第四十四話 ありがとうございます。では次の商談をよろしいですかな?
「ありがとうございます。では次の商談をよろしいですかな?」
「まだあるというのか?」
「はい、こちらの商品なのですが……。この樽に見覚えはありませんか?」
マジックバッグの中からウイスキーの樽を取り出した。
樽を置いたのは床にだが、運よく銘柄なんかの刻印が見える位置で止まってくれたな。
「この樽はフローリオ酒造のウイスキーだな。比較的安価で売られている酒だが、これは我が領で作られている銘柄だろう?」
「流石ですな。セブリアン様はこの酒造のウイスキーを、飲んだことがおありですかな?」
「悪くはない酒だが、領内で最高の出来とはいいがたいな。で、これを持ってきてどうするつもりだ?」
「飲んだことがおありでしたら話は早いと思いますよ。これを……、試していただけますか?」
商談と言いながらアルバート子爵家の領内で造られているウイスキーの樽を持ち出して、何をしているかと思うだろうな。
しかし、このウイスキーを知っているんだったら話が早い。最悪このウイスキーを知らない場合、このウイスキーを誰かに買いに行かせることまで考えていた。
ガラスのグラスに注いだウイスキーは濃い琥珀色だ。この時点でセブリアンの記憶にある、このウイスキーとは違うはず。
「今まで飲んだ物より色が濃いな、それに香りも……。っ!! これがフローリオ酒造のウイスキーなのか!! まるで別物ではないか!!」
「フローリオ酒造のウイスキーは短期熟成、私が調べた限りでもせいぜい三年物しか売られていません。このウイスキーはその樽を、そのまま長期熟成させたものです。ウイスキーも十五年物になりますと、樽の中の酒は半分以下にはなりますが、この位の色と味に変化いたします」
「十五年だと!! フローリオ酒造はまだ創業から十年程度の酒造だ、あり得ぬ」
「時間という物はこの世界では等しく流れます。しかし、そうでないものがこの世には存在しているではありませんか」
「……マジックバッグか!! それで乳製品の時に、あの説明を……」
ヒントとして出していたのは足の速い乳製品を運搬するのに必要な、時間経過の遅いマジックバッグの話だ。
俺の望むマジックバッグの値段が高騰しかねないのでこの情報を流すのは避けたかったが、時間経過の速いマジックバッグの在庫はすでに千枚近くあるし、それ以外の手も既に打ってある。
マジックバッグはなぜかマジックバッグ内には収められないので、大半は商会の倉庫に収められているが、そのいくつかでは既に味噌や醤油などの量産が始まっている。あれもそのうち誰かに任せたいんだが……。
「時間経過の遅いマジックバッグがあれば、その逆のマジックバッグもございます。しかも、今現在そのマジックバッグに価値はなく、タダ同然で取引されていました」
「中に入れた物が劣化する速い時間経過を逆手に取ったか。なるほど、長期熟成のウイスキー……」
「味の分かる者であれば、その価値には気が付くでしょう。王都の金持ちでしたら同じ樽を今の数十倍の価格でも買う可能性があります。何せ彼らが買うのは時間なのですから、こればかりはこのからくりに気が付かぬ限り、どうすることもできません」
「マジックバッグの利用法にたどり着かない限り、増産は無理という事か」
「それだけではありません。ただマジックバッグの中に入れていればいいという事ではなく、発酵具合の確認など必要な作業があります。この仕様書にそのあたりを細かく纏めておりますが……」
村でやってた地道な作業だな。
発酵に伴うガスの発生。中に収める樽の数や、マジックバッグの大きさ次第では問題にすらならないのだが、この仕様書には俺が調べた限りの情報を載せてある。ここまでやるのは相当な暇人だけだろう。
「流石にこれをタダという訳にはいくまい。いくらだ?」
「熟成ウイスキーの売り上げの、一割程度でいかがですか?」
「恐ろしい奴だ。これだけの情報を渡しながら、その額で納得するのか?」
「かまいません。些細な事です」
個人で楽しむ分にはいくつも樽を保管しているからな。長期熟成のウイスキーが高騰しても、俺が困る事は無い。この辺りでウイスキーを飲んでる奴なんてあまりいないし。
それにロドウィック子爵家やレナード子爵家の領内で、ウイスキーが作られていない訳じゃない。アルバート子爵家の領内で造られているウイスキーには劣るが、近い品質の物もいくつかあるし、俺が目を付けている酒造のウイスキーも存在する。
今は無名な上に全く無価値だが、あの酒は長期熟成させれば化ける。俺の勘がそう告げているんだ。
「ウイスキーを売り出す前にマジックバッグの確保が先か。今はまたダンジョンでのドロップが増えているそうだし、このタイプのマジックバッグであれば何とか確保できるだろう」
「表立って一気に集めますと、何事かと勘繰る者も出て来るでしょう。口の堅い者を集めて、少しずつ数を増やす事をお勧めします」
「……わかった。冒険者ギルドにも手を回して、このタイプのマジックパックを回収させることにする。市場に出回った物に関しては、分家の子倅に集めさせよう」
「それがよろしいかと。ただ、あまり回収を強行すれば、他の子爵領に流れる恐れもあります」
「ほどほどの価格で回収させるとするか。なるほど、よく頭の回る奴だな」
アルバート子爵家の領内のダンジョン産だから入荷も早い訳か。ゴミマジックバッグの買取を強化すれば済むだろうしな。
今だったら他の冒険者ギルド直属の店で買いあさってもいい。情報って物はいつも先に手にした奴がその価値を決めるのさ。
「お褒め頂き、ありがとうございます。では、本日のメインと言いますか、他にもお売りしたい商品の話があるのですが」
「乳製品やウイスキー以外にもまだあるのか!!」
「これからが本番ですな。これを魔道具というのは問題がありますが、お売りしたい商品はこちらです」
マジックバッグから取り出したのは小型の箪笥……、にしか見えないが前開きの小物入れだ。
ただ、いろんな場所が金属で補強されているし、各所に水抜きの管などが取り付けてもある。
「なんだこの箱は? 小型の箪笥か? 小物入れにしては大きいし、扉や中の構造が物々しいが。こんなものが売れるのか?」
「これは冷蔵箱です。この上の段に氷の塊を入れますと、この下の箱の中がこのように冷える構造です。こちらはその様子が分かるように、事前に氷を仕込んだものになります」
もう一台同じだが上の段に氷を入れた冷蔵箱を取り出し、中が冷えている事を確認して貰う。
扉を開けて手を突っ込むと、ひんやりと心地の良い冷気を感じる。
「なるほど、しかしこの程度の大きさのものに、どれほどの価値が?」
「時間経過の止まっているマジックバッグに入れれば、食料品なども含めて入れたものは腐りません。しかし、マジックバッグでは食料品などを冷やす事も出来ないのです。料理やデザートの中には冷やして食べる方がおいしい物も多くあります、豊かな食生活と様々な用途でこの冷蔵箱は活躍するでしょう」
「確かにそうだが……、こんな単純な構造ではすぐに類似品が出回るぞ。それに氷を使わず、魔石で冷却機能を搭載するという手もある」
「単純な構造で量産が可能。この条件が必要なのですよ。魔導エアコンの件もありますが、魔導具職人はすでにどこも手いっぱいです。しかし、この冷蔵箱はただの家具。家具職人にでも量産は可能です」
「そうだな。間違っておらぬが、それではたいした儲けにならないだろう」
「これの売り上げ自体はそうでしょうな。登録していただきたい物、それはこのシステムです」
マジックバッグから試作品の氷量産システムの小型版を取り出す。
魔石の力で氷を量産するシステムだが、魔力を持つ人間が魔石代わりに魔力を注いでも同じ事が可能だ。というよりも、システム的にはそっちの方がメインになるようにしている。
「なるほど、これで上の段に入れる氷を量産する訳か」
「冷蔵庫の規格だけ厳格に定め、この上の段の氷のサイズだけは変えないようにするのです。大型の冷蔵箱の場合、複数の氷を横に並べる形がよいでしょう。この氷をセットする人間の労力もありますので……」
「なるほど、このシステムの肝は冷蔵箱が増えれば増えるほど氷が売れるシステムか!! だから模造品が増えても一切困らぬどころか、氷の売り上げが増えるだけだと……」
「高価で貴族や王族しか買えぬ魔導具と違い、この冷蔵箱と氷の価格を抑えれば平民でも購入が可能でしょう。最初の儲けは大した事は無いと思いますが、五年、十年後はどうですかな?」
「規模次第ではいくら入るか分からんな」
さっきセブリアンが言った魔石搭載型の冷蔵庫の設計図は既にある。
しかし、現状それを製作するだけの魔導具職人は確保できまい。優秀な奴はすでにリチャーズの奴が引き抜いて、レナード子爵家の領内で魔導エアコンの増産に勤しんでいるんだから。
貴族や王族様に魔導冷蔵庫の販売や登録をしてもよいが、平民や下級貴族と王族や上級貴族の住み分けが出来て何とかなるだろう。
「この氷を作る際に質の良い水を使えば、食用の氷としても利用可能です」
「食用?」
「このように氷を入れたグラスにウイスキーを入れて楽しむ方法などですな。他にも様々な使い方があります」
「なるほど……。これであれば冷蔵箱を使わぬ貴族にも需要があるだろう。氷の値段は安くても、売り上げが大きければ儲けは十分に期待できる」
かき氷とかな。
昔は氷売りとかいたし、夏場には特に需要がある筈。
この世界にはマジックバッグがあるし、氷の運搬に関しては元の世界より楽だろうしな。
「先ほど言われた魔導冷凍冷蔵庫の設計図も、こうして存在します。ただこれには欠点がありまして、どれだけ細かい調整を施してもかなり魔石の消費が激しくなります。具体的に言いますと、高純度の魔石を月に一つ消費しますので、ランニングコストと言いますか、維持費も相当な額になりましょう」
「月に一つの高純度の魔石か。それは平民には絶対に手が出んな。我々でもそれを知っていれば躊躇するだろう」
「王族や一部の貴族が独占するだけです。問題は他にあり、高純度以上になりますと魔石の数も限られますので」
「売り物にはならんか」
「何か良い魔法や魔法回路が見つかるまで冷蔵箱と氷で稼ぐのがいいでしょう。魔導冷凍冷蔵庫に関しましては改良が終わり次第お知らせいたしますので、その時は稼ごうじゃありませんか」
高純度の魔石の販売価格大きさにもよるが、基本一万スタシェル~五万スタシェルだ。
しかも普通純度以下に比べてドロップ数というか、入手する数が少ないので魔導冷凍冷蔵庫が普及すればすぐに品切れを起こすだろう。魔導エアコンと同様に革命を起こし、莫大な売り上げを生み出すであろう魔導冷凍冷蔵庫を、俺が今まで売りに出さなかった理由はここにある。
ラッセルの店でも高純度の魔石なんて十個くらいしか扱っていないし、次の入荷もいつになるか分からない状況だからな。
「リュークには羊皮紙の件で迷惑をかけた。今後も何かいい商品があれば紹介して貰えると助かるのだが……」
ほほう、絶対に謝らないと思ったが何とかそれだけでも口にしたか。
これ以上の追及は藪蛇だし、今後の関係を築くうえで触れるのはタブーだな。一応謝罪を受け入れた事に関しては、伝えなきゃならんが。
「その件で最初に迷惑をおかけしたのはこちらですよ。このシステムは魔法使いの再就職先という面もありますので、売り上げの五パーセント程度でいかがですか?」
「その内容で契約しよう。魔法使いの再就職先。なるほど、そこまでは考えつかなかったな」
冒険者で運よく生き残り、前線では活躍できなかった魔法使いの再就職先。もしくは、戦闘に向かない性格の魔法使いの就職先だな。
また、アルバート子爵家の領内にある魔法アカデミーの生徒たちの、就職先候補の一つでもある。魔法使いの活躍の場は割とあるが、それが領内であるとは限らないからな。ここで一つ増やすのもいいんじゃないか?
「いざという時は、その魔法使いが街防衛の戦力に変わると思います」
「そこまで計算に入れるのか、本当に恐ろしい男だ。今後もよろしく頼むぞ」
「本日は良い取引が出来ました。また何かあればお持ちしますよ」
これでアルバート子爵家とも縁が出来たし、羊皮紙の問題も解決だ。
乳製品の普及についてはがんばって貰わないといけないが、牛が増えるといろいろできる事が増えるからな。
この辺りの事業を俺が始めると、時間が取られて他の事業に手が回らなくなっちまう。こうして利益とセットでどこかに回すのが一番いいのさ。
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