第520話 カインズベルクの街を出発し、ローベへ向かう
クルシュ歴372年3月5日――。
レイモンド・ワーデル・ロジャッド院長との会談の翌日のことだ。
キールたち一行はついにカインズベルクに別れを告げる。
たった5日ほどの滞在だったが、メイリンさんの宿が借りれたおかげで、スムーズに目的が消化できた。
おそらくのところ1週間ほどの滞在になるだろうと見込んでいたのだが、予定より早くなってしまったのは、クリストファーが既にこの街にいないからだ。
レイモンド院長との会談の件については、「キール一味」である、彼と彼の奥さんにも伝えるべきだと、キールはそう考えている。
そのクリストファーは仕事でキュエリーゼ王都へと向かったと聞いた。
出発したのは昨日の朝だというから、今日あたり、中継街のレーネブルクを出る頃だろう。
とすれば、今日の昼か夕方には次の中継点である、デルチェリーザへ入るはずだ。
リーンアイムの「翼」なら、今日中にローベに入ることが出来る。
クリストファーと途中で合流するのもありかと思ったのだが、これについてアステリッドに相談すると、
「お二人のご旅行の邪魔なんて無粋ですよ、キールさん」
と、ぴしゃりと咎められる。
遅くとも明日中にはクリストファーたちもローベに到着するだろう。そして、恐らくだが、クリストファーが面会する相手は「あの男」に違いない。
「そうだね。二人にはゆっくり旅路を楽しんでもらった方がいいよね。じゃあ、僕たちは先にローベに入って待つことにしよう。――でもなぁ、どうしようかなぁ」
と、キールは思案顔をする。
「なにを悩んでいるんですか、キールさん」
「ん? んん、なんかあいつと会うのが少し嫌な予感がするんだよなぁ――」
「あいつ?」
「あ、ああ、ローベの港にね、今新しい僕たちの拠点を作ろうと計画してるんだよ。実際、ユニセノウ大瀑布に向かうためにはローベから海上を行くことになるんだけど、その拠点設営の為に手を貸してもらってるやつが、ちょっと、ね」
「ローベに拠点を作ってるんですか!? それってつまり、専用港ってことですよね!?」
と、アステリッドが目を輝かせる。
「うん、南にはデリウス教授の造船施設があるからね。東か西にって思ってたんだけど、東の方にはあまり馴染みがなかったのもあってね。たまたま、ローベで知り合ったそいつの手を借りることになったんだけど――」
「そうなんですね。それでその方、どんな方なんですか?」
「ああ、ワイアット・アープって言うんだよ。アステリッド、知ってる? 『ワイアット・アープ』」
「ワイアット・アープ? いえ、私は知りませんけど?」
「そうか、アステリッドは知らないかぁ――。まあ、それは大した話じゃないんだけど、そいつも『前世の記憶を持つもの』なんだよね」
「あ! もしかして、キールさんが巻き込まれた海賊事件の――」
「そうそう、それを仕組んだのがソイツなのさ。まあ、結局は、ノースレンドの問題と繋がってたわけだから、いつか顔を合わすことにはなる運命だったのかもしれないけど、ね」
ローベの街を訪れれば、さすがに『ワイアット』を素通りするわけにはいかない。
おそらくのところ、ミューゼルたちは『レオローラ号』をすでにローベに入れてくれているはずだ。
こちらがカインズベルクへ立ち寄ってからローベに向かうと連絡を送っておいたから、海路で向かうミューゼルたちの方が確実に早く着いているはずだからだ。
それなのに、補給港建設の進捗状況を確認しないというわけにはいかない。
補給港の建設に関しては、エルレア大使館の職員が切り盛りしてくれてもいる。これは、『翡翠』の取り計らいによるものだ。
そして、そもそもそこに建設許可を下ろした「ウィリアム王子」を軽んじるわけにもいかない。
公式に面会をするまでの必要はないが、せめて、丘の上の教会へは立ち寄る必要があるだろう。
「――まあ、仕方ない、よなぁ。とりあえず、ローベに向かおう。到着次第、船を確認しにいかないとね。船が到着してなかったら宿探しだ。結構時間がタイトだぞ、これは」
まあ、十中八九、船は到着しているはずだ。なので、宿の心配はそれほど必要ない。問題は、ミューゼルたちだ。
アステリッドが来たとなったら、おそらく「酒盛り」が始まる。
なぜかって?
あいつらは理由をつけて飲むことばかり考えているからだ。
海の上にいるとそんなに酒を煽ることは出来ない。停泊している時ぐらいしか気が済むまで飲めないのだ。そして、それには「口実」がいる。
『キャプテン! 今晩は歓迎会だよな!? なんたって、海の女神は嫉妬深いからな。海に出る前にしっかり飲んで、穢れをはらっておかないと、航海の安全が保てねぇだろ? 酒は清めの水だ、陸地の女を乗せるには清めてからじゃねぇと!』
などと、適当な辻褄の合わない理由を持ち出しては、全員で迫ってくることだろう。
「リーンアイム、すまないが、少し急いでもらえないか? 日が高いうちにはローベに入りたい」
キールはリーンアイムにそう依頼する。
「――ああ、かまわないぞ。ただし――」
「ただし?」
「我はそろそろ『ほっと・どっぐ』が食べたくなってきた。ローベの街にもし在ったら、それを食わせてくれ」
と、リーンアイムが要求する。
「へぇ、リーンアイムさん、『ほっと・どっぐ』が好きなんですね? わかりました。私が探してあげますよ。もしなかったら、それに代わる何かを見つけてあげます!」
と、アステリッドが請け合った。
その答えを聞いたリーンアイムは満足そうな顔を浮かべると、なら急ぐぞ、と真っ先に街道へと足を踏み出した。




