第九十四話 慈愛の粒の生産は最終段階に向かっているが、試薬の治験にはもうひと月ほどかかる。一応念の為とは言え、解毒薬というか慈愛の粒の効果を抑える薬も必要なんでな
避けて通れない問題というものは意外に多い。
俺の結婚問題もその一つだが、これに関しては相手が必要な訳で俺が一人で抱え込んでもどうにもならない。この件に関してはオスヴァルドに相談できないし、相談したが最後いつの間にやらブリトニーが俺の婚約者にされている可能性もある。
アリスとカリナが俺に好意を寄せているのは流石に気が付いているが、二人とはもう何年も一緒に仕事をしている訳でほとんど家族のような感覚なんだよな……。
クリスに関しては殆ど接触をしてこないし、パラディール公爵家の四女ラナエルも一度だけ顔を合わせたっきりでそれ以降何かをしてくる訳じゃない。リチャーズの娘に関しても同様だ。この辺りの女性に関しては双方が貴族だって所が色々と問題になる。
【マスターは元の世界でも独身でしたからね】
最終的にブレイカーズのブレイブで結婚したのは半分程度だっただろ。
仕事内容は詳しく教えられない、夜中だろうが早朝だろうが関係なしに出動命令が出る、給料はそれなりに高いが仕事内容から考えるとそこまで高い訳じゃないなどの理由で長続きしないケースがほとんどだ。
特殊能力保有生物犯罪対策組織ブレイカーズか関連組織の女性と付き合った場合は上手くいくが、それ以外の女性と付き合った時は数ヶ月持てばいい方だったぞ。
【ブラック企業とまでは言いませんが、交際している相手の職業が分からないというのは問題でしょう。国家運営組織の警備員とか言われても胡散臭いだけですし】
あ~、色々な名で特殊能力保有生物犯罪対策組織ブレイカーズの仕事を説明しようとしてた奴もいるが、調べたらすぐにそんな組織はないってバレるからな。当然ブレイカーズの事もホームページとかで調べても何も出てこないぞ。
超大手建設会社で働いている土方や実家が名家で金持ちの武堂はともかく、それ以外の奴らはすぐに破局してたからな。
土方の奴はあの性格と金遣いの荒さが災いして結婚まで行く事は無かったが……。
【ブレイカーズと建設会社の給料をもらってほとんど家賃と光熱費ただの家に住んでいるのに、給料日前にお金が無くなるのが凄いです。ボーナスだって二百万位ありましたよね?】
ギャンブルもするが、あいつは慈善事業にも割と金を出してたからな。あれでも女子供には優しかったし、大きな災害が起きれば手持ちの金を全部突っ込んで援助に向かう奴だった。
あいつが誰かと所帯を持つなんてのは無いだろう。雷牙の奴もそうだったが、あいつらが誰かと結婚する姿なんて想像もできないぜ。雷牙の奴に関しては行方を晦ました後は音信不通だがな。
【シャイニングブレイブの神崎聖さんが活躍していた時ですね。私はデータでしか知りませんが、あの時の待遇に不満があったとは思えませんし不思議な話です】
案外俺と同じ様に別世界に転生してたりしてな。もしくは紅井の奴の様に別の世界に転移したか。
……やっぱりないか。俺たちとは別の敵と戦っている可能性もあるし、考えても答えは出ないな。
【現状の問題としてはそんなところですか?】
そうだな。いい加減現実を逃避するのはやめて、目の前の本当の問題と向き合うとするかな。
◇◇◇
アルバート子爵家やレナード子爵家の領地から流れて来た領民が加わった為、我がフカヤ領には今までの倍近い二万人という領民が暮らす事になっていた。
どこも人手は不足している為、彼らが仕事に困る事は無かったが、問題なのは一定以上の仕事を管理できる貴族の数が圧倒的に不足していたことだ。
俺の手持ちの部下である初期からアーク商会で働いていた三十人ほどの商会員のうち男性は全員騎士爵を与えて独立させ、今は能力に応じた仕事を任せている。その為にアーク商会で働く商会員の多くは女性ばかりとなり、俺の居場所は専用の工房と執務室だけとなっていた。
商会員が女性だけでも業務に支障はないし、理美容品の生産や管理には問題が無い。いや、ある意味でいえばあるのかもしれないな。
「リューク、慈愛の粒の生産はどうなってるのよ。そろそろ調合を初めてもいいんじゃない?」
「そうですよ。こっそり完成させているんでしたら、私にだけ渡してくれてもいいんですよ」
「カリナさん、それは聞き捨てなりませんわ。販売された後で買うのは無理ですけど、商会員特典で試薬の治験は私たちも協力するつもりですから」
久しぶりに商会の商品開発会議に参加したら周りが全員敵だった。
おかしいな、今日はシャンプーとかの美容商品の新製品の説明会だと聞いて来たんだが、その説明は五分で終わっていつの間にか豊胸薬として売り出す予定の慈愛の粒を俺に催促する場に変貌している。
第一弾として百粒ほどの生成には成功しているし、それを五粒ずつ二十セット用意してあるのだがこの情報は誰にも知られていない筈だ。いったいどこから情報が漏れた?
「慈愛の粒の生産は最終段階に向かっているが、試薬の治験にはもうひと月ほどかかる。一応念の為とは言え、解毒薬というか慈愛の粒の効果を抑える薬も必要なんでな」
「そんなもの必要ないでしょ?」
「必要あるに決まっているだろ。異常に効果が高すぎて、乳牛の様な胸になっても構わないというんだったらすぐにでも渡せるが」
「そ……そんなことが」
「可能性としてはあるんだ。今までの薬で過剰再生や薬効が聞き過ぎた前例はないが、今回が初の事態という事は考えられる。いざって時の為に備えるのもこういった薬を売り出す者の義務なのさ」
今までさんざん使ってきた保湿剤や化粧水の効果から考えれば可能性はほぼゼロだが、それでも万が一という事はあるからな。
畑で採取された女神鈴を半分くらい使って僅かに百粒。女神鈴に関してはそのほとんどを植えて増産に回したから二ヶ月後には月に千粒は生産可能だろう。化粧水の生産を落とさないで生成するのはそのあたりが限度だ。
一粒二十万スタシェルの薬が月に千粒……、つまり二億スタシェル分生産可能な訳だが、それでも年に二十六億スタシェルの売り上げになる。一番高くて本来は入手困難な女神鈴が生産可能な時点で高利益なのは確定なんだが、一応そのあたりは普通の売値を帰順して原価として計上させて貰う。
ただ、豊胸薬なんて購入層は限られているし購入数だって一人頭はそこまで伸びないのは分かっている。余れば輸出して他の国に売ればいいんだけど、向こうの国でどれだけ売れるかも謎だしな。
「仕方が無いわね。試薬の治験をひと月待ってあげるわ」
「そうですね……。確かに何かあると怖いですから」
「その時、試薬はどの位貰えるんですか?」
「効能を鑑みて一人五粒までだ。それでも十分すぎる位効果がある」
個人差はあるが、それでも胸の大きさが分かる位に大きくなるはずだ。
慈愛の粒を飲む前に蓄えている脂肪の差も大きいんだが、体脂肪率が一桁とかでない限り最低限の効果は発揮するらしい。俺も試した訳じゃないから正確には分からないが。
「五粒……、百万スタシェル分の薬ですか」
「法衣騎士爵五人分の薬って考えたら凄いですよね。魔導エアコンと同じくらいの価格です」
「そう考えるとすごいですよね。その薬を買う人がいるのも凄いですが」
「アーク商会製の化粧水や理美容品を買う層と同じだろうな。こんな物に手を出せるのは金回りのいい伯爵家以上の上級貴族と王族くらいだ」
この国でもそのあたりの貴族はスタイルでもマウントを取り合うというしな。
胸が大きな女性が魅力的と思われている節もあり、パラディール公爵家の長女レナエル辺りもパットで嵩増しをしているという話も聞く。
予測される慈愛の粒の購入層はその辺りなんだが、それだけに慈愛の粒の効能を打ち消す薬の販売も必要なのさ。単独で使っても胸が小さくなる訳じゃないけどな。
「慈愛の粒に関しては了承したわ。後は化粧水の増産計画ね」
「先月最新型の錬金装置を追加で導入しました。これで一日に生産できる化粧水の量が増やせるはずですよね?」
「ちょっと待て。アリスはわかるがカリナまでこれ以上化粧水の増産を求めるのか?」
「当然じゃない、今やカリナはアーク商会の副頭取なのよ。利益率の高い商品の増産を考えるなんて普通じゃない」
「いえ、私としてはそこまで強くは言いたくないんですが、方々からの要望が凄くて……」
あれもひとつ二十万スタシェルだぞ。
最新型の錬金装置を使う事を前提として現在の生産状況は月に四千本、年間に換算すると五万二千本で百四億スタシェル分の化粧水だ。
これから得られる税収だけでもフカヤ領を運営する事が可能というバカげた数字で、本当にこの世界にこれだけの金が動いているのが信じられない位だぜ。
「仕方がないでしょ。コランティーヌ商会とローズガーデン商会を経由しているとはいえ、相手が貴族や王族なのよ。こっちもあまり強く出れないのよ」
「その件は了解した。ただ、魔力や氣も無限じゃないから月四千本が限度だ。先方にはそう説明してくれ」
「了解。後の理美容品はこっちで何とかするからお願いね」
そう、女性が中心の商会に変貌した為、こうして商品の殆どが化粧品に変わった。
俺が開発した木製の帆船模型や遊具の利権は別の商会に売られ、残っているのは理美容関係と魔導具系の商品だけだ。
利益率は高いからそこまで文句は言わないが、もう少しロマンのある商品も売りたいんだが……。
【流石にそれは不可能では?】
ああ、そうだよ。人員がすでに限界で、魔導具と理美容品を扱う部署しか存在してないのが実情だ。
魔導具に関してはアリスが責任者としてキッチリ運営しているし、これ以上何かをするのであればその部署を任せる人材が必要だろう。
そのあたりは早急に手を打ちたいところだな。できれば男性の商会員を増やしたい。
俺の居心地の為にもな……。
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