第446話 隣国で発生した怪事件
クルシュ暦372年2月上旬――。
東の国デリアルス王国の領地カナン。
この村が突如として魔物の軍勢に襲撃されるという事件が起こる。
デリアルス王国の西、つまり、メストリル王国からは国境を越えたすぐの場所に位置するこの村の惨事はメストリル王国国内にも強い衝撃を与えた。
その事実が知られたのは、事件があった翌朝のことで、この村を訪れた行商人が村の惨状を目の当たりにし、急いで引き返した隣町のラボルトの衛兵に伝えたことに端を発する。
デリアルスの衛兵隊および国家魔術院の魔術師ら数名が早急にカナンを訪れ、村の見分を進めていくうちに、魔物の仕業だと断定されるに至った、という話だ。
「――だが、周囲を探索しても、魔物の影どころか、湧きポイントすら発見できなかったというのだ。村を襲撃したのは魔物で間違いないと魔術師連中も衛兵たちも口をそろえて証言しているのにだ」
どう思う、『翡翠』よ、と『英雄王』が問う。
「――さあ、どうじゃろうな。それらの者たちがそういうのじゃから、魔物の仕業に違いないのじゃろう。であれば、それらはいったいどこへ消えたのか、これを突き止めねばなるまい」
『翡翠』の答えは至極当然のものとなった。
「我が国の方も、急ぎ国境付近の巡視を始めるよう通達を流しております。報告が上がるまでにはもう数日かかるでしょうが……」
と、政務大臣ウェルダート・ハインツフェルト公爵が告げる。
「魔術院もミリアをすぐに向かわせました。「速さ」でいまやあの子に勝るものは世界中でキールを除いてはいませんからね。それに、あの子はデリアルスと面識もあります。きっと何か掴んでくることでしょう――」
そう言ったのは、『氷結』ニデリック・ヴァン・ヴュルストだ。
「こちらからも一応冒険者ギルドの方へ話を通しておきました。国境警備・探索の依頼をいただければ直ぐに冒険者たちを向かわせると言質を取っております」
このウェルダートの言葉に、『英雄王』は、即座にすぐにそうしてくれ、と返す。
魔物案件に関しては、王国兵たちより冒険者ギルドの方が一日の長がある。彼らが本格的に動けば、何かがわかるだろう。
「しかし、面倒なことになったな――。もし、その魔物の痕跡がメストリル王国領内にあったとしたら……」
と、「英雄王」が苦虫をかみつぶしたように顔をしかめる。
いつもなら大概のことを笑って吹き飛ばすこの御仁にしては、やや珍しい反応だ。
さもありなん。
仮にメストリル領内で発生した魔物が、カナンを襲ったということになれば、こちらの警備体制について落ち度を指摘される可能性もあるのだ。
「――ええ、難しくなりますな。場合によっては、賠償を求められるかもしれません。我が国とデリアルスの友好度はそれほど高くありませんのでな」
と、ウェルダートが応じる。
「――一応の報告ですが、デリアルスの南北の隣国、ダーケートとリトアーレ、それに、我が国の北、ヒストバーンも国境付近の探索を始める準備を整えていると、報せが入っております」
と、ネインリヒが報告する。もちろんこの情報の発信元は各地に潜ませている、「諜報員」たちからのものだろう。
「――いずれにしても、このまま闇の中ってわけにもいくまい。何としてでもその痕跡を発見し、対応を急がねばならんだろう。皆、しばらくの間、気を引き締めて事に当たれよ? よいな?」
と、『英雄王』がまとめる。
御意、とここに集ったものたちが返事をする中に、一人だけ、変わらず何かを思案しているものがいた。
「『翡翠』、どうかしたのか?」
「ああ、少し気になることがあるのじゃが――。もし、どうしても痕跡が見つからないとなると、ある可能性が浮上してくるのじゃ」
「あの魔術師――か」
「そうじゃ。奴が動き始めたということもあるかもしれない、と、考えておく必要もあるということじゃ――」
「それで、何を考えているんだ?」
「――やはり、呼び戻した方がいいかもしれんなと、そう思い始めておる」
「ああ、それはそうかもしれんが、すぐに連絡が付くのか? アイツは海の上だろう?」
「実は小僧も東に向かっていたはずなのじゃ。そうであれば、連絡を『届ければいい』だけじゃからの。どこかの隠れ港に寄港した時にでも伝えれば、そのまま直接デリアルスへ向かわせることができるはずじゃ」
「なら、そうしろ。嬢ちゃん一人よりは安心だろう。それに、なんだかんだあいつらもしばらくは会ってないのだろう? もう二月ほどになるんじゃないのか?」
「――レントのものにとって二月は長いとそう言いたいのじゃな? わかった。では、連絡を回しておくことにする。よいか、ウェルダート?」
唐突に問いかけられたウェルダートは一瞬驚きを隠せなかったが、すぐに落ち着き、答えた。
「もちろんです。娘が喜ぶのを妬むような父のつもりはありません。是非、彼を向かわせてやってください」
ウェルダートはそう笑顔で返したが、周囲の皆が、その笑顔がややひきつっているように見えたのは杞憂ではないかもしれない。 クルシュ暦372年2月上旬――。
東の国デリアルス王国の領地カナン。
この村が突如として魔物の軍勢に襲撃されるという事件が起こる。
デリアルス王国の西、つまり、メストリル王国からは国境を越えたすぐの場所に位置するこの村の惨事はメストリル王国国内にも強い衝撃を与えた。
その事実が知られたのは、事件があった翌朝のことで、この村を訪れた行商人が村の惨状を目の当たりにし、急いで引き返した隣町のラボルトの衛兵に伝えたことに端を発する。
デリアルスの衛兵隊および国家魔術院の魔術師ら数名が早急にカナンを訪れ、村の見分を進めていくうちに、魔物の仕業だと断定されるに至った、という話だ。
「――だが、周囲を探索しても、魔物の影どころか、湧きポイントすら発見できなかったというのだ。村を襲撃したのは魔物で間違いないと魔術師連中も衛兵たちも口をそろえて証言しているのにだ」
どう思う、『翡翠』よ、と『英雄王』が問う。
「――さあ、どうじゃろうな。それらの者たちがそういうのじゃから、魔物の仕業に違いないのじゃろう。であれば、それらはいったいどこへ消えたのか、これを突き止めねばなるまい」
『翡翠』の答えは至極当然のものとなった。
「我が国の方も、急ぎ国境付近の巡視を始めるよう通達を流しております。報告が上がるまでにはもう数日かかるでしょうが……」
と、政務大臣ウェルダート・ハインツフェルト公爵が告げる。
「魔術院もミリアをすぐに向かわせました。「速さ」でいまやあの子に勝るものは世界中でキールを除いてはいませんからね。それに、あの子はデリアルスと面識もあります。きっと何か掴んでくることでしょう――」
そう言ったのは、『氷結』ニデリック・ヴァン・ヴュルストだ。
「こちらからも一応冒険者ギルドの方へ話を通しておきました。国境警備・探索の依頼をいただければ直ぐに冒険者たちを向かわせると言質を取っております」
このウェルダートの言葉に、『英雄王』は、即座にすぐにそうしてくれ、と返す。
魔物案件に関しては、王国兵たちより冒険者ギルドの方が一日の長がある。彼らが本格的に動けば、何かがわかるだろう。
「しかし、面倒なことになったな――。もし、その魔物の痕跡がメストリル王国領内にあったとしたら……」
と、「英雄王」が苦虫をかみつぶしたように顔をしかめる。
いつもなら大概のことを笑って吹き飛ばすこの御仁にしては、やや珍しい反応だ。
さもありなん。
仮にメストリル領内で発生した魔物が、カナンを襲ったということになれば、こちらの警備体制について落ち度を指摘される可能性もあるのだ。
「――ええ、難しくなりますな。場合によっては、賠償を求められるかもしれません。我が国とデリアルスの友好度はそれほど高くありませんのでな」
と、ウェルダートが応じる。
「――一応の報告ですが、デリアルスの南北の隣国、ダーケートとリトアーレ、それに、我が国の北、ヒストバーンも国境付近の探索を始める準備を整えていると、報せが入っております」
と、ネインリヒが報告する。もちろんこの情報の発信元は各地に潜ませている、「諜報員」たちからのものだろう。
「――いずれにしても、このまま闇の中ってわけにもいくまい。何としてでもその痕跡を発見し、対応を急がねばならんだろう。皆、しばらくの間、気を引き締めて事に当たれよ? よいな?」
と、『英雄王』がまとめる。
御意、とここに集ったものたちが返事をする中に、一人だけ、変わらず何かを思案しているものがいた。
「『翡翠』、どうかしたのか?」
「ああ、少し気になることがあるのじゃが――。もし、どうしても痕跡が見つからないとなると、ある可能性が浮上してくるのじゃ」
「あの魔術師――か」
「そうじゃ。奴が動き始めたということもあるかもしれない、と、考えておく必要もあるということじゃ――」
「それで、何を考えているんだ?」
「――やはり、呼び戻した方がいいかもしれんなと、そう思い始めておる」
「ああ、それはそうかもしれんが、すぐに連絡が付くのか? アイツは海の上だろう?」
「実は小僧も東に向かっていたはずなのじゃ。そうであれば、連絡を『届ければいい』だけじゃからの。どこかの隠れ港に寄港した時にでも伝えれば、そのまま直接デリアルスへ向かわせることができるはずじゃ」
「なら、そうしろ。嬢ちゃん一人よりは安心だろう。それに、なんだかんだあいつらもしばらくは会ってないのだろう? もう二月ほどになるんじゃないのか?」
「――レントのものにとって二月は長いとそう言いたいのじゃな? わかった。では、連絡を回しておくことにする。よいか、ウェルダート?」
唐突に問いかけられたウェルダートは一瞬驚きを隠せなかったが、すぐに落ち着き、答えた。
「もちろんです。娘が喜ぶのを妬むような父のつもりはありません。是非、彼を向かわせてやってください」
ウェルダートはそう笑顔で返したが、周囲の皆が、その笑顔がややひきつっているように見えたのは杞憂ではないかもしれない。




