第428話 「ワイアット・アープ」
「ほう、お前、いいところに来るよなぁ」
と、教会の礼拝堂の一番前の席に腰かけていたワイアットが、キールの入ってきた扉の方へ向きを変えるとそう言った。
「ちょっと待て。僕は用事を済ませに来ただけだ、面倒事に巻き込まれるのはやだよ?」
と、キールが牽制する。
「けっ、俺が『いいところ』と言えば面倒事だと決まってるみたいな言い方じゃねぇかよ? ちがうぜ? ちょうど飯にしようと思ってたところだったんだ。もう少し後だともう出かけちまってるところだったって意味だよ――。いくだろ? 飯」
と、ワイアットが返してくる。
キールは少し考えて、
「そうだな――。できれば賑やかじゃないところがいいんだけど? 今日は「名前」の話を聞こうと思ってきたんだからな?」
と、答える。
ワイアットは、「約束――だったな」と応じておいて、分かったよ、任せておけ、いくぞ? と、キールの肩に手を回してきた。
「ん? お前、風呂ぐらい入れよ? 臭うぜ?」
「海の匂いだろ? さっき着いたばかりだからな。昨日は風呂に入ったよ」
などと軽口をたたきながら教会をあとにする。
丘を降り、また港町の方へと戻る形となったキールだったが、話が長くなるかもしれないのならさすがに腹は減るだろうから、食事を摂りながらの方が都合がいいとも思うため、おとなしくワイアットに従うことにした。
しばらく街中を歩いてゆくと、ワイアットは一軒の豪奢な商館へと足を踏み入れる。エントランスをくぐったあたりで案内役らしき男に声を掛けられた。
「いらっしゃいませ――。本日はお二人様でしょうか?」
「ああ、出来れば個室で願いたいのだが?」
「かしこまりました、殿下。どうぞ、ご案内いたします――」
「うむ」
と、そのような言葉を交わし、案内役が奥のフロアの方へ二人を誘う。
フロアにはテーブルが並んでおり、明らかに上流階級っぽいものたちが何組か食事しているのが見えた。テーブルや椅子の調度品などもかなりの代物で、まるで、王城の食堂のような空気感すら漂わせている。
そんなフロアを突っ切ると、やがて廊下になり、その廊下に面した扉の一つを案内役は開いた。
「こちらでいかがでしょう?」
「うむ、けっこうだ」
「ありがとうございます。それでは、私は、お料理の支度を伝えて参ります。どうぞ、しばらくお待ちください」
「ああ、ゆっくりでいいぞ。コイツと話があるからな」
「はい、かしこまりました。では――」
そう言って案内役は去って行った。
キールは、部屋を見渡すと、
「豪勢なところだな。あ、そうだ。僕は持ち合わせがないよ?」
と、伝える。キールは、『今は』持っていないと伝えたつもりだったのだが、ワイアットは違う意味に受け取ったようで、
「心配するな。勘定は俺がする。お前に出せとは言わないさ」
と、請け合った。
「で? 『名前』の話だったな――?」
と、ワイアットが切り出した。
「ああ、『ワイアット・アープ』という名には聞き覚えがあるんだよ。もし、お前が僕の知ってる『その人』と同じ人を知っているというのなら確かめなければならないことがある」
と、つとめて真剣にキールは返した。
いつもは茶化したりはぐらかしたりするワイアットも、キールのこの声色を聞いて、さすがにここは真剣に応じた方がいいと見たか、居住まいを正すと、話し始めた。
「俺の名は、ウィリアム・フォン・キュエリーズ。アーノルド・ウェア・キュエリーズは俺の腹違いの弟だ。『ワイアット・アープ』はお前の言う通り、俺の知ってるある男から拝借した偽名だ」
まあ、改めて聞くまでもない話だ。そのことについてはキールもすでに知っている。
だから、ここでは何も言わず、ワイアット、いや、ウィリアムの次の言葉を待つことにする。
「――ちなみにワイアット・アープは『ホアンカン』の名だ。『ホアンカン』、わかるか?」
と、ウィリアムが今度はキールに質問をする。
「保安官――。実は僕は保安官については詳しく知らない。アメリカという国の警察官のようなものという程度の認識だ」
と、キールは答えた。この瞬間、キールが、この世界以外の世界を知っていることが明らかになったわけだ。
「やはり、か。アメリカ――。懐かしい響きだ。久しぶりに聞いたぞ? そうだ、だいたいそれで合っている。ワイアット・アープは実在した連邦保安官だった。晩年、彼の体験談をもとに西部開拓時代を題材にした「映画」が作られ話題になった。俺もいろいろな年代の作品を見て、その男を知った。まさしく西部劇のスター的存在だからな」
ウィリアムはそう応じた。これでまたいくつか分かったことがある。それは、彼もまた、「地球」を知っているということだ。そして、彼の知っている「時代」は、アメリカでワイアット・アープが題材として描かれた「映画」が作られたよりも後だということも分かった。
キールが知る限り、「映画」が世に出始めたのは、19世紀末ごろだが、「西部劇」が流行したのはたしか、20世紀中ごろからのはずだ。つまり、ウィリアムは、それ以降の地球を知っていることになる。
「――お前はいつの時代の何人だったんだ? それから、どうやって記憶を解放することができたんだよ?」
キールはついに核心に至る質問をウィリアムへ投げかけた。




