第5話 突然の呼び出し
ミリアは教室を出た後、王立大学の校庭にある池沿いの東屋へ向かった。春の風と花の香りが心地いい。
僕は黙って彼女の後をついてきただけだ。この間、彼女は一言も言葉を発していない。
僕に用があるという事だったが、いったい何の用だろうか? 少なくとも、今日の教授の問いの話ではなさそうだ。そんなことなら、教室で言えばいいはずで、わざわざ場所を変えて人から離れたところへ行く理由などない。
では、これまでに彼女に何か迷惑でもかけたのか? 僕の思い至る限り、この春に入学して2週間ほどたつが、これまで一度たりとも彼女との接点はなかったはずだ。
ミリアはやがてその東屋に到達すると、くるりと翻って僕の方を見る。振り返る際にふわりと揺れる栗色の長い髪に、差し込んでくる陽光を浴び、キラキラと反射する光景は素晴らしく美しかった。
が――。
そのまなざしは決して美しいとは言えなかった。明らかにこちらを訝しんでいる。笑みのかけらなど一つもない、実に攻撃的な眼差しだった。
「あなた……。魔法使いでしょ――?」
「――!」
なぜだ? なぜわかったんだ? 大学では魔法は一切使っていない。まさかこの間の、ルイとのやり取りを見られてた? いや、あんな場所に来るような身分の女じゃない。彼女はハインツフェルト家の令嬢だ。ハインツフェルトといえば重臣級の貴族の家系だ。
「――いったい何のことだい? 魔法使いって、あの国家に重用される人材のことだろう? 僕がそんな能力持っているはずないじゃないか」
努めて平静を装いながら、僕は答えた。
「そう、そうよね。こんなに直接的に聞かれて、はいそうですってこたえるわけないわよね」
(当然だ。この世界における魔法使いの立ち位置はとても微妙なんだ。国家に重用される可能性もあるが、その前に各国の標的にされる可能性もあるのだから――)
僕はそう思いつつも、何も答えずにいた。
「まぁいいわ。ただ……、一つだけ言っておいてあげる。絶対にその力を人前で使わないこと。もしもうすでに使っているなら、今後はもうやめることね。でないと、命が危険にさらされる。――あなた、死ぬわよ?」
僕は変わらずにミリアの目を見つめながら、黙っている。今ここでなにか口を開くのは、いずれにしても危険すぎる。
ここは黙ってやり過ごすんだ。
「じゃあね、キールくん。これからもクラスメイトとして仲良くしてね。お邪魔して悪かったわね、さようなら、また明日教室で――」
ミリアはそう言うと、僕の肩をかすめるように通り過ぎ、仄かに爽やかな香りを残して去って行った。
結局最後まで、彼女の眼は笑っていなかった。
僕はそんな彼女の背中をしばらく目で追っていた。相変わらずの気高さが背中からも漂っていた。
彼女はいったい何者なのか? どうして僕の魔法のことが分かったのか? まだまだ魔法について学ばねばならないようだ。今の自分は魔法に関して知識が乏しすぎる。このままではいつ狙われてもおかしくはない。
いずれにせよ、魔法関係の知識を増やす必要がある。そのために一番手っ取り早いのは然るべき師に従事することだが、その場合、国家の魔術師として身の安全は保護されるが、かわりに自由が奪われることになる。師に従事すればほぼ確実に国家に仕えさせられることになる。もしくは、大した能力でなければ、放り出されて、他国の餌食となるのがオチだ。
(やはり、まだまだ勉強不足だ。もっと情報を手に入れなければ――ミリアの言う通り、命を落としかねない)
僕は改めて、魔法の勉強を懸命にやらねばならないと、と思った。
その日から僕の魔法に対する勉強の日々が続いた。幸い大学の書庫には魔法関連の書物が大量に蔵書されているし、かつての偉大なる魔法師の伝記や記録も充分残されている。“本の虫”の僕にとって読書は得意分野だ。とくに苦痛に感じることはなく月日は少しずつすぎていった。
やがて、暑い季節が過ぎ、木々が色づき始めたころになった。
春のあの東屋の一件以来、僕は魔術に関する本を読み漁った。誰にも聞くことができない以上自分で勉強するしかない。しかし、幼いころからそうだったように、本を眺めて字を追うだけで満足してしまう僕には決定的に足りないものがあった。記憶力だ。あいかわらず読んではいるが頭に入っていない。
なんというか、説明が難しいのだけれど、「なんとなくそんな感じ~」的なふわりとしたものだけが残っている。
魔術総覧だけは何故か読めるし、頭に入ってくるものもあったため、いくつか新しい魔法を身に付けることはできたのだが、いまだに「魔法ってなんで使えるの?」という基本的なところからわかっていないのだ。
ミリアとはその後も何度も教室で出会っているが、まるであの日のことが幻かのように、あれ以来何も話を交わすことがなく時だけが過ぎていた。
******
ミリア・ハインツフェルトは、入学時から一人の男子に目を奪われた。
誤解しないでほしいのだが、それは一目惚れとかいう淡く甘い話ではない。
それ以上に強烈で苛烈な衝撃だった。
(まさかこの国で、私以上の素質を持つ者がいようとは――)
ミリア・ハインツフェルトは幼き頃より魔法の素質にあふれていた。貴族家に生まれた彼女は早くからその素質を見出され、王国魔術院の庇護のもと日々研鑽を重ね、大学入学の年齢に達する頃にはすでに国家魔術師級の魔力を持ち合わせるほどであった。
後は実技と魔術知識をより高めるため、ここ王立大学へと進学したのだった。
勿論卒業後は国家魔術師へと仕官するつもりでいる。すでに王国魔術院のほうもその内定を彼女に与えているのだ。
しかし、あの男の存在はミリアにとっては避けて通れないものになるだろう。このままではこの国の最高魔術師の座があやうい。あの男がこれ以上魔術師として成長しないように釘をさす必要がある。
幸い、相手は下級市民の家に生まれたものだ、魔術師の素質があると言ってもだれからも保護してはもらえないだろう。となると、最悪他国によりその芽を摘まれる、つまり、暗殺される恐れもある。そのように脅せば、魔法の道から手を引くだろう。そう思って、入学まもなくのころ、呼び出してきつい脅しをかけてやった。
なのに――。
あの男はあきらめるどころか春よりさらにその魔力を高めている。
やはり、このまま放っておくことは出来ない。一度は怖い目にあってもらわなければならないようだ。
ふぅっとミリアは息を吐き、その決意を固めた。