第436話 キールは洋上で物思いにふける
キールは甲板の上で夜空を眺めながら物思いにふけっていた。
船は、「北の大陸」から少し離れ、陸地が水平線に隠れて見えない位置を航行している。
こうすることで、近海で漁をしているボウトなどからも発見される可能性が低くなる。仮に見えたとしても、マストの先が見えるかどうかという程度だろう。
それに今は日も暮れている。
さすがに見つかる可能性はほぼゼロに近い。
それにしても、ボウンさんの話だ。
ここが地球だとは――。
確かに、空の星の配置を見ても、なんとなく見たような「星座」を見さだめることができる。まったく同じではないようだが、それはおそらく、時間軸も違うからなのではないだろうか。
それでも、月は30日周期で満ち欠けするし、朝になれば太陽は昇り、夕方には沈む。北半球の気候変動は地域差はあるにしても、比較的温暖で、四季の移り変わりも見られる。
(違うのは、魔法と科学だ――。ああ、どうしようか? アステリッドに話した方がいいのかな? アステリッドが聞いたら驚くだろうけど――)
たとえ話したとして、何か変わることがあるだろうか?
ボウンさんがキールに話したのも、それを知ったとして、今の生活やキールが出来ることに対して大した影響が無いからなのだろう。たとえここが地球と同じ起源をもつ場所であったとしても、一足飛びに科学が発達するわけではない。
なによりキール自身、そのような専門的な科学知識を持ち合わせてはいないのだ。
それよりも、だ。
どうしても会わないといけない人が出来た。
もっと早く聞いていれば、行ったり来たりしなくて済んだというのに、ボウンさんとのタイミングがうまく合わなかったようだ。
ここしばらくの間、何度か「幽体」を試していたのだが、「扉」はなかなか現れなかった。
今日久しぶりに出現したのだ。
「扉」が現れていない場合、どうやっても、ボウンさんに出会うことはできない。この「扉」については、いつも次元の狭間に出現するわけでもない。ボウンさんのタイミングで「用意されているものなのだ」(――どうしてだかわからないタイミングで「扉」が生成されている場合も無いことはないが――)。
「船長、またローベかよ? つくづく縁が深いんだな、あの港とはよ?」
と、話しかけてきたのは、副長のミューゼルだ。エリシアへの行き来の際には、「サン・メストリーデ号(=英雄王の王国公式艦)」の副長を務めていたが、その任は既に解かれて、こちらの副長に復帰している。
「まあ、縁が深いってのは今だけのことにはならないと思うけどね。たぶん、主要寄港地はローベになるだろうから。あ、そうだ、ミューゼル、おまえ、ローベの街で適当な物件をあたっといてくれよ? 船員の半分ぐらいが収容できる程度の広さがいいな」
「え? 俺が?」
「ああ、オネアムとランカの3人で、いい物件を探してくれ――」
「オネアムはどうでもいいけど、ランカがいてくれるならなんとかなるか――」
「ランカはこっちの計算に長けてるからね? なんてったってこの船の『財務大臣』だからさ?」
と、キールが右手の指で輪っかを作って見せる。
「『ざいむだいじん』が良く分からねえけど、まあ、仕入れや積荷の管理は一切アイツがやってるからな。それにあいつ、建築物好きだし」
と、ミューゼルも納得の様子だ。
ローベは港の規模も大きく、間口も広い。また、現在の港の周囲にもまだスペースがあり、拡張する余裕もある。
(せっかくローベに来たんだから、ついでにそっちの交渉も始めるとしよう――)
キールは、そう決めていた。
当面は賃貸物件を宿舎にするとして、そのうち「専用ドック」を建設しようと企てている。そのための土地の買い付けや建設業者の選定など、いろいろと骨を折ってもらいたいと思っているのだ、ワイアットに。
メストリルからこのキュエリーゼまでは少し距離がある。馬車旅でおおよそ7日ほどだろうか。だが、そもそも内陸地であるメストリルから海岸へ出るにはどこへ行っても相応の時間が掛かる。一番近いのはケウレアラ王国にある隠れ港だったが、今はジルメーヌもそこを使ってはいない。その隠れ港からやや西に位置する港町エランにメストリル王国とケウレアラ王国共同出資による大型造船所と何隻かの停泊所も同時に建造しており、そこに「イルミナティオ」も「サン・メストリーデ」も今は停泊している。
デリウス教授が常駐しているのもエランの造船所だ。そのデリウスは早速2隻目の建設に取り掛かっているらしい。もちろん、ケウレアラの公用船だ。
(あとは東だな――)
実は一番困っているのがその「東の寄港地の候補」についてだった。
キール自身、東の国で所縁のある国と言えば、ダーケート王国かシェーランネル王国ぐらいで、あとの二つについてはまだ足を踏み入れたことすらない。
シェーランネルは東というよりは北東であるうえ、臨海国家ではない。かろうじてダーケート王国が一部東の海岸に接しているのだが、山がちで大きな港を建造するスペースはほとんど見当たらない。ダーケートの海岸線には小さな漁村が一つ二つある程度だ。
(まあ、東はまた折を見てということで。まずは西のローベから片付けよう――)
「ううっ――、さむっ!」
やはりいくら南の海上とは言え、この季節に長く海風にあたると相当冷えてくる。
キールは身震いをしながら、自室に戻った。




