第449話 三者三様
キールには一つの憶測があった。
もちろん、不確かな要素が多いことは否めない。が、やはり、痕跡が全く見当たらないなどと言うのは明らかに変だ。
それは、ボウンから授かった『真魔術式総覧』の中の魔術式であっても、幾らかの魔法痕跡がどうしても残るものであるというところから明白だ。
いかな神の御業であろうとも、魔術式を編めば痕跡が残るという『摂理』は曲げられない。
たしかに、『魔法痕跡消去』という魔術式も存在するが、それにしても、術者以上の素質や能力を持つ魔術師であれば痕跡を発見することはできる。あくまでも、痕跡は残るが、感知しにくくなるというものだからだ。
(それに、魔物の軍勢を出現させるほどの高魔素使用術式であれば、そのすべてをかき消すなど、出来るはずはない――)
だから、不審なのだ。
(――実は、すでに発見されているが、見つからないと言って隠しているのではないだろうか?)
これが、キールの憶測だった。
いずれにしても、痕跡を発見し、出現地点を特定しなければ、何度でも襲い掛かってくる可能性は否定できない。それに、魔物たちはいったいどこへ行方をくらましたというのか?
ミリアも現地の様子を検分に行った際、それとなくあたりを精査してみたが特定はできなかったと言っていた。とにかく、魔法痕跡感知を限界まで高めて精査していく以外方法はないだろう。
(さすがに、体力の消耗が激しい探索になりそうだな――)
キールは覚悟を決めつつ、目的の村、カナンに向けて出発した。
――――――
デリアルス王国領土内のある場所――。
その場所は深淵とも呼べる深い溝の奥底――。
そこに潜むものがいた。
「それ」はここのところの騒動に眠りを妨げられ、やや不快な思いをしている。
予定よりも早く目覚めてしまったからには、何かを喰わないことには再び寝付くことは出来まいが、そうするためにはこの安らかなる寝所から、面倒な世界へと姿を現さねばならない。
これまで、誰にも見つからず静かな時を過ごしてきただけに、体を動かすのは億劫だ。
それにしても、余計な真似をするものもいるものだ。
やはり、「人」というのはどこまで行っても浅はかで愚かな生き物なのだろう。
(――まあ、せっかく、目が覚めたのだ。ここでじっとしていても腹はふくれぬ。体の鈍りも少しずつ回復してきている。もうしばらくすれば、飛ぶこともできるだろう)
まずは、腹ごしらえだ。
それから、安眠を妨害したものに報復をせねばなるまい。
(――ちょうどいい食後の運動というところだろう。我の眠りを妨げておいて、その代償を払わぬというのはまかり通らぬのだ)
「それ」は羽を伸ばし、伸びをする。
まだ、やや伸びが悪い。飛び上がるには今しばらくかかりそうだ。
何年ぶりだろう――。外の世界を見るのは――。
今はどのようなものたちが棲んでいるのか。どのような世界の形をしているのか。
などと言うことに、もはやなにも興味をそそられることはない。
時間などもう我らには無縁のものなのだ。そのような我らにとっては、この大地に縛り付けられている以上、結局はこの大地が死す時までともに悠久の時間を過ごしていくほかないのだから――。
――――――
「よう来てくれた、ミリア殿。今晩は、会食の準備をしておる。長旅の疲れをゆっくり癒していかれよ」
リトアーレ王国国王シャキレル・リトアレーはそう言って、玉座から前に進み出ると、ミリアの手を取って、懇ろに挨拶をする。
シャキレル国王の年齢は60歳ほどか。彼には数名の王子がいるが、現在のところそのいずれもがまだ婚姻を済ませていない。
「ハイネルも交えて、3人でゆっくり食事をとりたいと思うが、かまわないかな?」
と、傍らに控える第一皇子のハイネル・リトアレーの方を顧みながら、ミリアへ問うて来た。
ハイネル皇子はミリアよりは五つほど上である。すでに、国王の補佐として執政の地位に就いている。ゆくゆくはこの国の王となるため、父王のそばで日々精進しているのだろう。
「ええ、もちろんです。しかし――」
「ああ、話はゆっくり食事の時にでも聞くとしよう。これ、ハイネル。ミリア殿を城内を案内して差し上げよ。食事の準備ができるまではいましばらく時間があるのだから」
と、ミリアの言葉を遮るように、シャキレル国王がハイネル皇子に告げた。
「はい、父上。それでは、美術室へでも参りましょう。ミリア殿にぜひ見ていただきたい宝飾品があるのです――どうぞこちらへ」
「ああ、それが良い。ささ、ミリア殿、ぜひ我が国のコレクションを見て行って下され」
「は、はい――。では――」
と、さすがにミリアもここで相手の機嫌を損ねるわけにはいかない。致し方なく、ハイネル皇子のエスコートに従って、謁見の間を後にした。




