第25話 移住
日が落ちると、やはりまだ冷える。
キールは座席に腰かけたまま、コートの襟元を閉じ合わせ、少しでも寒さを凌ごうとした。
メストリル王国の王都を出て、今日で3日目だ。王都から出た馬車は4日かけて、隣国のケライヒシュール王国へ至る。つまり明日にはそこへ到着するはずだ。
馬車は幌がかかっていて、外の様子は見えないが、後方の小窓からだけ赤く染まった空が見える。立ち上がって近づけば、周りの景色も後方だけだが見ることはできるだろうが、走っている馬車で立ち上がるのは良案とは言えない。
王都を出た時は4人で乗り合いだったのだが、昨日おとといの二日間の中継地で3人とも降りてしまい、今はキール一人だけだ。
今日3日目からは国境を超えることになる為だろう。3人はメストリル王国を出国するつもりがなかったようだ。
キールは馬車に揺られながらぼんやりと数日前のことを思いだしていた。
「キール、あなたの仕業なの?」
ミリアはそう聞いた。
「なんのこと?」
「昨日の繁華街の事件のことよ。どうも魔法の仕業だという事よ」
「だから、それはどんな事件なんだよ?」
キールは努めて冷静に落ち着き払って聞き返す。
「売春宿の主人と何者かの二人が魔法による焼死体で見つかったの」
「へぇ、そうなんだ。で、その事件と僕に何の関係があるって言うんだ?」
「いえ、それは――。何ていうか、勘? みたいなもの……かな」
「おいおい、君の勘で僕が関係者になってしまうのかい? そりゃないだろ?」
キールはやや薄く笑いおどけて見せる。
「――本当にあなたじゃないのね?」
ミリアの表情は真剣そのものだ、一分も緊張を緩めない。
「――ああ、僕はやってない」
「そう、じゃあいいの。ごめんね、疑ったりして。じつはその事件について先生たちが話しているのをたまたま聞いてしまったのよ――」
ミリアの言う「先生たち」というのは王国魔術院の偉いさん方のことだろう。その話の内容だが――。
「今回の事件はあまりに奇妙だ。私が感知できない魔法が複数個使われている形跡がある――」
と、ニデリックが言った。
「院長が感知できない魔法など、存在するのですか?」
とはネインリヒの言葉だ。
「ネインリヒ君、私だって万能じゃないんだよ? そんなに責めないでくれたまえ」
ニデリックが返す。
「いえ、そういうわけではありません。院長が感知できない魔法を使えるものがいるとは思えないから、訝しんだだけです。でも、もしそれが本当なら、院長が知らない魔法を使う何者かが存在することになります。しかも近くに、です」
ネインリヒがニデリックへやや恐縮して返した。
「そういう事になるだろうね。実に興味深い。私はその者に出会ってみたくなったよ……」
「あいては今回の事件に関係したかもしれない者ですよ? もしかしたら暗殺ギルドの手の者かもしれません。そんな者に興味本位で会われて、院長にもしものことがあったら、我々は困ります。院長、くれぐれもご用心願います――」
――というような会話だったという。
なるほど、「傀儡」と「引金」の魔法痕跡を感知されたか――。と、キールは思ったが、ここで顔に出すわけにはいかない。『氷結の魔術師』すら知らない魔術式、そこにミリアは反応して、キールを疑ったという事だろう。
さすがにミリア・ハインツフェルト、素晴らしい洞察力を持っている。
しかしこれは少々困ったことになった。
ミリアと僕がここでこうしてよく出会っていることは、数人ではあるが、ここの司書たちは知っているだろう。
その僕がもしその事件に関与していることが明らかになった場合、当然その余波がミリアにも及ぶことは想像に難くない。
(やはり、大学を出ないといけないか――)
この時キールは決意したのだ。
このままでは彼女の将来に影を落とすことになりかねない。彼女は優秀で将来も約束されている貴族の令嬢だ。いずれは国家を背負って立つ一流の魔術師になるか、どこかの貴族に嫁いで幸せな家庭を築くだろう。自分とはそもそも交わることのない人生だったはずだ。それがふとしたことからたまたま奇跡的に今こうして交流があるが、やはり、この交流は彼女にとってはあまりに危険度が高すぎた。
(いつまでも共にこうしてはいられないか――。せめて、大学にいる間はと思っていたんだけどな……)
キールは悲しみをこらえて、最後までミリアに本当のことを打ち明けなかった。
取り敢えずの荷物をまとめて、大学には休学届を出し、急いで下宿宿を飛び出し、その足で隣国行きの馬車に乗って今ここにいるというわけだ。
もう少ししたら今日の中継地だ。とりあえず今はどこに行くか何をするかを考えるより、メストリルを離れることの方が先決だ。
すでに国境は越えた。
幸いキールは、自由出国権をもつ平民だ。国を移ったところで何が変わるというものでもない。
――ミリア、怒るだろうな……。また会える時が来るかなぁ……。次会うことがあれば、謝らないとだな――。
翌日の昼過ぎ、キールは馬車の終点、ケライヒシュール王国の王都ケライヒライクに降り立った。




