第429話 ワイアットの記憶
ワイアット、改め、ウィリアムはキールのその言葉を聞いて、少し眉をひそめた。
「記憶を解放? なんのことだ? ああ、いつ思い出したのかってことか? そうだな、あれは確か、17の誕生日の日だ。その日俺は、風呂場で滑って頭を思いっきり床にぶつけたんだよ。相当強く打ち付けたみたいで、気を失ってたみたいなんだ。そして、気が付いた時には思い出していた。――ああ、そう言えば夢の中で変な爺と話したような話さなかったような――。そこはあまりしっかりと覚えてねぇんだよ。なんたって「夢」の話だからな?」
(――爺? ボウンさん、か……。あの髭じいめ、何も言ってこないじゃないかよ……)
と、キールは思いつつ、ワイアット、いやウィリアムの話を飲み込む。考えられるのは、二つ。一つは記憶解放術式をボウンさんが施術した。そしてもう一つは、例えば頭を強打したはずみで解放された、だ。
いずれにせよ、ここでウィリアムを問い詰めても答えは出ないだろう。ボウンさんに会って聞かなければ――。
「――おーけー、わかった。それで? そこまで思いだしたのなら、もう一つの質問の方にも答えられるだろう?」
「何人で、いつから来たのか、だったよな? その質問には答えにくいな。俺自身、前の記憶と結論付けるまでに相当の時間が必要だったからな。単純に、自分の記憶だと混同していた時期もあったぐらいだ。だから、前の俺が何人でいつを生きていたかという問いになら答えられるが、それでいいか?」
「ああ、それで構わない。こっちもお前と似たようなものだ。前の僕が僕本人だという感覚は微妙に薄い。むしろ、前の僕は僕じゃないと整理した方がすっきりする」
「オーケー、キール。それじゃあ答えるが、どうやら前の俺は日本人で、『昭和』という時代にいたようだ。あ、この記憶については、神父だけが知っていることで他の誰にも言っていない。何と言うか、あまりにも世界情勢に差がありすぎて、前の俺の記憶は、おそらく黙っていた方がいいように思えてな――」
無論、それが賢明な対処法だと、キールもそう思っている。
「そうだね、それでいい。この世界にとってもその方がいいと僕も考えている」
「ふっ、やっぱり俺ら『シンユウ』だな。考えが一致してるじゃねぇかよ。それで? お前はいつから来たんだよ?」
やはり聞き返してくるか――。まあ、こいつは自分のことをここまで話したんだから、そこまでは仕方ない。
「前の僕が住んでいたのは『令和』という時代だよ。生まれたのはギリギリ『昭和』だったけどね。僕は『昭和』『平成』『令和』の三つの元号をまたいでいた」
「次の次――か。つまり、お前は俺が知ってるより未来を知っているというわけか……。あ、そうだ! 一つだけ聞いていいか? あの猫型ロボットは本当に出来上がるのか?」
「猫型……って、あれは22世紀の話だろ!? 昭和はそんなに長くないだろ! 陛下だってそんなに長生きできないだろう!」
と、思わず突っ込んでしまう。
「ははは、だな……。そうか、陛下は亡くなられたのか――。結構なお年だったからな、それで、皇太子が継がれた後、その皇太子も亡くなられたってことか……」
と、妙にしんみりとした空気が流れる。こういうところを見ると、こいつが日本人だったのだろうということがなんとなく確信に近いものに思えてくるから不思議なものだ。日本人の大半が恐らくこのような反応になるのだろうことを、キールもよく知っている。
例えば宗教団体の教祖に熱心な信者が傾倒するような「崇拝」とはまた違う。どう表現すればいいのか難しいのだが、それ程に「日本の象徴」であるということなのだろう。
「いや、その皇太子殿下はまだお亡くなりではなかったよ。お亡くなりになる前に、退位なされたんだ。次の皇太子にお譲りになってね」
と、答えておく。
「――そうか。まあ、俺にとっては『はっきりと覚えている夢』のようなものだ。これまでに俺たちのような人間に出会うこともなかったしな。だから、お前に出会った時、同郷の幼馴染に出会ったような感覚になっちまった。すまないな、馴れ馴れしくしてよ?」
「いまさら、いいよ別に。でも、これも「今さら」だけど、僕の方も相手が王子だったなんて言われたって態度を変えようが無いからな? 今でも、何度、ワイアットって言いそうになったと思ってるんだよ?」
ウィリアム王子は、キールのその言葉に対し、かかか、と快活に笑って見せた。
「ちげぇねえ。キール、改めて自己紹介する。『ワイアット・アープ』だ――」
そう言って、ワイアットは右手を差し出してくる。
テーブルを挟んで向かい合って座っていたのだが、向こうから先に立ちあがって握手を求めてくるあたり、あの馴れ馴れしい「ワイアット」のままだ。
キールも、口元を緩めながら立ち上がると、
「キール・ヴァイスだ。これからもよろしく、ワイアット」
と、返した。




