第400話 『氷結』の問い
ヘラルドカッツ国家魔術院の院長執務室に二人の魔術師が向かい合って腰掛けていた。
一人は、このヘラルドカッツ国家魔術院院長レイモンド・ワーデル・ロジャッド。
そしてもう一人は、メストリル国家魔術院院長『氷結』ニデリック・ヴァン・ヴュルスト。
レイモンドは、はじめてこの『氷結』と二人きりで対峙している。
『氷結』とは、この魔術師につけられた異名である。が、それはあくまでも、敬意と畏怖を込めてつけられたものであり、決して貶めるためのものではない。
異名は『氷結』となっているが、この世紀の魔術師は、錬成「4」高度クラスというとんでもないバケモノ魔術師だ。もちろん、凍結系魔術に秀でているという特徴は間違いないのだが、その他の要素の魔術もとんでもなく精度が高く、威力ももちろん高い。
実際、彼の『本気』を見たことがあるのは、彼の実兄であり、ウォルデランの国家魔術院院長でもあり、また、『火炎』という異名を持つゲラード・カイゼンブルクただ一人と言われている。
ああ、それともう一人、この『兄弟対決』を見届けた、『翡翠』こと、ジルメーヌ・アラ・モディアスも見ていることになるか。
レイモンドはこうやって向かい合っているだけでも、恐ろしくて逃げ出してしまいそうになるほどに圧力を感じている。
もちろん普段からこんなに威圧感を出しているわけではない。それは、先日の通信装置のお披露目会の折に実際に目にしている。
――おそらく、私は、試されているのだ。
レイモンドは、だからこそこの場に踏み止まらなければならないのだと、自分に言い聞かせていた。
「『ラアナの神童』の件――」
ようやくニデリックが口を開いた。
レイモンドは緊張のあまり体がカチコチに硬直している。が、こうして対峙している以上、レイモンドはこのヘラルドカッツ国家魔術院の院長である。
畏れを押し殺して、体の奥底からなんとか声を絞り出した。
「はい――。その節は、大変失礼いたしました――」
「――ふっ、いえ……。なかなかの手際でした。いい配下をお持ちになっておられる――。こちらはまんまと出し抜かれてしまいました……」
「いえ、それは、こちらが不意を突いただけのこと。たまたま上手く行ったにすぎません」
「そう、ですか。たまたま、でしたか。それでは、仕方ありませんね。こちらも、たまたま気を抜いていた時だったのでしょう――。そういうことにしておきます」
「はい」
ニデリックの視線はレイモンドの瞳をじっと見据えたままだ。
レイモンドは、体が震えるのを必死で抑えようと抗っている。ただ、表情は出来る限り穏やかに、保ち続けるように努めた。
再びニデリックが口を開く――。
「今日は、院長に問答を投げかけようと思い足を運びました。突然の訪問に対し、慇懃な取り計らい、誠に痛み入ります。早速ですが、よろしいでしょうか?」
「問答」だと?
レイモンドは当惑したが、ここでこれを拒絶してはそこで話は終わってしまうのだろう。そうなればこの苦しい時間からは開放される。だが――。
(そうなれば私はおそらく「不合格」なのだろう――。レイモンドよ、お前はここまでの魔術師なのか? まだ、臆して腰を引く時ではないだろう?)
レイモンドは、「まだだ」と自分に言い聞かせ、口を動かした――。
「――もちろんです」
目の前の『氷結』の表情が、少し和らいだように見えた気がしたが、おそらくそれはレイモンド自身の希望的観測だろう。
「では、問います。あなたはなぜ『ラアナの神童』を攫ったのですか?」
なぜ? とは非常にあいまいな質問だ。一義的には「国家の為」というのが本当のところだろうが、おそらくそういうことを問うているのではない。
ここは、その目的と見ているものは何かという「展望」の話だ。
だから、答えは――。
「世界の均衡を維持するため――です」
そう、レイモンドは答えた。
「では次に、その計画はあなた自身の発案によるものですか?」
これがニデリックからの二つ目の問いだった。
これは「罠」だ。
おそらくのところ、すでに『氷結』は知っている。この計画の発案者が一体誰だったのか。
ここでレイモンドが自分の有能さを誇張し、誠実さを持たない魔術師であれば、「私です」と答えてしまうところだが、事実、レイモンドはそのような性質を持ち合わせていない。
「いえ――。これはノースレンド王国国家魔術院院長ヒューロ・ガイレン様からのご提案でした。しかしながら、彼のさらに裏に誰かがいたことは当初は見抜けませんでした」
これは「真実」である。
その後の報告によれば、このヒューロ・ガイレンの裏にはエルルート族の何者かが付いていると判明したが、結局のところ最後までその人物の「特定」には至っていない。レイモンドたちが探していた『標的』こそがその人物であることは確かであるが、その居場所を突き止め、「魔法具」の回収に向かったバーズ・ヘッガートは行方不明になっている。
「当初は――というと、時間の経過とともに判明したこともあるということですね?」
「はい。ヒューロの裏に何者かがいることまでは分かりました。その人物が私どもが収集した「魔法具」をもって姿を眩ましたらしいとも聞いています。こちらが「魔法具」回収に差し向けた私の手のものは、残念ながら、戻りませんでした」
これが全てだ。
「最後に――。あなたは、我々魔術師の世界にも現在の経済世界のように『均衡』、いえ、『安寧』が訪れると思いますか?」
ニデリックは表情を崩さずにそう質問した。




