第422話 一期一会
緑色の背表紙の本――。
題名は『合成術式の可能性』とある。
『合成術式』――。初めて聞く術式名だ。言葉通りに受け止めれば、『錬成』とは違うということになる。
(どういうことだ――?)
キールはさすがに訝しみながら、本の表表紙をめくった。
『はじめに――。
本書に記すのはあくまでも可能性の話である。
私が今言えるのは、その『可能性』はあるということだけだ。
私は聡明な魔術師ではないし、また、優秀な精霊使いでもない。私はただの魔法好きでしかない。そんな私が魔術書を読み耽っているうちに、ある一つの『可能性』に気が付いたため、こうして書き置くことにする。
願わくば、優秀な魔術師や高名な精霊使いなどの目に留まり、この『可能性』を研究してくれると嬉しいのだが、おそらくそんな未来はほとんどありえないのだろう。
だが、せめてこの『気付き』に関して、現時点で私がすでに気が付いていたということだけはどうしても残しておきたくて、筆を執った。
この書は、そんな私の自己満足を形にしたものである。
キュリオ暦12359年6月18日 著者 エウレノ・クスィージャレル』
(『合成魔術の可能性』って、一体どういうことだ?)
キールはその本をそのまま書架に戻すことはできなかった。
もちろん『自分が』その優秀な魔術師であるとは到底思えない。だが、この本に導かれて今この手にあるのは『わかる』のだ。
この感覚は、これまでに何回か味わっているため、『確信』と言って差し支えない。
つまり、『この本は』キールに読めと言っている。
裏表紙をめくってみると、版数表記があるかもしれないと思い見てみるが、そういうものは無かった。ただ、この本の装丁はそれほど古くはないように思う。それにしても、『キュリオ暦』とはどこの暦だろうか。また、いつの話なのだろう。
疑問がどんどん溢れてくるが、それについても調べればわかるはずだ。
(ん? この本って、初版じゃないのか? 翻訳されている?)
本の末尾に付されている正式タイトル、著者名などを記している場所――『奥付』――を見ると、原題がキールの読めない文字になっており、その下部に、『クルシュ暦264年標準語に翻訳 訳者ジュリアス・イデンハウル』とだけ記述があった。
(この原題の文字列――。古代エルレア文字か? やはり、持って行くことにしよう。このままおいていくのは忍びない)
キールはそう決断し、その本を一旦、書架へと戻す。
これまでこのような形で「出会った」書籍たちの中には、『蔵書リスト』に記載されていない書籍であったものもある為、キールは一応、確かめてみようと思ったのだ。
側を通りがかる職員らしき人物に声を掛け、『蔵書リスト』を閲覧できるかと訊ねる。すると、1階の受付で『リスト』を受け取って確認できると聞くことができた。
ほかの本たちも見てみたいとは思うが、どうにもさっきの本から離れたくない気持ちに駆られる。『リスト』を受け取って確認ができるのなら、キールが何の本を探していたのかまでは知られる可能性は低いと踏んで、先程の書架へと急いで向かう。
(あった! よかった。誰かに先に持って行かれたら、もう会えないところだったよ――)
キールはその緑色の装丁の本を書架から抜き去ると、適当にその辺りにある本を数冊手に取って、一緒に1階まで持って降りた。
(やっぱり――ない……。ということは、『ここには存在しないはずの本』ということになるわけだ……)
『蔵書リスト』を調べてみた結果、やはり、『合成魔術の可能性』という題名の本はリストにはない。
ここが北の大陸であれば、迷わず持ち出すところ(これまでもそうしている)なのだが、ここはエルレア大陸で、周囲には『精霊使い』であるエルルート族が犇めいている。さすがにこの状況で「盗み」をはたらいた場合、それを見咎められる可能性がかなり高いと感じるのは杞憂ではないだろう。
(どうしよう――。さすがに今日一日で読み切るなんてのは不可能だ。かといって、借りて帰れるとしても返しに来ることはかなり難しい。いや、でも、明日なら持ってこれるか――一晩だけ借りるってのはどうだろう?)
そんなことを思い悩んでいる時に、後ろから声を掛けられて思わずびくっと身を震わせるキールだった。
「キール? なに頭抱えてるのさ?」
「――! あ、ハル。いや、あ、それよりそっちはもう終わったのかい?」
「ふふ~ん。これが目に入らぬか!」
まるでどこかで見た記憶があるようなセリフで、メモの束をキールの眼前に掲げ、もう片方の腕を腰に当てる姿勢を取るハルに噴き出しかけるが、そこは、ぐっとこらえて、
「ほぉ。で? 英雄王は?」
と問い返すキールに、ハルは後方のテーブルの方へ親指を立てて指し示す。
そこにはテーブルに突っ伏した「英雄王」の姿があった。




