第438話 老神父オズワルド・フィル・ベンジャミン
キールはローベの街はずれにある丘の教会へ今日も来ていた。
今日は、クルシュ暦371年12月31日、「大晦日」だ。
さすがに、今年最後の日ということもあって、教会には参拝客が数組訪れていた。
キールは、礼拝堂の中央で、それら参拝客の応対をしていた老神父を見かけると、その神父の元へと近づいてゆく。
今日の目的の人物は、「彼」だ。
あいかわらず、「魔素」の気配は一切しない。
もし仮に、それを意図的に行っているのだとすれば、キールの「目」すら掻い潜る、相当の『手練れ』ということになる。
キールは歩を進めると、礼拝客が順に挨拶している列の最後尾に付き、自分の番を待つことにする。
「列」とは言っても、それ程並んでいるわけではない。せいぜい3組程度だ。
程なく「キールの番」がやってきた。
「おお、キール殿。今日もお越しとは。今日はワイアットは本分の方の仕事で王城に出かけておりますぞ?」
と、その老神父が告げる。
ここまで近づいても、やはり「魔素」の気配は感じられない。
「神父さま、いつもお世話になっています。実は今日は、ワイアットではなく、神父様とお話をさせていただきたくて参りました。お時間、いただけませんか?」
キールがそう申し出る。
すると、その老神父は何かを察したように一瞬、眉を寄せたが、すぐに顔をほころばせて、
「いいですよ? では、参拝者たちへの対応が終わったらでよろしいですか? 午前の部は、12時までとなっていますので、あと、10分ほどお待ちくだされば――」
と、静かに応じた。
キールは老神父に了承の意を伝え、しばらくの間、礼拝堂の長椅子に腰を掛けて待つことにする。
何度かここには足を運んでいるが、そもそもこの教会は、何の神を祀っているのだろうか?
ミリアから聞いた話の中に、フロストボーデンで新興の宗教が発生したが、いわゆる政情を操る「カルト教団」だったということで、壊滅させてきたという話があった。
ここも、もしかしたらそういう「新興教会」なのだろうか?
そもそも、この「北の大陸(中央大陸)」において、「教会」という存在は、なにかしら大きな宗派とか会派が存在しているわけではない。
これも、この世界の特徴の一つと言えるかもしれないと、キールは思う。
しかしながら「教会」は、いたる街に存在している。
そしてそれらは基本的には、「個人営業」ということになるわけだ。
実は教会の中には、「治癒院(=病院と言えばいいか)」を営んでいるものが多い。つまりは、併業だ。この世界における教会は、日々の暮らしの中での悩み事や、後悔、懺悔などを告白する場所であり、また、なにかしらの神に祈りを捧げ、精神の安寧を求める場所でもあるのだが、それと同時に、治癒系術式の得意な魔術師を登用したり、あるいは、魔術師自身が神父を務めていたりして、「治癒院」を行っているというわけだ。
(この世界の不思議なところは、ボウンさんのような「神」が存在しているにもかかわらず、「宗教」の類いが非常に少ないというところだな。まあ、無いわけじゃないんだけど、それぞれが小さな『土地神』を信仰していて、大きな勢力にはなっていない――。前の世界では、世界中に広がる大宗教がいくつか存在していたんだけどなぁ)
と、そんなことをぼんやりと考えて老神父の手が空くのを待っていた。
キールの推測だが、恐らくは、「魔法」の存在が少なからず影響しているというのが真理なのかもしれない。
「魔法」はいわば、人が起こす「奇跡」だ。
つまり、この世界では、人の中に奇跡を起こせるものが一定数存在しているため、「神」という存在そのものが「相対的に軽くなっている」のかもしれないとそうおもうのだ。
「キール殿、お待たせいたしました。では、奥のお部屋でお話をするといたしましょう。クラーサ茶でよろしいですかな? 私も一息つきたいと思いますので、お茶でも飲みながら、《《ゆっくりと》》お話いたしましょう」
と、老神父が告げる。キールは、
「ええ、ありがとうございます、神父様。急に押しかけて申し訳ございません」
と、反射的に返すと、長椅子から立ち上がり、前を行く老神父のあとに続いた。
「――さて、何からお話いたしましょう?」
と、老神父が注いだばかりのクラーサ茶を口に運びながら問いかけてきた。
「ああ、その前に――。今さらですが、オズワルド・フィル・ベンジャミンと申します。名前を名乗るのは初めてでしたな?」
「あ、ああ、そうでしたね。これまで訊ねるタイミングも無かったものですから――。キール・ヴァイスです」
と、自己紹介を簡単に終える。
「――オズワルド様。今日は、内々なお話があって参りました。ですので、念のため、部屋に入った時にすでに術式展開をいたしております。断りもなく魔法を使ったこと、お詫び申し上げます」
と、ねんごろに伝えるキールに対し、オズワルドは、
「ええ、もちろん、知っておりますよ? 『音声遮断』ですよね? 私もあれには随分と世話になりました――」
と、応じた。
この瞬間、この目の前の老神父オズワルド・フィル・ベンジャミンが、「かつて神候補だったこと」が確定した。




