第412話 フロストボーデンのレイバン国王
首謀者を失った修道僧たちは皆、即座に投降を選択した。
それも、ある修道僧が声を上げたためだ。
「ヒュッケン様がやられたぁ! もう勝てない! 俺は降伏する!!」
その一人の声が波紋の中心となり、瞬く間に周囲のものも諸手を上げて降伏の意を示し始めた。
正気を取り戻した衛兵たちは「王命」に従って、修道僧たちを捕縛していった。
「おいおい、俺はこっち側じゃない、こいつらに潜り込んでいただけだ――」
一人の灰色ローブが言葉を発する。
「ハーランド様! 何とか言ってくださいよ!」
声をかけられたハーランド院長が、その男に掛かっている衛兵たちに合図をすると、衛兵たちもようやく手を放す。
(あ、あの人は確か――)
ミリアもその様子を見ていたのだが、その男の顔に見覚えがあった。あれは、「御者」だ。
なるほど、あの一団に紛れ込んで、誘導していたのか。レイバン国王が令を発した時も、ヒュッケンが討死した時も「誰か」一番に叫んだものがいた。あれはあの「御者」、ケリー・グラントだったのか。
「ああ、ミリア様! どうぞこちらへ。――この度は本当にありがとうございました。陛下も正気を取り戻すことができましたし、ラーデンフォウルの者共も一網打尽にできました。すべて、ミリア様、いえ、『七彩光』様のおかげです」
ハーランド院長がミリアをレイバン国王の前に誘った。
「ハーランド、こちらの方はどなたか?」
レイバン国王はそう言った。
思わずミリアはハーランド院長の顔に視線を移す。
ハーランド院長は静かに首を横に振った。おそらく、記憶が曖昧なところがあるのかもしれない。
「陛下、お初にお目に掛かります。わたくしはメストリル王国国家魔術院副院長ミリア・ハインツフェルトと申します。この度はフロストボーデン王国に対し、エルレア大使館長ジルメーヌ・アラ・モディアス様からの「申し入れ」を預かって参りました――」
「親書」はすでに渡してある為、もはや手元にはない。おそらく、あのヒュッケン・ジンザが預かって破棄している可能性が高いだろうと、そう察したミリアは、ジルメーヌから『言葉』を預かってきたと、そう言ったのだ。
「そうか。ジルメーヌ殿――。久しぶりに聞く名だ。彼女はまだ健在なのだな」
レイバン国王は、目を細めて懐かしがっている。
「実は、ミリア様。『翡翠の魔術師』殿は、陛下の憧れの人だったんですよ。陛下も若き頃は「冒険者」として活躍されておられました。いつかあの『英雄王』パーティに負けない自分だけのパーティを持つんだと息巻いておられました」
「よせ、ハーランド。私は結局冒険者としてはうだつが上がらなかったのだ。それで父の跡を継ぐ決意をした。なのに、こんなざまだ。恥ずかしくて『翡翠』殿を敬愛していたなどとは口にできぬ――」
「陛下――。『翡翠』さまは、常に前を向いて歩む人をとても愛されるお方です。『英雄王』もしかり。私の仲間もいつも『翡翠』さまに背を押されながら歩んでおります」
と、ミリアが応じる。
レイバンは、そのミリアの言葉を噛みしめるように目を閉じ、しばらくしてゆっくりと目を開けると、
「――そうであったな。彼女はそうやって多くの冒険者たちの背を押しておられた。私もまた彼女に背を押されるよう前を向いて歩んでいくとしよう」
と、ミリアの言葉に応えた。
ミリアは、本来の役目である、大使館長使節としてジルメーヌからの『言葉』を伝え、フロストボーデン王国をあとにした。
――――――
「ミリアめ、好き放題やっておるわ。あやつもキールによく似てきたのやもしれぬな?」
そう言葉を発したのは、大使館長ジルメーヌ・アラ・モディアスだ。
「――いえ、そうでもないでしょう。あの子は幼いころから正義感に溢れ、向こう見ずなところがありましたから」
と、返したのはウェルダート・ハインツフェルトだ。ミリアの父である彼にしてみれば、他の男の影響を受けてなどとは露にも思いたくないところだろうか。
「ウェルダート様の仰る通りです。彼女は本来あのような気質の子でした。年齢を重ねるごとに落ち着いていきましたが、高等魔術院時代にはすこし気負っている部分がありました。いい意味で一皮むけたというところでしょう」
と、受けたのはミリアの師でもある『氷結』ニデリック・ヴァン・ヴュルストだ。
そう言えばこの二人は昔から大の「ミリア推し」であったなと、したり顔をしながら聞いていたのは秘書官のネインリヒ・ヒューランだ。
4人は今、『英雄王』の執務室に集まっている。
ただ、当の家主である『英雄王』は現在、南の大海の上に浮かぶ超大型船の上にいる。
「ネインリヒくん、今の顔はどういう心境を表したものかな?」
こういう時に一番よくネインリヒの表情を見ているのはニデリックだ。今回もバレないようにほんの一瞬に見せた表情の変化を見過ごさない。
「いえ、なんでもありませんよ。私もミリアを幼いころから見ておりますので――」
と、危なげなくやり過ごす。
こういう時ニデリックは、さらに詰め寄るなどということはしない。
「――それにしても、あの二人、おそいのう。ネインリヒ、時間は間違えずに伝えたのであろうな?」
と、逆に詰め寄ったのはジルメーヌの方だ。
「え、ええ、もちろんです。ただ、何か都合があったのか、二人して、まごまごとしておりましたが――」
ネインリヒがそう答えたその時、表の衛兵から声がかかる。
『アステリッド・コルティーレ様、イハルーラ・ラ・ローズ様、ご到着になられました』
「入れ」
と、現在のこの部屋の主であるウェルダートが許可を下す。
「「お、おそくなりまして、すいません!!」」
そう言って入ってきた二人が速攻で最敬礼をする。
顔を上げた二人の顔を見て、3人の男が何やらおかしな表情をする。
「あ、あの――?」
と、アステリッドが3人の表情を見て訝しむ。
「二人とも、そこの鏡をのぞいてみるが良い。この者たちが呆けている理由がわかるであろう」
と、ジルメーヌは嘆息交じりにいいはなつ。
二人は慌てて、壁面の姿見に顔を映してみた。
二人の口元についていたのは、白いクリームのあとだった。




