第470話 読めない魔術書
「なるほどのぅ。たしかに、キールに付いて回るのなら、あの図体では面倒じゃが……。かと言って、この空間を住処とするというのもまた難しいのじゃ」
キールの話を聞いたボウンさんがそう答えた。
「――この空間は、術式『幽体』によって生成された世界なのじゃ。つまりは、術者が術を解けば消滅してしまうのじゃよ」
なんと、それは初耳だ。キールは今初めてこの空間が生まれる理由を知った。
「じゃ、じゃあ、例えば、ここに誰かを残して僕が戻ってしまったら――」
と、キールが少々青ざめて問い返す。ボウンさんの話だと、『幽体』を解くとこの世界が消滅するのだから、ここにいた人も消えちゃうってことにならないか? と思ったためだ。
「まあ、その場合はわしが維持しておくことになるわけじゃが、わしもずっとそうしていられるわけではない。すぐにお前を呼び戻すことになるじゃろうの」
ああ、なるほど――。
つまりは、キールのような神候補と対談するためにこの世界を「準備する」ときや、神候補自身が、この空間を「利用する」――例えばかつてキールがヘラルドカッツからメストリルへ戻った時のような移動手段のように――場合のみこの世界が生成されるというわけだろう。
「そうか――。じゃあ、ここに置いておくというのは無理なんだね……」
「まあ、そうじゃが――。それよりももっと簡単な方法がある。そもそもドラゴン族のあの体躯じゃから、面倒なのじゃろう? じゃったら、お前たちと同じような格好になればいいわけじゃ。一人分の食事代や宿代ぐらいは自分で何とかするんじゃな」
「え? それって――」
「ああ、『変身』じゃ。その術式をドラゴン族の三人に授けよう。そもそもドラゴン族は魔術・魔法に精通している種族じゃ、この程度の術式、何も難しいことではない」
このボウンさんの話を聞いていたミリアとリーンアイムが声をあげる。
「『変身』ですって!?」
「ほう、そんなことが可能なのか。つまりは、この格好になれるというのだな?」
と、両者とも驚いて見せたが、まあ、目の前にいる白髭じじいは、「大魔導師ロバート・エルダー・ボウン」なのだ。そのぐらいの術式は研究済みということなのだろう。
「クラスは「超高度」にあたる術式じゃが……、小僧には扱えぬ。コイツは少し特殊な魔術式じゃでの、『総覧』には載せておらんのじゃ」
『総覧』にすら載せていない魔術式とか、それって完全に――。
「チ――」
「キール! 『総覧』ってなんのことさ!」
キールが「チートじゃないか!」と言おうとしたと同時に、ハルが被せてきたため、言葉が遮られる。
ボウンさんが、キッと睨みつけるのをキールは目で返しながら、
「あ、ああ、そのこともちゃんと話すから、ちょっと待って、ハル。取り敢えず、話がこんがらがってくるから、まずはその『変身』の話を聞こうか」
と、なんとかなだめて、ボウンさんに合図を送る。
「これじゃ。この魔術書にすぐ目を通せ。それでOKじゃ。お前たちドラゴン族に掛かれば大した魔術ではないじゃろう」
そう言ってボウンさんは空間から魔術書を取り出して、リーンアイムに差し出す。
リーンアイムはそれを受け取って、さっと目を通すと、
「なんと、そういう事か――。理解したぞ? これなら我でも可能じゃ」
「ほう、そうなのじゃな? わしにも見せてくれ――。ああ、なるほどのぅ……」
「たしかに、これならそう難しくはないな」
と、3人はすぐに理解したようだった。
これほど早く新しい術式を理解できるなんて、ドラゴン族が魔術に精通しているとは聞いていたが、さすがに驚いた。
ミリアもまた、それに驚愕しているようで、
「ジョド、わかったの?」
と、問いかける。
「小僧にはまだこの「魔術書」は読めんのじゃ。お前が読めるようになるのはいつになるかのう?」
「読めない?」
「ああ、見てみるがいい――」
ボウンさんはドラゴン族から返してもらったその「魔術書」を、キールの方に差し出した。キールはそれを受け取って開いてみたが、確かに、「読めない」。
「ああっ! なんですかこれ!? 真っ白じゃないですかぁ!」
アステリッドも脇から覗き込んで声を上げた。今両隣に座っているのは、アステリッドとハルだ。ミリアは少し遠慮がちにアステリッドの向こうに座っている。
「ほら、ミリアさんも見てみてくださいよ」
そうアステリッドに促されて、アステリッドの向こうから体を伸ばすミリアに見えるように、キールは本を向けて見せる。
「ほんと、真っ白だわ――。キールにもそう見えてるの?」
「ああ、残念だけど、みんなと同じ、だね」
まあ、『変身』の術式が使えたとして、何に変身するのかって話だけど、単純に「本の虫」の食指が動く性だけは抑えられない。
だが、今は仕方がない。そう「カミサマ」が言っているのだ。でも、いつかは読めるようになる可能性はあるという。つまり、経験や研鑽を重ねる必要があるってことなのだろう。
「これで、ドラゴン族と共に行動するという問題は解決じゃな。さて、では小僧、わしの方からの『頼み事』の話じゃ――、海を越えて、ユニセノウ大瀑布へ向かってくれんか」
そう言ったボウンさんは、珍しく真剣な表情をしていた。




