第35話 カインズベルク大図書館にて
――それは、とても奇妙な出会いだった。
カインズベルク大図書館は魔術関連の書籍も豊富だ。ヘラルドカッツ王国は魔術院も世界最高峰をうたっているほど魔術に関しては力を入れている。それでいて、魔術師に対する物腰も柔らかい。
キールがこの街に移り住んでしばらくしたころから、街でたまに制服姿の男女を見ることがあった。年のころはキールよりは少し下だろうか。14、15歳ほどの数人のグループで街を歩いているのを見かけていた。
「ああ、それは魔術士教育学院の生徒たちだわ」
メイリンさんが言った。
国家魔術院への登用を見込んで、素質ある若者たちを幼少のころから教育するという。しかし彼らにエリート意識はない。これはその校風に由来するとメイリンさんは言う。
なんでも、『魔法は神からの贈り物である。なれば、これを扱うものはその精神も清らかでなければならない』という教えだという。
(なるほど、神からの贈り物、ねえ――)
キール自身なんとなく納得できる言葉ではあった。が、これまでそんなふうに考えたことは一度もない。
どちらかと言うと、これは『枷』だ。
つまり、その様な教えであるため、生徒たちは心を清らかに保つことこそ魔術の成熟を促す根幹であると認識しているのだとか。
たしかに、制服を着た生徒たちの居住まいを思い起こしてみると、背筋を伸ばし、表情も柔らかい者たちばかりだった。いわゆる、「不良」のような素行のものは見たことがない。
自然、街の人達も彼らに対する物腰が柔らかくなり、魔術師への畏怖より尊敬の心の方が深くなるのだろう。
つまり、これは穿った見方かもしれないが、生徒たちは魔術師の存在に対する人民の心を柔和させる役割を担っているということだ。
(なるほど、ヘラルドカッツ王国の魔術師に対する扱いは結構重要性が大きいと見える――)
キールはそう見ていた。
そんな時だ、その奇妙な出会いが起きたのは。
キールはいつものようにカインズベルク大図書館で本を物色していた。すると、不意に、ある方向から呼ばれるような感覚がする。
(これは――)
そう思って、その気分に身を任せるようにその方向へすすむと、一冊の赤い背表紙の本を見つけた。
キールはその本にすうっと手を伸ばした。
これまでにも何回かあったこの感覚、一度目は『真魔術式総覧』に出会った。二度目は『魔術錬成術式総覧』、ミリアに贈ったあの本だ。そして今回が3回目――。
と、その瞬間、キールの横から白い手が伸びて指先同士がぶつかった。
誰かも同じ本に手を伸ばしていた?
「あっ!」
キールが思わず手を引っ込める。
「きゃっ!」
と、ほぼ同時に横で小さい悲鳴が上がる。
「あ、大丈夫ですか? 怪我とかしてない?」
キールが慌ててそちらを向くと、そこには一人の少女が引いた手を胸の前に抱いて立っていた。
あの制服だ――、たしか魔術士教育学院――。
「あ、いえ、すいません、大丈夫です。そちらは大丈夫ですか?」
「え? ええ、なんともないですよ。なんか偶然同じ本を手に取ろうとしてたみたいですね?」
「あ、ああ、その赤い背表紙の本、ですよね……」
本は一つしかない。さすがに二人で一緒に、というわけにもいくまい。
「君の方が先だったから、どうぞ」
キールはいち早く先手を打つ。こういうのは「譲る」と言ってはいけない。「譲る」のは自分に権利があると主張することになるからだ。
キールは仕方がなくその場を去ろうとした。こればかりは仕方ない。気になるかと問われれば気になると答えるだろうが、これも「縁」というものだ。また「縁」があれば出会うこともあるだろう。もちろん、出会う相手はその「本」の方だ。
「あ、あの!」
少女がキールの背中から声をかけた。
「い、いつも、魔術関係の本をお探しのようですが、ま、魔法にご興味がある方なんですか?」
「え?」
キールが言葉の意味に引っ掛かって思わず振り返ると、少女はすこし俯き加減でこちらを見ている。
「あ、あの、わたし、アステリッド・コルティーレと申します。魔術士教育学院の3年です。よろしければ――おなま、え、を……」
そこまで言ったかと思うと、
「あ、はは、なに言ってんだろ私、あ、あの、忘れてくださいすいません! 失礼します!」
そう言っていきなり駆け出して行ってしまった。
「アステリッド・コルティーレ? あ、いや、本は、ってそのままだよな……」
キールは残されて寂しそうにしている赤い背表紙に手をかける。
(なんか、まだお前と「縁」が繋がっていたみたいだな――)
そう思いながら手に取ったその表紙には、
『記憶に関する魔術と前世からの贈り物 ハーネス・クライスラック』
というタイトルがついていた。




