第529話 レンズ広場の景色
クルシュ歴372年3月7日――。
昼を回る少し前だ。
クリストファーとフランソワを乗せた馬車がキュエリーゼ王国王都キュエリーゼへ到着した。
王国名と都市名が同じため、一般には「キュエリーゼ王都」とだけ呼ばれるこの街は、かつては隣町の漁村町であったローベと今は道続きになるまで発展している大港湾都市である。
キュエリーゼ王国は海運にも力を入れており、南のレクスアースやその先のケウレアラまで船での商材輸送を行っている。もちろん北のノースレンドへも陸路海路とも運用されている。
東からこの街へ至った場合、当然東門から入るのだが、その東門から蛇行しながら港の方まで舗装された馬車道がゆるやかに丘を下っていくような地形となっている。
ノースレンドの街並みの美しさは格別だったが、ある意味あれは、それほど大きくなく町が一望できるが故の光景であった。
しかし、この街の規模は大きい。実質二つの街が一つになっているのだから、それは当然なのだが、残念ながら馬車の小窓からの眺めでは街の全体を捉えることは出来ない。
時折、建物の間から見えるきらめく海と、その手前に広がる街並みが、チラリチラリと見えるだけだった。
「大きい街だね――」
と、クリストファーが初めて見る街並みに見とれていると、
「そうですわね。中央大陸の中ではカインズベルクに次ぐ規模だと聞いておりますわ」
と、フランソワが応じる。
こうして中央大陸第一位と第二位の都市を見ると、元居たメストリーデがいかに小さな町であったかを思い知らされる。
そう言えばウォルデランにも何度か行ったが、あそこはメストリーデよりもまだ小さかった。
「ですが――、この王国の国王様は今は病床に就いておいでで、国政に関しては、ご子息のご兄弟が担当されておられるとのこと。今回の会談は、その弟君、アーノルドさまとのご面談、でしたわね?」
と、フランソワが今回の面談の相手を再確認する。
「ああ、そういう事になっている。でも、どうしてお兄様ではなく、弟君なんだろう?」
「それは――。あ、止まりましたわ」
どうやら馬車が目的地へ到着したらしく、停止するのが分かった。
「旦那様、奥様、長旅お疲れさまでした。公邸に到着いたしました」
御者台の小窓が開いて、ユルゲンの声が響く。
その後、しばらくすると、馬車の入り口の施錠が解かれ、扉が開いた。
「ああ、久しぶりだわ! ユルゲン、お昼はまだなのかしら?」
フランソワが降りるなり、ユルゲンさんに声を掛ける。
「すでに整っていると思います。会談は夕刻からですので、お昼の後少しお休みになられてもよろしいかと――」
と、ユルゲンさんが応じた。
「休む? そんな、もったいないこと――。今朝発ってきたばかりですから、それほど疲れていませんわ。折角キュエリーゼに来たのです。ローベまで行っている時間的余裕はないから、それは明日行くとして、せめて、レンズ広場には行きたいですわ」
と、フランソワがやや不満そうに返した。
「そうですか。なら、食事の後、お送りいたしましょう。確かに、あそこまでなら、夕刻の会談までの時間つぶしにも丁度良いかもしれません」
「ユルゲンさん、お気遣いありがとうございます。僕も始めてきた街なので、少し見て回りたいなと思います。案内していただけますでしょうか?」
長旅で疲れているのはユルゲンさんも同じだろう。しかもこちらは揺り籠の中にいたのに対し、彼は御者台で御者の隣に座っていたのだ。
クリストファーは少し申し訳なく思っている。
「もちろんです、旦那様。レンズ広場はフランソワ様が幼少の頃よりのお気に入りの場所ですから。是非ご一緒に付き添ってあげてくださいませ――」
と、やや小声で、クリストファーに返してきた。
こういう気遣いがあるところが、彼が執事長であってよかったと思えるうちの一部である。
このユルゲン・ゲルハルトという御仁のフランソワに対する変わらぬ忠義をクリストファーはこれまでにも、様々な場面で目にしてきている。
結局、フランソワは公邸に入るなり、そのまま食堂へ向かい、用意されていた昼食をささっと摂ると、ほら、はやくいきますわよ? と、すぐに表に飛び出していく始末だった。
だが、クリストファーは、レンズ広場に到着して、フランソワがあれほどはしゃいでいたわけを即座に理解したのである。
その広場は、丘の上にあり、少し高台になっているため、王都からローベ、果てはその先に色がる海まで一望できた。
「これは――。なんてすばらしい景色だ――」
クリストファーは言葉を失った。
「どうです、教授。来た甲斐があったでしょう?」
と、フランソワが勝ち誇ったように顎を上げる。
「ああ、これは、素晴らしい。――でも、僕の仕事が少し難しくなったよ」
と、クリストファーが返す。
「どういう意味ですの?」
「今回はアンテナ建設に関する会談なんだ。どこにどんなものを建てるかということを考えてもらうために、説明をしないといけない――」
「あ、この景色のどこかに、アンテナを建てる、そういう事ですわね――」
「ああ、だけど、「アンテナ」は明らかに景観にあわない建造物なんだ――」
「たしかに、そうですわね。ノースレンドも、そんな感じでしたし。ですが、教授なら心配いりませんわ。そんな問題、すぐに解決なされるはずですわ」
フランソワが自分のことを信じてくれるのは有難い。この全く疑わない純粋な信頼に対して、クリストファーは応えたいと心から思っているし、それが、力になっている。
(しかし、これは相当厄介な仕事になるぞ――)
と、クリストファーは気を引き締めるのだった。




