第4話 ミリア・ハインツフェルト
ここはかつて、あの男がいざなわれた場所。
そこはそこでしかなく、そしてどこでもない。
すべての次元の外側にあり、すべての世界とつながっている。
そこにいるのはただ一人、今は「神」と呼ばれている白髭のじじいのみだ。
このじじいは他の次元からここへやってきた魂を、ほかの世界へと生まれ変わらせる力を持っている。ここにいざなわれる魂は、生きとし生けるものすべてではない。
生命体の中でも「人類種」と呼ばれる種の中から、さらに非常に稀なごく微少な確率によって選定される。
いわゆる、ガチャだ。
魂というものは実は高度な発達を遂げた「人類種」と呼ばれる生命体にのみ存在する、一種のシステムだ。この「人類種」というものの特徴は、言葉を使い道具を使い文明を築く知能を有しているという点で共通している。そしてこの魂というシステムはそういった「人類種」にのみ宿るものであり、数多存在するすべての生命体に宿るものではない。
どうしてそうなのか?
いまや「神」とよばれるこのじじいにもそれはわからないのだ。一つ言えることは、「神」というものもただのシステムに過ぎないということぐらいだろうか。
「ほお、あの男、超レアな特性“本の虫”を選んだやつだったかの。これも因果というものか、まさかあの世界に再び生を受けるとはな。あの“御品書き”のラインナップの中でたまたまあれを選んでしまうところから、変わったやつじゃと思うておったが、こいつは面白くなってきおったのう。いい暇つぶしができたわい」
そういって「神」、かつての白き魔術師ボウンは自身の髭を撫でた。
「それにしても、あの膨大な書庫の中からわしの魔術総覧を見つけ出すとは、やはり正真正銘“本の虫”のなせる業か。とは言え、あの書を見つけたぐらいではわしの魔術は扱えんのが普通なのだが、この男、前々回にも転生しておるときに“膨大な魔法の素質”という特性を選んでおったらしい。これはひょっとすると、ひょっとするかもしれん。うまく育ってくれれば、わしの「神」からの解放もあり得るかもしれんのう――」
さてさて、この先どうなることか。
じっくりと見ていこうではないか――。
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「―――ルくん、キール・ヴァイスくん!」
僕ははっと我に返る。
あまりに目の前の魔術総覧に集中しすぎていた。
顔をあげると、大学の教授が僕の方を睨みつけている。
「あ、ああ、すいません教授。なんでしたっけ?」
「まったく、君は! 私の話に興味がないのなら、その本をもって書庫にでもこもっていなさい!」
「すいません――」
「本が好きなのは悪いことではないが、やはりそういう態度は褒められたものではないぞ? 以後気を付けるように!」
「はい、申し訳ございません――」
「仕方がない、じゃあ、今のとこ、ミリアくんはどう考えるかね?」
そう言って教授から指名されたミリア・ハインツフェルトは、ろうろうと答えだした。
「私が思いますには、我が国における民主主義と君主制の融合は――」
さすが、ミリア・ハインツフェルトだ。急な指名にも何ら臆することなく堂々と答弁している。彼女がこのクラスの首席であることは誰もが認めるまごうことなき事実だ。
その声色は風のように爽やかであり、一瞬の淀みもなくすらすらと流れる川のように軽快だ。そしてその佇まいは、凛として気高く、すらりとして清潔である。女性特有の凹凸も特に誇張することはないが、非常にバランスよく美しい曲線を描いている。
まさしく才色兼備とは彼女のことを言うのであろう。
僕は自身の目の前にある魔術総覧をいったん閉じた。これ以上教授の反感を買うのはよくないことぐらいはわかっている。いくら“本の虫”であろうとも、そのぐらいの良識はわきまえているつもりだ。ただ、没頭してしまうと、周りの世界から遮断されてしまうこの習性は、やはり少し警戒をした方がいいかもしれない。
その授業の後だった。
僕が帰り支度を始めていると、つかつかと僕の机の前にやってくる人影があった。
「ねぇ、あなた。キール・ヴァイスくん。少し私に付き合ってもらえないかしら?」
なんとも唐突な話だ。声をかけてきたのは、先ほど僕の代わりに教授の問いに答えていた人物、ミリア・ハインツフェルトだった。
これまでに一度も言葉を交わしたことはない。同じクラスと言っても用がなければ話すことなどないのは今や普通の話だ。これまで僕と彼女には何も接点はなかった、筈だ。
「え? 僕?」
「私の知っている限り、キール・ヴァイスはあなたしかいないはずだけど?」
「いや、そうじゃなくて、どうしてかという意味なんだけど?」
「用がなければ、声をかけたりしないでしょ。あなたに用があるから声をかけてるのよ」
「ああ、それはわかるけどさ、ちょっと急すぎて驚いたんだ」
「あ、あなたには急なことかもしれないけど、私にはそうじゃないのよ! いいから付き合いなさい!」
結構なボリュームで叫んだものだから、まだ教室に残っていた数人の学生がざわつき始める。
「わ、わかったよ。ちょっと待って、もう準備ができるから――、OK、じゃあいこうか――」
僕が彼女にそう促すと、彼女はすたすたと早足で教室を出る。僕はその後に続いた。