第二十話 うだうだ考えてても仕方がねぇ。行くしかねえだろ
年が明けてはや三ヶ月。この三ヶ月は特にこれといった大きな事件も無く、相変わらず獲れる魚や角豚のおかげで食料が尽きる事は全然なかった。……保存食なんて必要なかったじゃねえか、ほんとになんであんなにガリガリになるまで飢えてたんだよ。
紙漉きも順調に進み、今持っている紙を売るだけでも十分ひと財産になりそうだ。と言ってもこんな物は俺が目的とするものに比べりゃ、ゴミみたいなものだけどな。
俺は今、アリスと共に城塞都市トリーニにあるソールズベリー商会の前に来ていた。今日はこの街に来て二日目で、昨日は前回と同じ宿に泊まってアリスも俺もこのクラスの商会を尋ねられるレベルの服に着替えているし、風呂に入って小奇麗にもしてきた。綺麗な服を着ていても体が薄汚れてたら、せっかくの準備が台無しだ。
しかし流石にデカい。この辺りは街の中心部である貴族街に近いから、これだけの規模の土地と建物なんて普通は維持できねえぜ。そう、普通だったらな。
この商会はレナード子爵家が管理している商会で、この地区を支配している支配者特権の様な物で高額な土地代などは支払っていないという事だな。この辺りの土地をこの規模で借りたら年間で幾ら取られる事やら。
俺が考えていることを実行するには、この商会を訪ねるのが一番都合がいいんだが……。
「うだうだ考えてても仕方がねぇ。行くしかねえだろ」
「そうね、ここから色々始まるんでしょ?」
事前に着替えて真面な格好をしているから、流石に商会の入り口にいる兵に止められる事は無かった。この規模の商会だと変な格好で近付いただけで、容赦なく衛兵が飛んでくるからな。少なくとも前回サングスター商会を訪ねた時と同じ格好だと、確実に衛兵が飛んできて追い返される。
今の俺もあまり荷物も持って無いから、いろいろ怪しまれてるのは確実だろうが……。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
中年の商会員がすぐに対応のために出てきた。友好的ではあるが、かなり怪しんでるのは間違いない。
周りには何かあった時のためか、後ろにはやけに厳つい筋肉ゴリラが控えてるみたいだしな。
「少し大きな話を持ってきたんですが、どこかで商談が出来ますか?」
「大きな話ですか?」
「ええ。これはサンプルですが、こういった商品です」
A4サイズの和紙を二十枚ほど束にしたものを、少し大きめの和紙で包んでいる。
手作りだけあって元の世界で売られてる紙よりほんの少し厚いので、二十枚でも結構な厚みがある。制作した和紙は全部少し大きめに作り、同じ大きさに整えると同時にきれいに端を処理しているのでキッチリと揃っているぜ。
「紙で包んであるなんて贅沢ですね……、これはジンブ紙!! このきめ細かさや手触りは本物っ……!! まさか!! 信じられない」
ジンブ紙というのは海を隔てた島国のジンブで作られた紙の事で、この辺りで紙と言えば基本的にはジンブ紙を指す。このジンブ紙も聞いた限りでは和紙にかなり近い感じだったので、俺が漉いた和紙とそっくりだったようだな。
今はそのシンブとほとんど交易をしていないので、最後にジンブ紙が取引されたのは何時の事かわからない。交易をするにもこっちの国というか、現在の城塞都市トリーニ周辺の港町にはほぼ旨味が無いしな、金にならなけりゃわざわざ寄港しようとは思わないって事さ。
という事で、現在ジンブ紙を入手する方法としは自力でジンブまで船を出し、向こうでジンブ紙などを買ってくるしかない訳だが、それがどれだけ無謀な行為かは今まで成功したという話を聞いた事が無い位には非現実的な話って事だ。
後はジンブ国が取引をしている別の国から買うという手段だが、当然購入価格は跳ね上がる。最低価格でも今までの倍の一枚一万スタシェル、下手をすると一枚で五万スタシェル近くになる可能性すらある。そんなものは本気で公文書以外では使えないぜ。
俺が漉いた紙はそのジンブ紙と見間違えるほどの品質だったみたいで何より。そうで無けりゃここから話を進める事が出来ないからな。
「それはあくまでサンプルです。それに関する取引をしたいと思っています」
「こんな高級品をどうやって……」
「これはこれは、冗談がお上手だ。仕入れルートを話す商人はいませんよ?」
「そ……そうでした!! すみません、上と話してきますので……。ミリアムさんこの方々を商談室へ案内して!!」
「わかりました!!」
和紙二十枚でも以前の価格基準で金貨十枚、日本円にして百万だからな。普通はサンプルとして渡せる額じゃねえだろう。今となってはそれがどのくらいの価値なのやら……。
身形はこんな恰好だが、俺にとっては金貨十枚程度の商品なんてそんな扱いだって事を教えるにゃ、こうするのが一番だ……。前回得た金はいろいろ使ったから今はそこまで持ち合わせがないが、マジックバック内に売り物はあるからな。
「ここで少々お待ちください。お飲み物をお持ちしますが、ワインでよろしいですか?」
「はい、お手数をおかけします」
「わかりました。すぐにお持ちます」
下手に出る訳じゃないが必要以上に高圧的な態度というのは自分が小物ですって言って入る様なもんだからな。こういった場で格を落とすと後で挽回するのが大変だ。
このクラスの商会になると、普通は一見の客にワインなんて出さないだろう。
ここまでは計画通りというか、順調に話が進んでるな。
◇◇◇
魔導時計で確認したが、だいたい三十分くらいは過ぎたか? あれだけのサンプルを持たせた割に時間がかかってるな。
普通、持ち逃げを疑われない為にすぐ出てくると思ったんだが……。何か時間がかかる理由が? 上役とやらが所用でここに居ない可能性があったな。そうなると元の世界じゃあるまいし通信手段なんてないだろうから、相応の時間が必要だ。
ドアがノックされ、俺より数段上の服に身を包んだ中年の男が部屋に入ってきた。って!!
「大変お待たせいたしました。当商会の頭取、ナイジェル・レナードです」
「いえ、お気になさらなず。私はリュークと申します……。まさか領主様が頭取とは思いませんでした。こちらは我が商会の一員、アリスフィーネです」
「アリスフィーネです。よろしくお願いします」
「はははっ、私はもう元領主ですよ。今は家督を息子のリチャーズに譲り、私はこの商会を運営するだけです」
表向きにはな……。
貴族、それも領主が金策の為に表立って商会の運営などしてはいろいろと問題がある。何せ法を作れる者が商売をするんだ、都合の悪い事は全部法で潰してしまえばいい。
そういわれない為に表向きは息子に家督を譲り、一歩引いた立場でこういった商会を運営してるって事だ。アルバート子爵家も同じような真似をしていると聞く。
「では商会の方として話をしたいのですが、その前に元領主様と理解したうえで、一つだけ質問をしてよろしいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「この城塞都市トリーニの現状。これをどう考えられますか?」
「現状ですか?」
「はい現状です。一部の富裕層を除き、その日生きていくのが精々という住民が溢れる現状です。犯罪は横行し、路地裏に行けば死体が転がり、街の外にも野盗が蔓延り行商をするにも命がけなこの状況ですよ」
ナイジェルの顔から笑みが消えた。いきなりこんな話をすればそりゃそうだろう。
というよりもだ、この話をしてそのまま笑っている様じゃ話にならねぇしな。
「全部あの忌々しい城壁と街道の整備費が原因だ。あれがどれほど金食い虫か理解……」
「いえ、十分理解しておりますよ。この城塞都市トリーニが衰退する原因は第一にあの城壁の整備の為、第二に領内に張り巡らされた長大な街道の整備です。あれがある限り税収の殆どを食い続けられるでしょう」
「君はその歳でそれを理解できるのか?」
「できます。そして現状では残った税で何かするにも、予算が全く足りない事もです」
「我が領内には特産品が無い。それにこれといった大きな税収も無いからな。一昔であれば……」
そう、港街ザワリシにある海底神殿。別名真珠神殿が冒険者で溢れかえり、そのダンジョンから算出される宝物やダンジョン税で結構潤っていた時期があった。
一昔前の話というか、十年程前には真珠の入手率が下がり、今では真珠がかなりのレアドロップ品になっていると聞く。
その為に今は海底神殿に挑む冒険者の数は少なく、そこから算出される宝物などには期待できない状況だ。何処のダンジョンでも似たような話を聞くから、ダンジョンが気前よく宝物を吐き出す時期にはムラがあるって事だな。
「当時の真珠の取引で得た利益。あれがあっても城壁の整備は厳しいですか?」
「今は残った真珠の取引でギリギリといった所か。今ではあの壁を崩壊せぬように維持するのが精々だ」
「前領主が逃げ出した経緯から考えても、この辺りで得られる税収でこの街を維持するのは不可能です。このままこの状況が続けば、いずれは……」
「わかっておる。君はそれを口に出すが、その意味が分かっておるのか?」
「十分には」
語気が荒くなったというか、割と余裕のない話し方になってきた。まあ、そうで無けりゃ話にもならないんだが。
今の俺の話、それはお前もそのうち此処を逃げ出すのだろう? そう問いかけているに等しいからな。
激高したナイジェルが俺を無礼討ちにする可能性すら十分にあった。
だが、ナイジェルは俺を無礼討ちには出来ない、俺が何を持っているのか確認するまではな。
「では……」
「現状は理解しています。このままではどうにもならない事も十分に理解して、今の状況を脱する方法も考えています。現状を打破するには、この辺り以外で金を稼ぐ方法が必要という訳なのですよ。じり貧状態のこの辺りの民から金を根こそぎ巻き上げても大した額にはなりません。金がある場所、王都やその周辺の侯爵領辺りの大都市が望ましいと思いませんか?」
「……それであれを持ってきたのか?」
「はい。現状、この国の公文書、それに大貴族の書状などはすべて輸入したジンブ紙で出されております。今はジンブ紙の入手が困難な為、一部の重要度の低い書類には羊皮紙が使う事が認められているそうですが」
「流石に侯爵以上の大貴族は体裁が悪いので羊皮紙など使わず、別ルートで何とか公文書に必要な分のジンブ紙を入手しておるそうだが、他の国を介す為に昔より遥かに高額になっている。君が入手したこれも、そうではないのか?」
馬鹿らしい。そんなルートで紙を手にしても利益が出ないだろう。
ナイジェルもそんなことは承知で、こうしてカマをかけながら入手ルートを探ろうとしているだけだろうな。
「違います。そもそも、私はそれをジンブ紙だと一言も言っていませんよ?」
「ジンブ紙ではない? しかし……」
「この辺りで紙と言えばジンブ紙。今まではそうでしたから、そう考えるのが普通です」
「では……」
「その紙は、和紙です。何処から入手したという訳ではなく、私がこの手で漉いたものです……。これも全てですが」
驚いているな。
目の前に五十枚を一纏めにした束を四つ積み上げてみたからだが、これは以前の価格で計算しても最低でも金貨で百枚。日本円で一千万円分になる。札束を目の前に積み上げたようなものだ。
「自分で漉いた? この紙を、作れるのか?」
「はい、このように。時間があれば幾らでも……」
「まだあるのか? いったい……」
「この大きさの紙で約千枚。こちらの規格の紙も同じ枚数があります」
「せん……」
実際にはもっとあるが、そのあたりで話しておいた方がいいだろう。
重要なのは紙の枚数じゃない。その後の事だからな。
「今回買っていただきたいのは、この和紙の製造法そのもの。だからこそ最初の紙をサンプルと呼んだ訳です」
「狙いは製造専売特別許可権か!! 確かに紙を売るだけならば、そのうち製造法を知られて他の貴族に真似をされる可能性があるな」
「今のジンブ紙の価格を考えれば間違いなく……」
この世界にも専売権というか、特許に近い制度がある。それが製造専売特別許可権だ。
大手の商会などが領主や国王の直属機関に結構な額と実物を持ち込んで申請し、認められればその商会と契約した商会しかその商品などを扱えないという制度。
一度登録してしまえば相手がどんな大貴族であっても、無許可での生産などはできない。それを承知で無許可販売や製造をするという事は、この国に喧嘩を売るのと同義だったりする。
「我が領内には製造専売特別許可管理局は無い。あれは国に結構な額を払わねば管理局員が派遣されぬからな。伯爵クラスでなければ領都に製造専売特別許可管理局の局員など呼べぬ」
「存じております。そこでこの、目の前にある紙の束のうち二百枚分。これを手土産にして和紙の製造法を登録しませんか? そして和紙をレナード子爵領の特産品として大々的に売り出すのです」
「これを……、良いのか?」
「かまいません。このくらいなければ国も首を縦に振らないでしょう」
最低でも金貨で百枚、日本円で一千万円の紙の束だ。こんな額では王都の役人の顔色一つ変える事はできないかもしれないが、この辺りじゃひと財産だからな。
今の城塞都市トリーニの住人が生涯で稼ぐ額より遥かに多い。もちろん、スラム街の住人ではなく、ギリギリ何とか人並みの暮らしができる者のだが……。
「君はリュークだったかな? その歳でそこまで考えられるとは……」
「いろいろありまして……。私からの提案はいかがですか?」
「もちろん了解だ。リュークの意見を全面的に取り入れよう。それで、登録の話だが……」
当然、レナード子爵家元当主としての心配はそこになるよな。しかし、このまま俺の名で和紙の生産方法を登録してもいい事なんて何一つない。なんの力も持たない今の俺じゃ、最悪王都からどこかの商会が雇ったアサシンを送り込まれて終わりだ。
現状俺がこの制度を利用するには、こうして領主かそれに近い貴族を巻き込むのが一番手っ取り早い。いくらかの手数料を貰う代わりにその商品の製造法などを全部領主に売り渡し、領主の息がかかった商会でその商品を生産させるのが最も楽な方法だからな。
「登録はレナード子爵家でされるのが一番確実でしょう。私には……、この技術と製造法をお渡しする代わりに、売り上げの一割でいかがでしょうか?」
「おお!! 我が家名で登録してもよいのか!! 報酬が一割とはずいぶん少ないが……」
「それで十分だと考えております。ただ、私の考えた製造法に手を加えても報酬はそのままにしていただければ」
「もちろんだ。そんな真似はせぬよ」
製造法の一部を変えて再登録。登録者にのみ許された特権だ。
登録者であれば使う材料や工程を少し変えるだけでも再登録が可能なので、レナード子爵家の誰かがその気になれば製造法だけ奪うって真似もできる。
「ではこれにサインをお願いできますか?」
「契約書か……。書かれている内容に問題はない」
「ありがとうございます。ではお互いに控えを持ち、それぞれが責任をもって保管という事で」
「これで契約成立だな。その若さでこれほどの取引ができるとは」
「今回は良い縁があっただけです。では、よろしければ和紙に関していくつか情報を提供したいのですが……」
「もちろん聞こう」
あの寒村の現状を話して、最低でも直轄地にして貰わなければ困るからな。
今あの辺りを管理しているのは分家だ。何かあればナイジェルの命令ひとつでどうにでもなるだろうが……。
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