第六十三話 先月発売した口紅やファンデーション関係がトドメだったか。この辺りだと白粉すらなかったしな
今年も十月になり、残すところあと四ヶ月ほどとなった。
アーク商会の名は意外に知られており、すでに王都オンティベロスでは石鹸やシャンプーを扱う美容専門の商会として認識されているらしい。
主力商品は確かに美容関係や化粧品が多いのだが、うちの商品の中にはアリスの開発した魔導具もある。しかし、今の現状を見てみればそう思われても仕方が無いんだろうな。
「先月発売した口紅やファンデーション関係がトドメだったか。この辺りだと白粉すらなかったしな」
「そうね。それと化粧筆やコンパクトも大人気なんだけど」
「化粧筆はアルバート子爵家に利権を渡したからな。家畜の毛の使い道が増えて喜んでいたさ」
「もったいないですね。うちの商会で生産できればよかったんですが……」
「現状、これ以上商品を生産するのは無理だ。石鹸工房でシャンプーやリンスの生産が限界ギリギリだぞ」
リチャーズに頼み込んで人を回して貰ったのだが、ロドウィック子爵家から逃げてきた分家筋の次男や三男を押し付けられた形となった。
ロドウィック子爵家も再建中なのでこれ以上人材の流出は容認できないようで、先日跡を継いだヨーゼフが直接分家の説得を行ったほどだ。
それでもこちらが提示する給料の額に惹かれ、ロドウィック子爵家の抱える法衣騎士爵家の多くはレナード子爵家へと流れた。残っているのはロドウィック子爵家が領地を与えた騎士爵ばかりだとか。
「でも、アルバート子爵家製の化粧筆はすごくいいんですよ。紅の乗りもいいですし、肌触りもこんなに滑らかです」
「アルバート子爵家では元々筆を作っていたからな。少し材質と大きさを変えただけだ」
「おかげでアルバート子爵家も潤っているみたいですね。化粧筆は単独で王都に売り出しているようですよ」
「今までの化粧品というか紅を塗るのに使えないわけじゃないからな。流石にアイシャドウやファンデーション系を扱っているのはうちだけだが、紅は貝殻に入った物が以前から売られている」
女性はそれを指で唇に塗っていたのだが、この世界には元の世界程高性能な鏡なんて売っていないので、よく磨かれた銀板などが鏡代わりに使われていた。
ガラスなどは既に出回っているのでこの世界で鏡を作るのは難しくない。加工が簡単な魔銀を使えばお手軽で簡単に鏡を量産できるんだから……。
鏡の製造法はリチャーズに売り渡し、ファンデーションを入れるコンパクトなどの生産も任せてある。こちらも既に大人気で、貴族の間ではこのコンパクトを持つ事がすでにステータスの一つになっているという話だ。
そのコンパクトも貝殻や宝石で装飾した超高級品も存在し、お抱えの職人に細かく指示をしてわざわざ作らせていると聞く。
「コンパクトに仕込まれたこの僅かな量の口紅、この口紅を小さな器ごと取り外して入れ替えが可能なのが凄いわよね」
「自分で選んだ紅を自由に組み込めるのも大きいです。王都の商会では既にその売り方をしているという話ですが……」
パラディール公爵家の長女レナエルが運営する大商会ローズガーデン。化粧品や高級衣類などを専門に扱う商会で、アーク商会製の石鹸やシャンプー類もここから注文が来ている。
保湿クリームや今回のファンデーションなどもすぐにこの商会が嗅ぎ付け、ほとんど専属契約に近い形で買い上げられている状況だ。発売から一週間くらいで話が来たから、この街に何人も手下を潜り込ませているんだろうな。
ほぼ独占状態なので好きな販売方法をとれるとあって、小さい紅の器を色ごとに分けて展示し、まだ何も組み込まれていない状態のコンパクトに好きな色の紅をセットして売るという方法をしているらしい。
「このコンパクトの量産が間に合わないとリチャーズ様も言ってたしな。鏡を作れるのは魔銀を扱える魔道具師か魔導具職人位だし、この入れ物だってかなり精度が求められる」
「小さな穴にピッタリ収まるサイズだからね。本気で一ミリでも違うと駄目だし」
「リュークさんが専用の機械を設計したそうですけど、そんなことまでできたんですね」
「水車を作れば色々使えるからな。何故かこの辺りには水車なんてなかったが」
水車をはじめとする様々な動力源、風車などが必要とされてこなかったのは、魔石がエネルギー源として優秀過ぎるのが問題だ。
コンパクトでハイパワー、しかも危険性は少なく供給量も割と多い。値段が安くて入手しやすく、あらゆる条件下で長期間の使用にも対応。これだけ優れたエネルギー源なんて他に存在しないだろう。
俺がこの世界で再現した工業機械の動力にも魔石を使っているが、一部の機械には水車を動力として利用した。この街にある魔石の枯渇を防ぐのが目的だけどな。
「アーク商会が出来てまだ一年位だけど、本気でこの辺りの状況が一変したわよね」
「魔導エアコンの生産が分岐点だな。あれで資金的な余裕と恒久的な雇用が生まれた」
「労働力不足で一気に人口が増えたのもあの時期からですね。城塞都市トリーニの空き家がほとんど無くなりました」
「法衣騎士爵家の次男や三男の方が、実家より稼ぐようになり始めたのもあの時期からですね。おかげで結婚相手が見つかりました」
法衣騎士爵家の俸給は基本的に二十万スタシェル程度だしな。
うちで働いている者は当然だけど、リチャーズの奴が重用している奴らも実家の数倍の年棒を稼いでいる。
その金を目当てにした騎士爵家の娘は次男や三男を婿養子として迎え入れ、今までの数倍になった資金で貴族らしい生活を始めたとか。
「法衣騎士爵家の女性は、うちの商会の化粧品を使うのが目標らしいですよ」
「コンパクトはガワだけだったらそこまでしないんだが、紅や化粧筆をセットにすると結構するからな。ガワも一部の超高級品を除けばだが」
「トリーニ内でもコランティーヌ商会の一階で売り始めましたしね。卸価格よりかなり高いですけど」
「王都のローズガーデン商会で買うと五倍から十倍らしい。それに比べればかわいいもんだ」
「輸送費を考えても高すぎよね……。いくら王都が遠いといっても」
マジックバッグがあるから格段に輸送費は安い。
魔道具で強化しまくった高速馬車を使った場合は、王都まで片道七日程度。人件費の安いこの世界であれば、商品ひとつにかかる郵送費など微々たるものだ。
「コランティーヌ商会から、各種商品の増産を求める書類が届いていますが」
「工房をこれ以上拡大できないし、材料の確保のために錬金術師が必要になる。必要な機材と人材を回して貰えれば増産が可能だ」
「できないといってもこれ以上生産するんだったら、工房の拡大も必要じゃない? 倉庫はマジックバッグで代用できるけど、実際に制作する場所がもういっぱいな気がするし」
それはわかっているが、すでにこの商会周りの土地で使える所は全部使った後だからな。
どこか遠くに工房を作る位だったら、魔導エアコンみたいに王都に工房を作った方がいい気はする。ただ、そうなると新商品の開発で差が出るだろう。
元の世界の知識がある俺が開発するのと、ゼロから考えなきゃいけないこの世界の人間でははじめからかなりの差があるからな。
「全部増やせりゃ一番いいんだがな。そうなるとどこかに商会ごと移動するしかない」
「工房だけ大きいのを建てればいいじゃない」
「そのあたりはいろいろあるのさ。原材料の入手も一苦労だしな」
原材料の中には一年でも限られた時期にしか手に入らないものも多い。
一年中手に入る物でも時期によっては品質が落ちるし、そのあたりの目利きが出来る人間がかなり少ないのも問題だ。
こんな状況だから、俺がいろんなものを独占できたんだが……。
「その知識をどこで手に入れたのかが、ホントに謎よね」
「リュークさんの出生の秘密が噂されてる位ですから……。王族や貴族じゃなければ、勇者の末裔じゃないかって……」
「勇者とやらが俺並の知識を持っていたら、とっくにこの世界は平和になっているさ」
とはいえ、あの魔導砲を考案した奴は別世界から来た可能性は高い。
あんな物を考えるんだったら、もっとほかに考えなきゃいけないものもあるだろうに……。
この世界には似つかわしくないような綺麗に整備された街道や長距離通信システムはあるが、アレは勇者が来る前からあるって話だしな。
「本当に何者なのよ?」
「俺は俺さ。それ以外の何者でもないさ」
「私はそれでもいいですよ。本当の事はそのうちこっそり教えて貰えればいいですし」
「本当も何もな……」
俺に秘密はあるが話しても信じちゃくれないだろうし、俺自身も記憶が曖昧なので正確な事は教えられない。
そのうえ、俺自身にもこの体の事が分かっていないからな。
【そう焦る必要もないだろう。今はまだその時ではない】
たまに頭に響くこの声もだがな。
その時ってのがいつでそしてその時に起こる事がなんなのか、それすら分からないときた。
この左手首に目が行く癖も関係しているんだろうが、これが何なのかは分からない。分からないことだらけだが、今はそんなものにかまっている暇もないしな。
「まあいいわ。話をもどすけど、工房の話はどうするの?」
「建設だけは進めておくか。そのうち工房が手狭になるのは確定事項だ。その時の為の手を打っておくのも間違いじゃない」
「わかった。新しい工房の建設の話し合いに行ってくるわ」
「頼んだぞ」
工房の建設に関しては魔導具職人であるアリスの意見を聞いた方が早い。
実際にそこで働く人間が関わった方が、使い勝手がいい配置などを考えやすいからだ。工房に関しては俺も使うが、大量生産に移った後は俺はほとんど役に立たないからな。
しかし、うちの商会もかなり大きくなってきたのでそろそろ色々と警戒しないといけないだろう。特に商品開発部門なんかは産業スパイが入り込みやすい……。
うちの商会員が裏切った場合、俺はそいつを処理しなければならない。このアーク商会と他の商会員を守るためにな。
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