第18話 リカルドという男
エドワーズ・ジェノワーズは、爪を噛んでいた。
あの青年を殺そうと差し向けた大男のウルが精神異常になっていたためだ。
それは突然のことだった。
依頼をした翌々日の朝、ウルと街角で出会ったエドワーズはこの大男の様子がおかしいことに気づいた。
地面に転がったかと思うと、ぼーっと天を眺めたり、座り込んで地面に頭を打ち付けたり、「おおう、おおう――」と訳の分からないうめき声を上げたりしている。
恐る恐る近づいて声をかけたが、ウルはエドワーズの方を見ることすらなく、全くの無反応でふらふらと歩み続けている。
(狂っていやがる――。何があったんだ……?)
そう思ったエドワーズだったが、これ以上ウルと接触していて万一あの青年との関係に足がつけばこちらも立場が危うくなる。
エドワーズはそれ以上ウルと関わるのは危険だと察し、その場を離れた。
(あの青年、ルイの知り合いのようだが、そう言えば前にルイも変なことを言っていたことがあったな。腕がないとか何とか言ってかなり怯えていたことが。あの時は気にも留めなかったが、ウルの様子といい、少し気になる。それに「あの顔」、あれはまさしくアイツ、ヒルバリオ・ウィンガードの顔だった――)
ふぅっと大きく息を吐き、エドワーズは自分の過去を思い起こす。
あの時手に入れた4つの宝石は残り一つとなってしまった。
一つ目は、今の名前を手に入れるために殺し屋を雇い、王都のはずれの一軒家を購入し、そこで街道の冒険者や行商相手に小さな酒場を開くのに使った。
殺し屋を雇って密かに始末した、エドワーズ・ジェノワーズになりきるのに約10年を費やした。そして、周囲の誰もが自分をエドワーズと認識していることを確信したリカルドは、計画を次の段階へと進めた。
王都の繁華街に、店を移したのである。しかし今度はただの酒場ではない。酒場には売春宿も併設している。この時二つ目の宝石を使った。店は豪華絢爛に装飾し、王国官僚のお偉方も上客として扱えるような意匠を凝らし、女どもも王都中の美女を取りそろえた。いささか無慈悲な手段も使ったが、そんなものは些細なことだ。女どもも今となってはその稼ぎに満足していることだろう。
そこからまた10年後、貴族社会とのパイプを持ちたかったリカルドは、3つ目の宝石を使った。没落貴族の経済支援を名目にそこの令嬢と結婚をしたのだ。その貴族はすでに破産寸前であったため、娘をリカルドに差し出すことに何の躊躇いもなかった。現在もこの貴族家、レインス家とはいい関係を築いている。二十歳そこそこの若い女ではあったが、容姿はそれほどでもない、いわば中の上程度だ。ただ、その体は充分に堪能させてもらった、やはり若い女はいい。息子もできた。バカ息子だが、まぁそんなことは俺の知ったことじゃない。俺は俺の人生だけ楽しければそれでいいのだから。
これで宝石は残り一つとなった。
しかし、これはおそらくもう使う必要はないだろうと思っている。
十分な富と栄誉、貴族社会とのつながり、これだけあれば一般国民としては誰にも手が届かないほどの暮らしができる。あまり王国政府に近づきすぎると却って、足元をすくわれかねない上に、余計なしがらみにとらわれるかもしれない。ここまでの暮らしを謳歌しているというのに、国王の機嫌を取ってびくびくしながら生きるのはまっぴらだ。
これからも、店に若い女を入れて、そのたびに楽しませてもらう。妻は飾りでもう若くはない。子もなした今となってははっきり言って用済みだが、特に俺のすることに口出ししない限りは、レインス家を利用するための大事な「パイプ」でもある。おそらくレインスの当主であり義父であるバリージョ・レインスはもう長くはない。あいつが死ねば当主は義弟のメイスに移る、この義弟は凡庸な男で女好きと来ている。まあそう仕向けたのは俺自身なのだがな。それなりに女をあてがっておけば俺に逆らうようなことはないだろう。
ここまでは完璧だった。
これでもう俺は後は死ぬまで、好きな女を抱き腹いっぱいうまいものを食い、凡人は俺に媚びへつらう。あとは若い女の上で死ねれば本望というものだ。そう思っていた矢先のことだ。
アイツが現れた。
キール・ヴァイス。ただの大学生だ。
しかしそいつはヒルバリオと同じ顔を持ち、そして、時折俺に話しかけるさまはまさしくアイツが蘇ったものだと確信させるに足る。
何より俺の“名前”を知っていやがる。
(アイツだけは、俺の人生をぶち壊しかねない……絶対始末しなくては――)
そう思った、リカルドはある者へ届ける文を書くためにペンを取った。出来ることなら、こいつらにだけは頼りたくなかったのだが、自分の身を守るためだ、背に腹は代えられない。
『至急、仕事を頼みたい。立春祭の日にあの場所で。リカルド』
翌日、それを王都の書簡配達人へ持たせた。充分な報酬を与えて――。




