第三十五話 お久しぶりです村長。と言いましても、三ヶ月ぶりですかな?
六月の半分に差し掛かったある日、俺はちょっとした目的のためにバスコ村長の村に顔を出す事にした。
「お久しぶりです村長。と言いましても、三ヶ月ぶりですかな?」
「おお、リュークか。三ヶ月とはいえ、ずいぶん会っていない気がするものじゃ。それだけおぬしはこの村での存在感が強かったという事じゃが」
「いろいろありましたからね。……ずいぶんと村人が増えましたな」
「昔の顔なじみばかりじゃな。子爵殿にもいろいろ考えがあっての事じゃろう。おかげで開墾計画なども順調じゃ」
村の東側で矢竹の生える場所や貴重な植物が生える場所は避け、南側の一部を畑として開発しているという事だ。
例の和紙生産工房のある村にはあまり近付かないという条件があるが、手前に大きな関所があるので間違ってそこまで行く事は無いだろう。
「人が増えると食べていくのがひと苦労でしょう。このマジックバッグに大量の麦が入っています。村の皆で食べてください」
「いつもすまぬな。儂はリュークに頼ってばかりじゃな」
「あの時俺を受け入れてくれた恩返しですよ。遠慮なく使ってください」
「……他の物も入っておる様じゃな。村の皆で分け合うとしよう」
食糧だけじゃなく、蟹や川海老用の新しい罠。それに、醤油などの調味料だ。使い方なんかは羊皮紙に纏めておいたので、読んでもらえば何とかなるだろう。この村の人間は割と字も読めるしな。
「十日ほど世話になると思いますが、以前の家はまだ住めますか?」
「おお。あの日のまま保存しておる。今まで通り好きに使ってくれ」
ありがたい、これで野宿をしなくて済む。
さて、問題は西北の荒れ地というか丘なんだが……。
「例の兎の笛には手出ししていませんよね?」
「ああ、もちろんじゃ。あれだけの白毛長兎が生息する丘など、怖くて誰も近寄りはせん」
「意外におとなしい白毛長兎とはいえ、下手に近付けば殺されかねませんしね。近付いていないんでしたら結構ですよ」
村から西北に進んだ荒れ地の先に、小高い丘が存在するのだが、そこは白毛長兎の群生地でその丘の内部では無数の白毛長兎が蠢いている。
丘全体が広大な白毛長兎の巣になっており、その周りにある植物はかなり広範囲に食い荒らされていたりもする。だから俺も村に住み着いた当初は、荒らされまくって碌に収穫の無いあの辺りに採集に行かなかったわけだが……。
俺の記憶の中のデータだが、ウサギは年中発情期の獣であるにもかかわらず、繁殖前の白毛長兎が金毛長兎に変化するのはこの六月から七月半ばまでで、それ以外の時期では一匹たりとも金毛長兎を見かけた事は無い。
調べてみると、あの辺りには山桃苺という桃なのか苺なのか判断に困る名前の木の実が生るのだが、どうやら五月の末から六月の頭にその山桃苺の実をある程度食べると、金毛長兎に変化を始めるようだ。
そこで俺はリチャーズが和紙の木の増産の為に和紙制作工房の村に連れてきていた植物育成魔法が使える魔法使いを一時的に借り、山桃苺の木を大量に接ぎ木で増やし、兎の笛と呼ばれる群生地の丘周辺に大量に植樹してみた。
結果だが……。
「壮観だな。この辺りに他に村はないが、あったら大騒ぎになっていただろう。いや、このあたりの村人じゃ、金毛長兎の毛皮の価値は分からねえか」
何がどう影響しているのかは知らないが、一定以上山桃苺の実を食べた白毛長兎のメスが繁殖行動、つまり妊娠した時に金毛長兎に変化するという事が確定した。
この金毛長兎を狩りまくると、当然元となる白毛長兎の数が減る上に、腹の中にいる生まれる前の子ウサギまで殺してしまうので、この辺りに生息する白毛長兎の数が激減するのは必至だ。
とはいえ、この無数の金毛長兎の中から三分の一程度だったら狩っても問題ない気はする。どう考えてもこの丘全体で一万匹を優に超える白毛長兎が生息しているみたいだしな。
「という訳で値崩れを起こさないように狩ったつもりの金毛長兎の毛皮が三百枚。一度に全部放出せず、二十枚ずつ売りに出せばしばらくここに狩りに来なくてもいいだろう」
それでも六百万スタシェルか。
大した儲けじゃないが、サングスター商会との取引を辞める訳にはいかないからな。あそこには一年前に毛皮を買い取って貰った縁がある。それを切るのが愚策だろう……。
◇◇◇
サングスター商会の応接室。
ほぼ一年ぶりとなるこの部屋で俺は去年と同じ様にワインバーグと対峙しているんだが、どうもこいつの様子がおかしい。
去年はもう少し自信に満ちていたというか、こんなに挙動不審じゃなかったはずなんだが……。
「お久しぶりです。リューク殿にこうしてまた当商会に来ていただけるとは思ってもいませんでした」
「去年約束しましたからな。何かありましたか?」
「何かあったのはリューク殿の方ではありませんか。レナード子爵家が売り出している魔導エアコンの一件。領内の商会でその話を知らぬ者はおりませんよ」
「そういう事でしたか……」
なるほど、他はともかくレナード子爵家の領内にある大手の商会は、あの魔導エアコンを誰が考えたか調べてあるという事だ。
登録はレナード子爵家で行っているし、連名でも俺の名前は記載されていない筈。という事は、情報が漏れたのは銀行関係か?
大手の商会だと盗賊ギルド辺りに調べさせた可能性もあるが、そのあたりを聞いても答える事は無いだろうな。
つまりワインバーグは今の俺の背後関係や状況を知っているので、前の時の様に少しいい物を持っているカモとしては扱えなくなったという事か……。
「本日の取引は毛皮という事でしたが」
「去年と同様に金毛長兎の毛皮です。少し枚数は多いですが、去年と同じかそれ以上の品質の物が二十枚あります」
「二十枚ですか!! ……今のリューク殿でしたら、王都に直接売り込んだ方が儲かるのではありませんか?」
「それでは去年の約束を違える事となります。毛皮などはすべてこちらに持ち込む約束ですので、今後も私が扱う毛皮はすべてサングスター商会に持ち込ませていただきますよ」
ワインバーグが目を丸くして驚いているな。
去年話した事は単なる口約束。しかも、商談の後の社交辞令に近い感じでした約束だ。
馬鹿正直に自分が得る利益を大幅に減らして、貴重な金毛長兎の毛皮をサングスター商会に持ち込む理由にはならない。
だが、それでも俺がこの口から出した言葉で交わした約束だ。その約束をちんけな小銭の為に簡単に違える様じゃ、この俺の言葉に価値がなくなってしまうのさ。
「まさか、そこまであの約束を……」
「この私が口にした約束です。簡単に違えるようでは、男が廃りましょう」
「リューク殿は噂に聞く以上の御仁ですな。このワインバーグ、今後持ち込まれる毛皮を必ず最高の価格でお受けいたします」
「ありがとうございます。長い付き合いになると思いますが、よろしくお願いしますよ」
「こちらこそ。では、今回持ち込まれた金毛長兎の毛皮ですが、前回の競売価格を参考にしまして、一枚二百万スタシェルでいかがでしょうか?」
一枚二百万スタシェル? 前回は五枚で百万スタシェルだったよな? そんなに高値で売れたのか?
「ずいぶんと高額ですが、その価格でサングスター商会さんに利益が出ますか? 輸送費や人件費も含めてです」
「はい、前回お売りいただいた金毛長兎の毛皮ですが、この価格でも十分に採算の取れる価格で競り落とされております。いくらかお教えできないのは心苦しいのですが」
「それは当然です。逆に実際の競売価格を話すようでは、取引になりませんので」
「ご理解いただけて助かります。それで、今回は六千万スタシェルの取引なのですが……」
ああ、流石にこの額になると金貨での取引は難しい。
大金貨で六百枚ほどの取引だが、どれだけ大手の商会でもそんな枚数の大金貨を金庫に積み上げている訳がない。そんな現金は手元に保管せず銀行に預けて、同じ程度の枚数の金貨を金庫に保管しているのが精々だ。
銀貨や大銀貨は、金庫の中に山の様に積み上げているだろうけどな。
「こちらの口座に振り込んでいただけると幸いです。個人口座で恐縮なのですが」
「リューク殿の個人口座に振り込みですね。確かに承りました」
「では今後もよい取引をお願いします」
「こちらこそ……」
やはりこちらの立場が変わると、取引相手の態度も変わるな。
しかしこの調子だと俺の情報は割と広く知れ渡っていると思っていいだろう。
今回の様に魔導エアコンや和紙の利益は、俺の個人口座に振り込まれている。この辺りの売り上げは俺個人の事業で、商会を介した取引じゃないからな。
商会で登録した魔導具やこまごました商品などの利益は、当然商会の口座に振り込まれている。
こっちは正規の手順で税金が引かれるし、下手な事をすりゃいくらリチャーズの奴でも俺に縄を掛けなきゃいけない。
まだ商会員にあの額の給料を支払うとほぼ赤字な状況なので、追加で支払う税金はほとんどゼロだけどな。
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