下と知り合いとはどういう――?」
「それは私からお話しします、教授。キールとは少し前からの知り合いでしてね。ノースレンドの元国家魔術院長ヒューロ・ガイレンが失脚する少し前のことです。奴が関わっていたある魔術師のことで、こちら、キュエリーゼでもいろいろと問題がありまして。その時に、偶然、運命が交錯した。まあ、言うなれば、キールと私の出会いは、運命的なものだったというわけです」
と、ウィリアム王子は薄く笑って見せた。
「おいおい、ワイアット、そういうのはやめてくれ。俺は、ここにいても、お前を王子だとかそういう目では見ていない。今回は、お前が無理強いしたんだ。でなけりゃ、こんなところに顔を出すつもりはなかったさ」
と、キールさんが無遠慮に言い放つ。
「キールさん? 「ワイアット」って――?」
「ああ、それがエセ神父の名前さ――。ワイアット・アープって名乗ってるんだよ、コイツ」
「コイツって、王子殿下がですか?」
「ああ、クリストファー。会談前に言うのもなんだけど、コイツには気を付けた方がいいよ。本当に、かなりいい加減で、何を考えてるかわからないやつだからね。気が付いたら、自分の目論見に人を簡単に巻き込む。それでいて、その自覚がないことが多々ある。正直、本当はあまり関わりたくないんだが――」
「おいおい、キール、そういう事は本人の前で言うもんじゃないだろう? せめて、私の聞こえないところでやってくれ。いくら私でも傷つくことぐらいあるんだぜ?」
と、ウィリアム王子が肩をすくめて見せる。
しかし、それ以上に叱責することはなかった。
キールさんが言った言葉は、かなり無礼な分類だと思うが、ウィリアム王子は全く意に介していないどころか、むしろ、このやりとりを楽しんでいるようにさえ見える。
「――ワイアット・アープ……、西部開拓時代の保安官――。え? 私、この名前知ってる? どうして――?」
唐突にフランソワが言葉を零した。フランソワの後ろに控えていたユルゲンさんが気色ばむのが伝わってくる。
クリストファーは即座に、フランソワに声を掛けた。
「フランソワ――? 大丈夫? 気分が悪いとか――」
「あ、いえ――。ただ、王子様の偽名――。聞いたことがあるような――」
「奥様、大丈夫ですか? ご気分が悪いならお席を外されては――」
ユルゲンさんもフランソワに声を掛ける。
「――クリストファー。フランソワさんのこの様子――。『記憶の芽』が開いたのかもしれない――」
「『記憶の芽』――。え? フランソワも――」
「ワイアット、取り敢えず、この件は後だ。まずは、今日の本題から進めてくれないか?」
キールさんが、会談を進めるように促した。
「フランソワさん、後で、いろいろと聞きたいことがあります。大丈夫、体に異常をきたすほどのことじゃないから安心してください。どうです? 少し落ち着きましたか?」
キールさんがフランソワに気遣いをかける。『記憶の芽』ということは、フランソワも「転生者」ということか――。
しかし、ここで自分まで動揺していては、却ってフランソワを不安に陥れるだけだ。
クリストファーはそう意を決すると、
「大丈夫? フランソワ。気分が悪かったら、中座してもいいんだからね?」
と、声を掛ける。
フランソワは、
「教授、大丈夫です。もう、落ち着きましたわ。キールさん、ありがとうございます、この件については後ほど、いろいろと教えてください」
と、気丈に返した。
キールさんはこれに笑顔で頷くと、ウィリアム王子に目配せをした。
その後、「アンテナ」建設についての費用や設置条件等々の説明を一通り終える。
心配していたウィリアム王子の受け止めは、かなりしっかりしていて、話はそれほどの問題もなく滞りなく進んでいった。
実際、クリストファーは、ウィリアム王子がかなり聡明な王子であり、為政者として充分な資質を持っていると感じ取ったのだが、どうして政務の多くを弟君に委ねておられるのか疑問に感じるほどだった。
「今日のところは、弟のアーノルドが予定を圧してしまったため急遽わたくしが会談することになり、誠に申し訳ない。教授のお話は私の方からしっかりと説明させていただきます。後日改めて、弟のアーノルドから正式にご返事申し上げますが、私個人の意見としては、是非我が国にも必要な設備であると感じました。このお話、我が国を上げての事業となりますでしょう。今後とも、よろしくお願いいたします――」
これがウィリアム王子の言葉だった。事実上、契約完了の内定をもらったと言えるだろう。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。音声通信装置の普及は、今後の世界経済を発展させるうえで欠かせないものとなります。私は出来る限り多くの国家に賛同いただきたく思っております。貴国のご英断は、諸王家への後押しとなりますでしょう」
と、口上を述べ、この会談はここまでとなった。




